今日は近所の2か所で催し物がありました。
真夏には行われなかった屋外の催し。
金木犀も?あっという間に、終わった?
久し振りにジャークチキン。

ジャークチキンは、ライスか、ラップかバンズかを選びます。
コロナビールも昼から楽しみましたよ。

こんな文章を見つけました。
贅沢な?とは思いますが。
「88歳、田中◯雄さん
かつては大学で建築を教え、学生たちに「自由と創造」について語っていた男だ。
認知症の妻を見送り、息子夫婦の勧めで“高級老人ホーム”に入った。
「これが最善の選択だ」と信じて。
だが、1年後の今、私は思う。
——私の人生の最終章は、こんな形でよかったのだろうか。
部屋は清潔で、食事も整っている。
医療体制も24時間、スタッフは笑顔で優しい。
けれど、心の奥にあるのは「不自由」だった。
朝は6時に起きても、朝食は8時から。
庭に出ようとすれば「危険です」と止められる。
外出には届け出。
夜の散歩なんて、もってのほか。
私の毎日は、まるで“管理された実験動物”のようだ。
安全のために、自由を奪われた。
便利さのために、孤独を得た。
その矛盾に気づくのに、半年もかからなかった。
入居して最初の月は、息子が毎週顔を出してくれた。
だが、今では電話すら月に一度。
「安心できるでしょ」と言った彼の言葉が、
今では私の胸を刺す。
施設の中には、女性が8割。
話題は「孫」「健康」「テレビ」。
私が建築や哲学の話をすると、
「難しいわねぇ」と笑われて会話が途切れる。
知的サロン?パンフレットにはそう書いてあった。
現実は“お茶会”だ。
議論も、挑戦も、もうここにはない。
かつて“田中教授”と呼ばれた私は、
今では“田中さん”だ。
「お風呂の時間ですよ」「お薬です」
若いスタッフが笑顔で言う。
優しさの裏に、どうしようもない屈辱がある。
——もう、誰にも必要とされていない。
その事実が、何より痛い。
さらに追い打ちをかけるのは金の問題だ。
基本料金だけで済むと思っていたが、
診察・薬管理・夜間対応、すべて「別料金」。
知的プログラムも1回3000円。
体調が落ちれば「要支援区分」で月3万円アップ。
安全と引き換えに、尊厳と貯金が削られていく。
「安心の定額制」と書かれていた言葉が、今は虚しい。
——思えば、私は家族に迷惑をかけたくなかった。
ただそれだけだった。
でも、迷惑をかけない代わりに、
私は「生きる実感」を失ったのかもしれない。
生きるとは、危険を避けることではなく、
自分の選択で一日を積み重ねることだった。
朝の光でコーヒーを飲み、庭の草を摘む。
夜の風に思索を巡らせる。
その「小さな自由」こそが、人生の意味だったのだ。
私は今も、静かに模索している。
この場所でできることを。
若いスタッフに建築を教えたり、
同じように孤独を抱える男性と将棋を指したり。
それでも思う——
「老後の正解」なんて、誰にも決められない。
老人ホームが悪いわけではない。
だが、全ての人に“最適”なわけでもない。
自分がどう生きたいか、
何を失っても守りたいものは何か——
それを考えずに「安心」だけを選ぶと、
その安心は、ゆっくりと心を腐らせる。
安全よりも、私は「尊厳」が欲しかった。
快適さよりも、「自分の時間」が欲しかった。
それが叶わないこの場所で、
今日も私は静かに問い続けている。
ここは、本当に“終の住処”なのだろうか。
それとも、“静かな刑務所”なのか」
…………………………………………………………
贅沢なんですが、「安全のために、自由を奪われ、
便利さのために、孤独を得た」

さぁ、明日も雨じゃなかったら、コーヒー求めて早朝徘徊。
230円の贅沢。
今日は180円の贅沢を(๑・̑◡・̑๑)3回!