社会変革の核心としてのジェンダー平等

なぜ体制補完組織としての右翼反共団体はジェンダー平等政策を目の敵にするのか。結論的に言えば、封建時代から資本主義市場経済に持ち込まれた、家父長制に淵源を持つ性別役割分担が今日の支配体制を維持するための社会構造に深く組み込まれており、この性別役割分担を廃絶しようとするジェンダー平等政策は、社会変革を目指す運動における最前線の課題とならざるを得ないからである。

ケインズは「一般理論」の末尾に近いところで、資本蓄積が進み投資に見合った利潤が確保できなくなった段階で「資本の希少価値を搾り取るために累積された資本家の抑圧的権力」は利子生活者とともに安楽死を迎えるだろうと予測した。またケインズは別の論考の中で、テクノロジーの進歩により、先進国では20世紀末までに週15時間労働が実現しているだろうと予言もしている。週15時間労働の社会とは、J.S.ミルが『経済学原理』の中で予測した、技術革新など(後にシュンペーターが定義づけたイノベーション)の成果が経済規模の拡大ではなく、人間の精神生活の豊かさに直結する定常状態社会とも重なるものだろう。しかしこれらの予言は実現しなかった。

D.グレーバーはテクノロジーの観点からすれば、週15時間労働は完全に達成可能だと述べている。なぜならば、家事労働や保育、医療、介護のような、主として女性が担ってきた狭義のケア・ワークに加えて、他者のニーズを満たすのに役立つという意味でのケアリング(広義のケア・ワーク)のみが、人々の日々の営みを継続してゆくために消し去ることのできないエッセンシャル・ワークとして残されるからだ。ところがテクノロジーは逆に、より一層人々を働かせるための仕事を作り出すことに活用されてきた。資本主義は利潤獲得のために、無駄なものを過剰に生産する性質を有するが、今日ではとりわけ不要なサービスの生産が際立っている。この不要なサービスを担う仕事をグレーバーはブルシット・ジョブと名付けた。

今日の社会は無意味だが高給な仕事と、不可欠だが無償ないしは低賃金の仕事に二分されている。前者は賃労働こそが道徳的な価値であり、厳格な労働規律に従わない人間は無価値であるという奴隷の観念に支配されており、後者は主として女性に担われたケア・ワークに由来するもので、「資本家の抑圧的権力」を維持する基盤としての性別役割分担の紋章が刻印されている。

近代経済学がその理論の中核に据えてきた「ホモ・エコノミクス(利己的経済人)」は、いまやその大半がブルシット・ジョブに従事しているが、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の著者カトリーン・マルサルは「フェミニズムなしにホモ・エコノミクスに立ち向かうことはできないし、ホモ・エコノミクスと立ち向かうことなしに今の社会を変えることはできない」と言っている。

それ故に、ジェンダー平等が目指す性別役割分担の廃止は、ケインズの予言を妨げてきた障害を打ち砕く、社会変革に向けた運動の前線であり核心でもある。グレーバーはオキュパイ運動を「ケアリング階級の最初の大反乱」と評価したが、女性解放運動の歴史的展開過程においても、ドイツ共産党の創設に参加したクララ・ツェトキンが3月8日を「国際女性デー」にと提唱したことや、英国議会で最初に女性参政権を訴える演説を行ったのが社会主義者を自任していたJ.S.ミルであったことは理由のないことではないのである。

反共主義とジェンダー平等は両立しない

芳野会長にあっては体制護持を目的とする反共思想と体制変革の思想であるジェンダー平等が併存しているらしい。これは前出の「絶対矛盾的自己同一」というような高尚なものではなく、反共主義者の頭の中にあるジェンダー平等思想はまがい物である可能性が高いということである。そのことを傍証するいくつかの事実がある。

芳野会長はJAMの安河内会長との対談ビデオの中で、ベストセラーにもなった黒川伊保子の『妻のトリセツ』にいたく共鳴したとして周囲にも薦めている。折角の推奨なのでデジタル版を通読してみたが、男性脳と女性脳の違いを強調する点などにかなりの違和感が残った。そこで黒川伊保子について調べてみたところ、同氏が監修し江崎グリコが展開した、子育て中の夫婦向けスマホ・アプリ「おしえて!こぺ!」で、夫婦間のすれ違いは「脳の差異」が原因だとしていること対して、SNS上で「性別役割分担を助長しかねない」などの苦情が寄せられ、同アプリは非公開となった。脳神経科学専門の四本裕子(東京大学准教授)も「安易に『脳科学』に理由を帰属させることは浅慮である」と問題視している。

神経科学者ダフナ・ジョエルは著書『ジェンダーと脳』において、「大半の脳はそれぞれ男性的な特徴と女性的な特徴の≪モザイク≫からなる」として平均的性差を認めつつ、それは個体の特徴を説明できるものではないと述べている。男性脳・女性脳の二分法は、「脳科学」にかこつけて男女の役割を固定化する「ニューロセクシズム」を助長しかねないとの批判は、”#Metoo運動”の中でも主張されてきた経過がある。

黒川の主張は性別役割分担を助長しかねない疑似科学だが、資本主義社会の矛盾を共産主義の脅威にすり替える反共思想の似非社会科学的性格と相通じるところもある。こうした疑似科学的主張を違和感なく受け入れられるのは、性別役割分担社会を克服する体制変革の指針たるジェンダー平等思想の核心を理解していないためであろう。

また、芳野会長はジェンダー平等を語る際に、しばしば「男社会をぶっ壊す」という表現を用いる。その心意気やよし、と言いたいところだが、性別役割分担社会を男性支配の社会とみなして、性別間の対立関係に解消する発想は、例えば生活保護バッシングや公務員バッシングのように、あるいは移民や外国人に対する排斥運動のように、社会的支配構造やその諸矛盾がもたらす不条理の本質を見誤り、身近に安直な敵を見出して攻撃する反知性主義的な態度にも通じるものがある。こうした発想を克服しなければ、世代間の対立や雇用形態間の対立を煽り、広範な労働者の連帯に分断を持ち込もうとする支配層の政策にも有効に対処することができないであろう。

連合のジェンダー平等・多様性推進委員会には、芳野会長の思想性に関わりなく、性別役割分担社会の克服に向けた取組みを着実に進めてゆくことを期待したい。

 

デジタル版現代の理論 VOL.32 (2022.11.7)より