高校生の頃
ボランティアかなにかの活動の一環で
ディベート会に参加させられたことがありました。






テーマは
「自殺はしても良いか、良くないか」
というもの。





普通に聞いて、は?って思いませんか。






大人が設定したテーマです。






まず
スタートから私は納得してなくて。

10人弱のグループのうち、
当然ながらみんな「自殺は良くない!」派になる訳で
ディベートになるはずもなく
腹立つので(?)私は
自殺肯定派になってみるわけです。


ただ、
本心がそんな訳ないので
私も結果的になんかよくわからなくなって
自殺否定派に戻る……。







ディベートとは?
と言った感じで


はい、皆さん自殺否定派で
丸く収まりましたね。
代表の方、まとめた意見を発表しましょう。と。







高校生ながら
「なんだこの茶番は……」
完全にシラケてしまった記憶があります。










話は変わりますが






AIの遺電子
の1話で
(以下ネタバレを含みます)









ヒューマノイドのお母さんがウイルス感染し
もう壊れるかもしれないと言ったところで
バックアップを取り
それを復帰させる形で
お母さんを元に戻す、というくだりがあります。









同じヒューマノイドのお父さんは、
そうすることでお母さんの延命ができる、
今まで通りの生活ができると信じています。



一方で、
生身の人間で養子の娘は
いくらバックアップをとっても
今いるお母さんと、
バックアップ復帰後のお母さんは
もう別の人になってしまうと感じています。





お母さんは、
自分を修理した後、
バックアップで記憶を元通りにすると
自分が自分で無くなるという恐怖で泣きます。
でも最終的にはそれを受け入れます。









私はこの一連のストーリーを見て
『自殺は良くない』
という言葉が、
如何に遺されたもののエゴから出る言葉かと、
そう思うのです。




『あなたに死んで欲しくない』
『私が悲しいから』
『娘が悲しむから』
『あなたが生きてさえいれば私はそれでいい』

例えそれが

別人だとしても

あなたの形をしていれば

生きていれば














『自殺は良くない』
もう一度この言葉の真意を考えて欲しい。
そして、
その言葉に苦しんで
縛りつけられている人がいるなら
もっと気楽に考えて欲しいと思います。





生きるも、死ぬも
全てあなたが決められること。

いつだってあなたのストーリーを
私のストーリーを
ここでおしまい、とすることが出来る。



ただ、
私は
せっかくなら
今生きていることを
楽しみ尽くしてから


はぁ、楽しかったーって言って死んでいきたいのです。
だから自分から死なないだけです。





全ては
自分の自由。




だから私はただ
生きることを選択している。



人は必ず死にます。
自殺が良いとか悪いとか
そんな議論するより
生きる楽しみを見つける時間を
費やしていきましょう。