子供の頃、未来に希望を持てたのは、
未来の私が姿を現してくれていたから。

どんなに辛くても、
息ができなくても、
その「未来」が果てしなく遠く感じていても、
「今は逃げよう」
「あと10年我慢しよう」って
歯を食いしばれたのは、
未来の私が
「ここまでくれば幸せになれるよ」って
ゴールを示してくれていたから。

あの頃、時々未来の私と通信できていたのは
多分、限界にきていた幼い私が
なんとか今日を乗り切るために「理想の幻影」を勝手に作り出していたからなんだと思う。

あの頃から20年くらい経って、
いま私は、あの頃見た幻影の立場になったよ。
あの頃話しかけてくれた幻影は、
ハイヒールをコツコツさせて、
いつも忙しそうにしてた。

「大人になって、忙しく仕事してるよ。毎日忙しいけど、自由に生きられるから毎日すごく楽しいよ」
って、足早に息を切らしながら教えてくれてた。

そして、ある時、
いつも忙しそうな幻影が、珍しく落ち着いた服を着て、静かにこちらを向いて立っていた日があった。
隣には顔にモヤがかかって見えにくいけど、背の高い男の人がいた。

「私ね、もうすぐ結婚するよ。この人はね、とても優しくて、誰よりも私の事を大切にしてくれる人なの。あなたもいつか幸せな結婚ができる。だから諦めないで」って。

「もうすぐで子供も産まれるのよ」
って、幼い私にとっては、どんなに傷を負っても“どうでもいい存在“だった自分のお腹を、
とてもとても大切そうに撫でながら教えてくれた。

それが、何歳の時だったかまでは
もう覚えていないけど、
私が未来の私と通信できた最後の時だった。

それからは未来の私は姿を現さなくなって、
でも寂しくはなかった。
それは多分、私自身が特別それを望まなかったから。
それまでの未来の私からのメッセージを
ただひたすら思い出してそれを追いかけるだけで、
それだけで日々を過ごせるようになっていた。

けど、二十歳過ぎた頃に通信がまた始まった。
今度は一方的にエールを送る側になった。
あの頃私を支えたのが未来からのエールだったから、
「忘れちゃいけない」って
いつも心のどこかに幼い私を気に留めて、
「幸せになれるよ、大丈夫だよ。」
「すぐに大人になれるよ、もうちょっとだよ」
ってエールを送り続けた。

エールを送ることで責任を果たしているつもりでいた。
小さな私が少しでも希望を抱いて生きられるようにって、そんな気持ちでいた。

けど、最近気がついた。
私はただ、昔の可哀想な私にすがっていただけなんだって。
壮絶な痛みも苦しみも、私にとっては過去の功績。
「耐え抜いた」っていう功績。
そろそろ私も、過去との通信をやめる時が来たように思う。

そろそろ私は、過去の私を、
開放してあげる時が来たんじゃないかなと思う。

永久のサヨナラじゃないよ。
だって、相手は自分だから。

今の私が前向きにならなきゃ、
幸せにならなきゃ、
過去の私もいつか幸せになれないもんね。

あの頃、私の意思で通信をやめたと思っていたけど、
もしかしたら違ったのかもしれないな、って
なんとなく思った。

よくわからないけど、
私は、私の命を大切にして生きていこうと思う。
「長生きしたい」とは思わないけど、
与えられた命が続く限り、いま目の前にある事にピントを合わせて、真面目に、出来るだけ誠実に、
こなしていきたいと思う。