そのまま、車に乗り、近くの回転寿司屋に行きました。
帰国した子供達は喜び“日本食”を皆で楽しみました。
家内が口にしたのは多分、ひと切れかふた切れだったでしょう。
その時間がある事で私も満足でした。
これが最後の外食になるかなぁとは思っていました。
世界中を食べ歩いた家内が、最後は……。
朝はマックのモーニングセットを好みました。
そんなものかも知れないですね。
私も一年間の入院中は兎に角、お子様返りの味覚でした。
お好み焼き、焼きそば、ドーナッツ(今は、思い出で好んで)
こんな事があるから今、それ程多く無い写真の機会には一世一代の表情で。
悔いの残らないように、は、私が歳だからですがね。
食欲もすっかり落ちて来たのを実感します。
これがもし最後になるかも知れません。
笑顔?良い表情で残したいのです。


この後、看取りのドクターから聞いていた通りでした。
いよいよ、2階の寝室にも上がれず、トイレも難しく……。
一気でした。
けれど、良い知らせもできました?
家内が亡くなる前に、娘から家内に報告がありました?
帰国中、娘が身体の変化を感じ、薬局に?
2人目が授かったことを、報告できたのです。
喜んだ事は言うまでもありません。
けれど、その反面、辛かったと思います……。

その朝は、迷いました。
私のアルバイトに、穴を開ける訳には行きません。
前日、家内の調子が良かったのか「明日はお茶会を開きたい」と。
お世話になっている訪問看護師さんを招き、庭でお茶会をする、と。
息子はティーカップなどは“僕が準備する”
私はその為に前日に、テラスのテーブルに畑からダリアなどを摘んでアレンジを生けました。

これがその時の写真です。
ダリア、パッションフルーツ、ジャスミンの枝などです。
そして不安ながら朝、家内を残してアルバイトに行きました。
老人ホームの給食です。
ひとりで50名ほどの3食を作ります。
ひとりで、です。
私が行かねば!
施設に到着して、裏扉を開けようとした時、携帯が鳴りました。
「お母さん、意識が混濁してきた」すぐ、帰って来て、と娘からの電話です。
ひとりで作業。
即刻は、無理です。
その日の夜、ドクターの見立て通りでした。
「持っても数時間」
ベッドの周りにズッと娘、息子、私が。
最期は大きく息を吸いました。
家内の手を、娘と息子が。
私は枕元で、その最期を見届けました。
悲しい?
悲しめたのは2年後、引っ越してからシッカリ😛泣けました。
その瞬間から手のひら返した身内😜
詳細は気が向いたらいつか、書くかも知れません。
これは書き留めようと思います……。
斎場での事です。
手を合わせて最後に喪主の私がアノ、スイッチを押すのですね。
息子が言いました……。
「お父さん、僕が手伝うから」と。
その、ボタン、私はひとりじゃ押せなかったです。
今、その時の授かった孫、2歳の“英美・ジャスミン”
家内の名前からひと文字入れたのです。

2年前の帰国時、娘家族で三重県で行った神式の結婚式。
その翌日はこの子の為の宮参りと3歳になった孫の七五三の予定でした。
けれど、夜の高熱で救急車で運ばれ予定は全てキャンセル。
けれど今年の秋、2人の七五三を行います。
派手に😛
娘夫婦より、私が😛一番楽しみにしています。
勿論、プロにもお願いしますが写真。
私だって負けられません😛
PS)蛇足
私、自分が撮られること、好きじゃありません、でした。
一番に自分の顔も表情も好きじゃ無いから。
第一、撮る側で、撮られる事も少なかった。
でも、歳とともに大らかに?図太く?
今でこそ意識して。
いや?違うかな。
いつ頃からか、笑顔で撮れらるようになったのでしょう。
笑顔の出し方も得意です?
相手を笑顔にする!
てらいを、無くす。
友達に言われた事があります?
「遺影専門」で、撮ったら!と。

被写体を不安定な状態にするのです?
有れば、石の上にでも立たせる。
無ければ、片足で立ってもらう。
不安定な状態では“てらい”が無くなり、笑顔になれます。

今日はお膳をひとつ準備します。
今日、戻るのですから?