愛を求めても愛されない人 | この憎しみの目と心と、引き鉄を引く指しか持たぬ者達の世界で、何を信じる、何故信じる!?
先に言っておきますがこの文章は過去に引用させていただいたものを再度投稿しております
コメント等ねしていただけると光栄です!



「やさしさ」と「冷たさ」の心理

「信じること」「信頼すること」

というのは、自分を相手に向かって

投げ出していくことである。

我執の人、つまり不安な人は信じよう

信頼しようとしても、どうしても

自分が残ってしまう。

「信じる」ということ、「信頼する」

ということは自分を無にすることなのに

不安な人はどうしても自分が残ってしまう

心が無防備にならなければ、

相手を信じることは出来ない。

自我防衛的な人は、

せっかく自分を好きになってくれたら

人がいても、しつこくそれを

確認しようとして、結果としてその人が

自分を嫌いになるように

追い込んでしまうということがよくある。

相手の好意を確認しようとすることは、

相手を傷つけることだということに、

不安な人は気がついていない。

また、不安な人は我執の人

神経症的な人、ナルシスト、心の不健康な人、

幼児性を残している人、情緒未成熟、

それらの人々は、相手をいかに

愛しているかということを表現するのに、

自分はこんな犠牲を払ったということを

言いがちである。

また、自分は「こんなに好きだ」

ということを通して、

相手の愛情を要求する。

これらは、その人がまだ能動的に

なっていないこと、愛する能力を

持っていないことをあらわして

いるにすぎない。