プロローグ

Déjà vu

Déjà vu(デジャビュ)。既視感などと訳されるフランス語だ。2012年末総選挙による劇的な政権復帰から、「大胆な規制緩和」「機動的財政支出」「投資促進の成長戦略」など矢継ぎ早に経済政策を打ち出した安倍政権の所業を振り返るとき、ある種の折り重なったDéjà vuに見舞われる。それは安倍政権の諸政策が、ことの本質において何の新機軸を打ち出すものでもない、旧弊の焼き直しに過ぎないことと関連している。既視感はあくまで錯覚であるが、その前提には現実の記憶に刻まれた知見がある。いささか飛躍するようだが、安倍政権が呼び起こすDéjà vuの根幹には1973年の出来事が横たわっているように思えてならない。その出来事とは9月11日に勃発したチリの軍事クーデターである。民主的な自由選挙で選ばれた最初の社会主義政権であったアジェンデ政権は、米国系の鉱山会社を国有化するなどアメリカとの対立が続いており、クーデターはCIAの全面的な支援の下に敢行されたといわれる。ちょうどこの日、シカゴ大学にいたという宇沢弘文は、クーデター成功の報に欣喜雀躍するフリードマン門下の新自由主義者が演じた痴態を目の当たりにし、終生シカゴ学派とは絶縁する決意をしたとのエピソードも伝えられている。

フリードマンの門下生がクーデター成功に小躍りするのも当然であった。シカゴ大学で市場原理主義政策の旗手として台頭しつつあったフリードマンの薫陶を受けた経済学者=シカゴ・ボーイズの面々は、チリ・カトリック大学を拠点に、アジェンデ政権の発足直後から社会主義政権転覆に向けた策謀を巡らし、クーデター計画の実行が近づくと産業界を媒介として軍部と連携し、軍事政権成立後の指針となる市場原理主義の経済プログラム策定に心血を注いでいたのである。クーデター後に実権を握ったチリ陸軍のピノチェト将軍は、カトリック大学の多くのシカゴ・ボーイズを経済閣僚などの要職に抜擢した。フリードマン自身も経済顧問として迎えられ、彼の持論―民営化、規制緩和、公的支出の削減(除、軍事費)―を基に過酷な経済運営を指導した。それと併行して、アジェンデ派に対する軍部の悪名高い誘拐、拷問、虐殺の恐怖政治が続いた。1973年の9.11はCIAの援助の下に、文字通り軍部とシカゴ・ボーイズの二人三脚で完遂されたのである。民主主義の根幹を否定する市場原理主義の反労働者性を決して忘却してはならない。

1973年といえば、かぐや姫の「神田川」が爆発的にヒットした年であるが、世界経済や国際政治の舞台においても画時代的な変化が表面化した年であった。同年1月にはパリでベトナム和平協定が締結された。協定にはアメリカ合衆国、ベトナム共和国(南ベトナム)、ベトナム民主共和国(北ベトナム)、南ベトナム臨時革命政府(南ベトナム解放民族戦線=ベトコン)の4者が署名し、即時停戦や南ベトナムからのすべての外国軍隊撤退などが合意された。ニクソン米大統領は泥沼化していたベトナム戦争の終結を宣言し、3月末までに米軍の撤退も完了した。時代は東西冷戦体制の最中ではあったが、1968年のテト攻勢後に拡大した米国内反戦運動や1960年代後半における中ソ対立の激化、1972年のニクソン訪中と米中国交正常化交渉の進展など複雑な内外情勢の下で、米国は反共ドミノ理論に基づく直接的軍事介入路線の頓挫を受けて、市場原理主義を旗印としたグローバリズムによる覇権確立へと、徐々に政策スタンスを移行させていった。

1973年には、こうした米国の政策転換を決定づけるいくつかの経済的事件も起きている。ひとつは為替の変動相場制への移行により、第二次世界大戦後の世界経済秩序を支えてきたブレトンウッズ体制が崩壊したことである。1971年8月、米国が金とドルの兌換を停止(ニクソン・ショック)し、基軸通貨国の責任を放棄したことで、ブレトンウッズ体制はすでに事実上の解体に向かっていた。同年12月にはスミソニアン協定により、ドルを切り下げた新たな固定レートが設定されたものの、その後も米国の経常収支の悪化が続き、固定相場制自体が放棄されるに至った。いまひとつの出来事はOPEC(石油輸出国機構)による原油価格の1バレル=3ドルから11.6ドルへの大幅引き上げ(第一次石油ショック)である。1973年10月に勃発した第四次中東戦争は米ソの仲介でおよそ半月後には停戦に至ったが、アラブ諸国はこの戦争でイスラエルを支援した米国への報復として対米原油輸出を禁止し、湾岸産油国が中心となって原油価格が約4倍に引き上げられることとなった。

既に1960年代後半からインフレや環境問題さらに南北格差問題が浮上し、経済学第二の危機などと警鐘も鳴らされていた。第二次世界大戦後にケインズ革命の名の下に、欧米そして日本にも確立された福祉国家は、固定相場制に基づいて、資本の海外逃避を統制する権限を行使しながら、国内の所得再分配によって国民的福利を向上させてきた。また福祉国家は低コストの原油をベースに、重化学工業を軸とした技術革新を原動力に経済成長を達成してきた。1973年における国際経済の激変は、こうした福祉国家の存立基盤を掘り崩し、スタグフレーション(停滞下のインフレ)が各国経済を襲った。この機に乗じて台頭してきたのが、国民経済への国家の介入を極小化することで、生産性向上による経済成長が実現されるとするフリードマンの市場原理主義であった。混合経済や福祉国家さらには第三世界の開発主義など、国家の市場介入を容認する経済体制を敵視するフリードマンの市場原理主義政策は、同氏のノーベル経済学賞受賞(1976年)をも奇貨としつつ、英国サッチャー首相(1979年)や米国レーガン大統領(1981年)、中曽根首相(1982年)らに採用され、IMF(国際通貨基金)・世界銀行が発展途上国に課した構造調整措置(ワシントン・コンセンサス)のバックボーンともなった。

1973年9.11クーデター後のチリは、フリードマン主義経済政策の過酷な実験場となり、一時世界を席巻した市場原理主義の最初の狼煙となったわけだが、2008年9月にリーマン・ブラザースを破綻に導いた世界的な金融バブルの崩壊=リーマン・ショックをもって、市場原理主義時代は終焉したかに思えた。日本においても翌2009年には政権交代が実現し、民主党政権が誕生した。しかしこの政府は、国民生活を優先した福祉国家政策の再構築に向けたマニフェストを掲げたものの、自らの歴史的使命を果たしえぬまま、というよりは十分に自覚しえぬままに、3年3ヶ月の短命に終わった。その後を受けた自公連立の第二次安倍政権は、小選挙区制の恩恵も受けながら民主的な自由選挙を経て発足したとはいえ、一連の経済政策は、福祉国家を敵視したピノチェト政権張りのフリードマン主義=一度死んだはずの市場原理主義をゾンビのように復活させている。以下では、アベノミクスが引き起こしたDéjà vuの実態解明を試みる。

1.異次元の量的緩和・・・中央銀行からバブル・カジノの胴元へ

◆日銀への圧力強めた安倍首相

安倍首相は政権復帰以前の2012年9月、自民党総裁に就任するやいなや、デフレ脱却が捗々しくないのは日銀の金融緩和策が不十分で腰がすわっていないためだとして、日銀の責任を追及し、白川総裁批判を繰り返した。今日のデフレ不況が単なる経済循環の一過程ではなく、日本の経済制度・分配構造といった旧パラダイムの機能不全に起因するものであることに対する無理解をさらけ出した主張というほかない。同年11月には「大胆な金融緩和」に加え「円安誘導」を公言するに至った。次期首相の最有力候補がいくら野党党首時代とはいえ、各国首脳は為替レートのあるべき水準に言及しないという不文律を蹂躙する発言であった。こうした発言に対し、米セントルイス連銀のブラード総裁が「いわゆる近隣諸国窮乏化政策だ」と指摘したのをはじめ、ブラジルなど新興国からも通貨戦争への批判が相次いだ。

首相就任後の2013年に入ると、内閣に日銀総裁(および政策委員)の解任権を付与することなどを主な内容とした日銀法改正にも言及し、日銀への圧力を強化した。ドイツ連銀のワイトマン総裁は「新政権が中銀に干渉し、独立性を脅かしている」と懸念を表明するなど各国中央銀行から顰蹙を買ったものだが、当時の白川総裁は政府の無理難題に屈服して、インフレ目標2%に向けて無期限で金融緩和を継続するという合意文書を交わした後、任期満了(4月8日)前の3月19日に落魄の思いで退任した。中央銀行の独立性を毀損したことの咎は小さくない。最近の事例では2011-2012年の「ハンガリーの悲劇」が想起される。ハンガリー政府は中銀総裁解任権限を含む法改正で政府介入を強めた結果、IMF/EUは金融支援を停止し、国債格付けもジャンク債級に引き下げられ通貨も暴落し、半年後には這々の体で中銀法の再改正に追い込まれた。日本もいざというとき(安倍首相はそのときを呼び寄せている)に孤立無援の事態に陥る危険性がある。

安倍首相は、新しい日銀正副総裁の条件として「私と同じ考え方を有し、デフレ脱却に強い意志と能力を持った方にお願いしたい」との意向を表明していた。国会同意人事とはいえ、任命権は内閣にあるのだから誰を選ぼうと自由かも知れないが、自分と同じ考え方であることを条件にするのでは、首相が日銀総裁を兼務することと変わりがなく、中央銀行の独立性もなにもあったものではない。そうした中、鳴り物入りで新総裁に就任したのが黒田東彦元財務相財務官だ。彼は財務官時代の2001年~2003年にかけて巨額の為替介入を行ったことで知られている。

◆量的緩和の背景にある貨幣数量説

黒田新総裁は就任後初の金融政策決定会合(2013年4月4日)において、異次元緩和と自賛する「量的・質的金融緩和」策の採用を決定した。その主な内容は、①消費者物価年率2%上昇の「物価安定目標」を2年程度内に実現、②マネタリー・ベースと長期国債・ETF(上場投資信託)の保有額を2年で2倍に拡大し、③長期国債買い入れ時の平均残存期間を2倍以上に延長(現行3年程度を7年以上に)、④資産買入等の基金を廃止し、国債買入れは既存残高を含め長期国債の買入れに吸収、⑤「銀行券ルール」(保有長期国債の残高を日銀券の発行残高以下に抑える)の一時停止、などからなる。一般に金融政策は物価や景気変動の好転を促す触媒のようなもので、目的を果たした後には速やかに「常態」に復するのが本来のあり方である。つまり常に出口戦略を準備しておくことが求められる。その出口戦略が全く考慮されていないことが、「量的・質的金融緩和」が常軌を逸して異次元に迷い込んだ所以である。長期国債の購入は、政府の財政赤字を中央銀行が補填する財政ファイナンスに繋がる恐れがあり、一定の節度が求められる。白川総裁時代には通常の金融調節とは別に、リスク資産買入れのための基金を設けることで、日銀のバランスシート悪化に歯止めを掛けてきた。それを廃止するというのが上記④だ。その上でリスク資産を青天井で購入できるようにしたのが⑤である。

こうした政策はフリードマン流のリフレ論を地で行くものである。フリードマンは2000年にカナダ銀行が主催した講演後、ゼロ金利制約に直面した日銀に、どのような金融政策がありうるかとの質問に、「マネタリー・ベースの増加が経済を拡大させ始めるまで長期国債を買い続ければよい」と答えている。フリードマンの主張の背景にあるのは、フィッシャーの交換方程式で示される古典的貨幣数量説である。交換方程式は一定期間の通貨総量(M)と流通速度(V)の積、つまり総取引額は、同一期間の物価(P)と実質生産高(T)の積、つまり名目生産高に等しくなる(MV=PT)ことを表している。ここでVとTが一定であれば、Mを増加させることでPも上昇し、デフレ脱却、目出度し目出度しとなるはずだが、そうは問屋が卸さない。交換方程式のMとは、実際に流通・決済手段として用いられる現金や各種預金の合計であるマネーストック(従来のマネーサプライ)のことであり、日銀が金融機関から国債を購入してマネタリー・ベースを増加させても、それが現状のようなゼロ金利下で日銀当座預金にブタ積みされているだけではマネーストックは増加しない(貨幣乗数の低下)。そもそもフリードマンの発想は因果関係の捉え方が逆なのだ。デフレを貨幣的現象として考えるから、左辺(総取引額)が右辺(名目生産高)を規定していると錯覚してしまう。デフレを有効需要の不足と理解すれば、右辺のT(数量ベースの生産高)を増加させるための需要創出こそ、デフレ脱却の鍵であることが容易に知れるのである。

◆クルーグマンのインフレ・ターゲット

ゼロ金利下での貨幣数量説の限界に気付いたクルーグマンは、量的緩和によって有効需要を生み出す方法を思いついた。それが「インフレ・ターゲット」論であり、黒田日銀の異次元緩和の理論的背景でもある。「もし中央銀行が、可能な限りの手を使ってインフレを実現すると信用できる形で約束できて、さらにインフレが起きてもそれを歓迎すると信用できる形で約束すれば、それは現在の金融政策を通じた直接的な手綱をまったく使わなくても、インフレ期待を増大させることができる。」(1998)というのがクルーグマンの政策提言である。しかし、人々のインフレ期待や、実際にインフレが生じたとしても、インフレによる実質金利低下(期待)が投資や消費の誘因となるとは限らない。企業部門は既に大幅な貯蓄超過で、必要なら投資に回すべき資金は十分確保されている。家計消費についても、オイルショック後の狂乱物価時の経験によれば、消費性向はむしろ低下して貯蓄の目減りを穴埋めすることが優先されたのであった。仮に若干の支出増を促したとしても、それは将来支出を前倒しさせただけにすぎない。インフレ期待に対する各経済主体の反応は、クルーグマンの期待通りには行かないようだ

◆アベクロ異次元金融緩和のリスク

黒田総裁の「量的・質的金融緩和」がどれほど異次元に飛んでいるかを理解するために、日本と同様に量的緩和政策を継続している米国FRBの政策目標と対比してみよう。FRBは2008年11月から量的緩和政策を採用し、現在は第三ステージ(QE3)にある。2014年までの国債等の購入による資産増は対GDP比17%増程度が予定されており、これは白川総裁時代に予定されていた同21%増をも下回る(両国のGDPの大きさは異なるが)。それを黒川総裁は同40%増に持って行こういうのだから、まずもってスケールが違う。またFRBのバーナンキ議長は、2012年12月の公開市場操作委員会(FOMC)において、毎月850億ドルの資産購入(QE3)からの出口戦略を失業率6.5%以下またはインフレ率2.5%以上の段階(従って具体的な時期は不祥)で開始すると明言し、それまで無期限に資産購入を続ける事への懸念に対しては「FRBのバランスシートの規模がインフレ期待に与える影響は皆無である」と断言している

つまるところ、FRBの膨大な流動性供給は、株式市場の活況や住宅市況の底打ちにみられるような資産バブルを再生産しているのみである。日銀の「量的・質的金融緩和」も意図するところは同様である。重要な相違は出口戦略への心構えだろう。もとよりFRBの準備が万全であるとはとてもいえないが、黒田総裁の場合、従来の日銀が量的緩和策終了にあたって、手持ちの国債等を市場で売却する際の困難を避けるために設けてきた、銀行券ルールや購入国債の残存期間制限(3年以下)などの自主規制をすべて擲ってしまった。今の日銀の異次元緩和策を1930年代における高橋財政下の金融政策に範を取ったとする説もあるが、事実は異なる。当時の日銀は国債の直接引き受けまで行ったが、その90%以上を可及的速やかに市中売却して余分な資金を吸収したため、マネタリー・ベースの増加率は5~10%で安定し、物価上昇も2~3%に抑えられていた。経済・財政環境が全く異なっていることに留意しなければならない。

黒田総裁は自ら出口戦略を封印する一方で、市中の資金をリスク資産に向けて流し込む手立てを着々と進めている。そもそも日銀が長期国債を大量に購入することで、民間金融機関の保有資産満期構成は短期化する。日銀当座預金にブタ積みしておいても利ざやは稼げないので運用先を探すが、新規国債は日銀が7割を購入して品薄。そこでETFやREIT(不動産投資信託)などの市場整備が進められる。ここにも日銀の大量購入があって品薄となれば株式や外債など、よりリスクの高い債券市場へと民間資金が流入して行く。日銀の狙いはおそらくそんなところだ。外債は日銀が直接購入すれば円安誘導との批判も浴びるので民間に購入させたいところ。とくに米国債についてはFRBの出口戦略の助っ人にもなる。「ザ・セイホ」の復活か。2014年から少額投資非課税制度(NISA)が始まり、1571兆円の家計金融資産(うち848兆円が現金・預金)からのリスクマネー供給も狙われている。まさに「量的・質的金融緩和」の内実は、資産バブルを煽るカジノ資本主義の胴元にほかならない。

最後にアベクロ(安倍、黒田)金融政策自体のリスクを改めて列挙しておこう 。①大量の長期国債購入により、国債の先物相場が乱高下し、再三サーキットブレーカーが発動されるなど、市場機能を不安定化させる。日銀は大量購入で長期金利の低下(国債価格上昇)を企図したが思惑通りには進んでいない。②金融機関などのリスクテイクが過剰になり、バブルの膨張→崩壊により再度不良債権処理が問題となる。③インフレに伴う長期金利の上昇により、日銀自身を含めて金融機関の保有する国債の評価損が大きくなり財務体質を悪化させる。政府にとっても、金利低下ボーナス消失後の資金調達コスト上昇が財政を窮迫させる。④インフレ率が目標を超え金融政策の転換(出口戦略)が必要となったとき、異次元緩和解除には長期国債の大量売却のような異次元引締めが必要となる。長期金利急騰を避けるため長期国債はそのままにして、短期国債売りオペや超過準備金の利上げも考えられるが、何れも異次元の財政コストが発生する。財政維持のために長期国債購入を継続することは財政ファイナンスに外ならない。

通常のカジノでは胴元が必ず儲かる仕組みになっているが、アベクロ・カジノにおいては胴元が最大のリスクを抱えている。

2.機動的財政出動・・・旧態依然たる利権政治の復活

◆公共工事偏重予算の復活

自民党は野党時代の2012年6月に、民間資金を含めて10年間で200兆円規模の事業費投入を想定した「国土強靭化基本法案」を提出している。この法案は2012年11月の衆議院解散で廃案となったが、同じく廃案となった公明党の「防災・減災ニューディール推進基本法」と一本化され、「防災・減災等に資する国土強靭化基本法案」として2013年5月に再び国会に提出された。7月参院選前の国会で継続審議となり、秋の臨時国会で成立が目指されている。しかしこの法案は、基本法という法律の性格から止むを得ないところもあるが、内容が曖昧かつ抽象的で財源措置も明確ではない。「大規模災害に強い国造り」という、避けて通れない喫緊の政策課題に藉口して、分散化・ネットワーク化に逆行する巨大技術に基づいた、第二東名や中央新幹線、さらには耐震補強された原発などに代表される、総花的な公共投資ばら撒きの根拠法ともなりかねない代物である。加えて、これは杞憂かも知れないが、同法のかなりの部分が戦略本部や国民運動本部の指揮系統に割かれている点は、先の原発震災の経験に踏まえたとはいえ、かつての国家総動員体制の既視感が、ふと過ぎるのも安倍政権ならではのことである

案の定というべきか。政権に復帰した自民党は2012年度補正予算と2013年度当初予算を連動させた15ヶ月予算を編成し、補正予算を実質的に2013年度予算として支出することで公共事業を前倒し執行することとした。人=家計からコンクリート=建設業者へと政府支出の重点を転換した公共事業偏重型予算の復活である。2012年度補正予算13兆1054億円の大半(78.5%)は緊急経済対策費10兆2815億円が占める。その半分近くの約4.7兆円が公共事業関連費となっている。補正予算の主な財源には、約7.8兆円に上る大量の建設国債が充てられた。この結果、補正後の新規国債発行額は52兆円となり、民主党政権が財政健全化目的で設定した44兆円以下という基準を無視した高水準となっている。2013年度当初予算では公共事業関係費は、前年度当初予算比で概ね横ばいとなっているが、15ヶ月予算ベースでは10兆円を超え、突出した支出項目となっている。全体の予算規模は過去最高の92兆6115億円。新規国債発行額は、消費税率引き上げ分で償還予定の「つなぎ国債」(年金特例公債)を含めると45兆4620億円で、引き続き44兆円基準を破ると同時に、予算段階の税収見込みをも上回る額となっている。こうした新規国債の7割を日銀に引き受けさせるということは、政府の赤字を日銀券発行で穴埋めする財政ファイナンスそのものではなかろうか。金融緩和時の国債購入は財政ファイナンスとは断定できないとの評価もあるようだが、日銀は大量に購入した長期国債をどのように手仕舞うかの道筋すら示していないのである。

◆バラ撒き財源化された復興予算

一般会計の他にも復興特別会計(東日本大震災復興特別会計)の予算流用問題がある。NHKの報道番組などを通して、被災地の復興と直接関わりのない道路工事などに復興予算が流用されていたことが明らかにされ、問題が表面化した。流用問題の背景を遡ると2011年6月に成立した復興基本法(東日本大震災復興基本法)に行き着く。復興基本法の成立は民主党政権時代だが、自公両党は参議院での野党多数をテコに法案修正を迫り、三党合意案には被災地の復興に加え「活力ある日本の再生」という目的が挿入された。基本法の性格を考えれば、あながち的外れな修正とは言えないのだが、その結果として生じたのが予算流用スキャンダルであった。仕掛けは単純で、もともと特別会計は財政健全化枠組みの埒外に置かれていることから、一般会計概算要求のシーリング査定などにより、未達の事業を抱えた各省庁が予算制約のない復興財源にハイエナのごとく群がったというのが「流用」の真相だ。現在の与党である自公両党による復興基本法の修正は、「活力ある日本の再生」という曖昧模糊とした美辞麗句の裏側で、八方美人的に復興予算を各省庁に宛がうことが最初から意図されていた。何のことはない。復興特別会計も従来の特別会計と同様のバラ撒き財源にされてしまった分けである。

◆利権政治への道

これらは旧態依然たる利権政治の復活に他ならない。そのことを象徴するような事件が報じられた。東京新聞の2013年7月4日付け記事によると、自民党が政権復帰後、都議選や参院選向けの資金が必要であった2013年2月、自民党の政治資金団体「国民政治協会」が大手ゼネコンなどでつくる日本建設業連合会(日建連)に文書を送り、「強靭な国土」の建設へと全力で立ち向かっていると公共事業テコ入れの必要性を強調しつつ、4億7000万円の金額を明記して政治献金を要求していたことが分かったという。自民党執行部も同時期、石破幹事長らが連名で力添えをお願いする旨の文書を日建連に送っていたという念のいれようだ。

かつてであれば景気対策としての公共事業は乗数効果(波及効果)も含めて政策的な有意性を持ちえた。その前提は単純な景気循環の後退局面で、民間投資のフロンティアは存在するものの、一時的に有効需要が不足しているような経済情勢である。その場合でも公共事業は、景気循環が自律回復過程に入るまでの暫定的な繋ぎ役であり、いわば井戸に付けられた給水ポンプに入れる呼び水のようなものだ。日本経済の現状は単なる循環的な不況局面ではなく、重化学産業や重厚長大型企業にとっての新規投資機会が縮小に向かう構造的な変化の渦中にある。今、公共工事を中心に緊急経済対策としての積極財政を組むことは、枯れ井戸のポンプに呼び水を入れているようなものである。経験的にみても、橋本構造改革による景気低迷の後を受けた小渕内閣が、1998年から2000年にかけて積極財政に打って出たものの、戦後最短の脆弱な景気回復しか実現できなかった事実がある。政府は2014年度一般会計予算編成において、来年度の税収見通しが立たないことを口実に、概算要求基準(シーリング)の上限額を示さない方針を決めるなど、過去の経験から何も学ばず、敢えて公共工事に執着する安倍首相の狙いは、持続的な景気回復などではなく、政権基盤強化に向けた利権政治復活にあることは、火を見るよりも明らかではないか。

3.「日本再興戦略」・・・ゾンビ経済の延命を図る似非成長戦略

◆「特区」は治外法権の租借地だ

自民党安倍内閣は2013年6月14日、新たな経済成長戦略として、-JAPAN is BACK-との副題を付された「日本再興戦略」を閣議決定した。BACKには米俗語で「協力者」とか「助っ人」の意味もあるが、この「成長戦略」はいったい誰のために策定されたのだろうか。前項までにみてきた財政金融政策は、本来、景気循環の「触媒」や「呼び水」に過ぎないとすれば、第3の矢として提起された「成長戦略」こそ、アベノミクスの実像が浮き彫りとなる分野であろう。2013年4月以降、数次にわたって成長戦略が発表され、そのつど「女性活用」「医療改革」「国際競争力強化」「民間活力導入」等々が喧伝されているが、提示された政策群は総花的で、財界や内外のメディアからも具体性・実現性に乏しいとの批判が相次ぎ、株式市場もほとんど反応を示さなかったし、第3弾発表後には急落さえした。ただその一方で、すべての施策に利権の陰が付き纏っているようにみえるのは気のせいであろうか。

今回の「日本再興戦略」および同時に閣議決定された「規制改革実施計画」を併せて、改めて見直してみても、多少の化粧直しの跡はみられるものの、民主党政権時代の「日本再生戦略」の構成と大きな変化はなく、各省庁の作文を寄せ集めた感は否めない。閣議決定が参議院選挙前ということもあって、産業競争力会議や規制改革会議の論議と比べても、雇用・労働分野の規制緩和をはじめ、勤労者に与える影響が大きな分野には曖昧な表現が目立つ。しかし成長戦略で羅列されている規制緩和を、具体的に実現するための仕掛けが準備されていることを見逃してはならない。それは二つの「特区」構想である。その一つは「日本再興戦略」でも創設が謳われていた「国家戦略特区」。地域活性化だけでなく、国全体の経済成長の柱とするため、従前の構造改革特区制度の内容を大きく刷新するという。国の関与が強まることが特徴で、当面東京・大阪・愛知の三大都市圏が候補に上げられている。これらの都市に本社を置く企業が対象となればほぼ全国が制圧されてしまう形勢だ。いま一つが2013年秋の臨時国会に提出が予定されている「産業競争力強化法案」に盛り込まれる「企業特区」(企業実証特例制度)である。新技術の創出などを目指す個別企業に対して、特例で大胆な規制緩和を認める措置とされている。

これらの「特区」を活用することによって財界やメディアが求めて止まない、成長を阻害する規制の岩盤崩しを達成しようという分けだ。この「特区」なるものは、近代市民社会のど真ん中に、治外法権の「租借地」を設置するに等しい暴挙というほかない。しかし新聞報道によれば、金銭解決など解雇規制の緩和をはじめとした雇用規制を「国家戦略特区」で緩和することが検討されていたり、労働時間規制を除外する新たな職種の設定を「企業特区」で実施すべく、トヨタや三菱重工に導入を打診している、といったことが手回しよく進められているのが実態だ。今や、参院選前は衣の下に隠していた鎧が徐々に姿を見せつつある。

◆世界で企業が一番活動しやすい国

これと関連して「規制改革実施計画」よくよく凝視してみると、そこには重要なキー・ワードが記されている。例えば「国際先端テストの実施」がその一例だ。「世界で企業が一番活動しやすい国」を作るために、個別の規制の必要性・合理性について、国際比較に基づき、我が国の規制が世界最先端のものになっているかを検証するのが国際先端テストの目的であり、今後この手法を活用し、その定着に努めるという。企業が一番活動しやすい世界最先端の規制という概念は、後述のTPP(環太平洋経済連携協定)が掲げる高度な自由化概念と符合するものだ。この手法が活用され定着すれば、グローバル・スタンダード=アメリカン・スタンダードが、先に見た「特区」を媒介にして日本全国を席捲し、国際先端テストのもうひとつの目的とされる「世界で一番国民が暮らしやすい国」作りは、神棚に祭り上げ等閑視されることとなるだろう。

◆公正な配分の観点欠く「日本再興戦略」

「日本再興戦略」には公正な分配という視点が微塵もない。安倍首相は就任後の施政方針演説で、所得分配を繰り返しても持続的経済成長がなければ、経済全体のパイは縮んでしまうと成長至上主義論を展開したが、そもそも所得分配機能の放棄が経済の持続可能性を奪っていることには思い至っていない。そうしたスタンスから立案された「日本再興戦略」は、すべてが大企業や特権層に富を集中するための算段で埋め尽くされているといっても過言ではない。自民党が日本支配層の利益を代表する政党であってみれば当然のことであろうが、国民経済の健全な発展に心を致せば、誠に由々しき事態である。アベノミクスでいう成長戦略の成長とは何を意味するのか。それは、欧米先進国に追いつけ追い越せのキャッチアップ経済時代に、経常収支の天井を突破して貿易立国を牽引した重化学産業や、大量生産・大量消費(大量廃棄)で高度経済成長を領導した耐久消費財産業、そしてキャピタル・ゲイン狙いの債権市場を取り仕切る金融機関、これらの成長であり、利益機会の拡大である。

上記産業に属する企業の経営者は財界でもトップの座を占め、文字通り日本の支配層を形成している。確かにこれら産業は国民経済にとって不可欠の分野ではあるが、はっきり言って旧パラダイムで主役を張ったメンバーであり、新時代の国民経済に活力を供給できる面々ではない。換言すると、旧パラダイムではこれら産業の利益拡大が、国民経済全体に滴り落ち、国民生活も向上するという神話が通用していたが、今や神は死んだのだ。アベノミクスのゾンビ信仰は神話の続編を語り続けるが、神話の基底を流れるのは再分配政策を否定する、フリードマン流の小さな政府論なのである。

◆TPPは規制緩和の促進剤

もうひとつ重要視しなくてはならないのは、安倍政権の成長戦略=規制緩和政策がTPPと一体のものとして機能しているという観点である。最近、TPP推進論者は「TPPは規制緩和の塊であり、成長戦略の王道だ」「規制改革を通じた経済の再生はTPPの課題とも重なる。両者の違いは、自ら進んで改革するか、外国の圧力でそうさせられるか、だけである」と公言している。また2013年8月、米国議会調査局は日米関係に関する報告書で、TPPはアベノミクスの柱の一つである成長戦略の促進剤になると分析している。

TPP協定に関する懸念事項に対して、経済界やマス・メディアにおいては、それらは心配するに足りない「TPPおばけ」の類だとする反論が溢れかえっている。例えば食の安全に関しては、WTOのSPS(衛生植物検疫措置)やTBT(貿易に対する技術的障害)で確保されているという反論。WTOの協定で用が足りるのであれば、何をTPPで協議するのか。われわれが知りたいのは、今TPP交渉におけるSPSやTBTの作業部会で、WTO協定の運用を巡り潜脱行為に道を開くような論議がなされていないかということだ。幼稚な反論をしている暇に、NAFTA後のメキシコ農業や米韓FTA後の韓国農業の実態でもルポして貰った方が余程有り難い。また国民皆保険制度については、TPP交渉で国民健康保険制度は協議の対象にならないという反論。国民健保が対象にならなくとも、混合診療の解禁によってアフラックのような米国保険会社のビジネスチャンスが拡大し、公的医療保険制度の基盤が崩壊する危険性は多分にある。混合診療問題はTPP交渉もさることながら、併行して進められている日米二国間協議がどのような結論に至るのか、目が離せない。マイケル・ムーア監督が映画「シッコ」で描いた米国の惨状が、いつ日本の現実とならないとも限らない。極めつけはISDS(投資家対政府の紛争処理条項)への反論。この間、日本が締結してきた多くの二国間ETA/FTAにもISDSが含まれているが、大きな問題は起きていないというもの。確かに日本企業が外国政府から賠償金をせしめた事例はあるが、日本政府が海外投資家から訴えられた例はないようだ。しかしもともとの協定が一定の政府規制を容認する内容であれば、その協定に盛り込まれたISDSが発動される機会が少ないのは当然だ。一方TPPは、政府が自賛するように極めて高度な非関税障壁の撤廃(規制緩和)を前提とするもので、海外投資家の権益として保護される範囲も非常に広い。しかもISDSの副作用として、「規制躊躇(regulatory chill)」と表現される影響、すなわち政府が長期に渡る訴訟や損害賠償という時間と費用の負担を憂慮し、このような脅威を理由に正当な規制を思いとどまるといった状況にあることも指摘されている。1995年からOECDを舞台に協議され、経団連も推進の旗振りをしたMAI(多国間投資協定)が、TPPと同じく海外投資家に過大な権利を保障して国民生活を破壊するとして、労働組合などの国際的な反対闘争の中で頓挫した経過を想起すべきである

事程左様に、これらの「反論」は実態を理解せずなされているとすれば単なる無知なお人好しの亡国的妄言であり、現実の脅威を知りながらなされているならば悪質な欺瞞に満ちた売国的虚言である。こうした無知や欺瞞の洪水の中で、いかに真実を見極めるか、その眼力が求められている。

4.財政健全化・・・小泉・竹中構造改革路線への逆行

◆財政危機を煽る財務省

デフレ脱却に向けて日銀が異次元の金融緩和を継続する一方で、機動的な財政出動によって政府支出も拡大している。こうした状況下で異次元緩和が政府の財政赤字を補填するもの(財政ファイナンス)との批判を避けるため、財政規律の確立が、いわばアベノミクスの第4の矢として放たれた。

「日本再興戦略」と時を同じくして閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針」(骨太方針)では、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の赤字を2015年度までに半減し、2020年度までには黒字化を目指すことが明記された。この方針を受けて2013年8月8日に閣議了解された「中期財政計画」には、国の一般会計のプライマリーバランスについては2ヵ年で8兆円程度改善する必要があり、2014、2015年度一般会計の新規国債発行額はそれぞれ前年度を上回らないように努力するなどが書かれているが、それ以外は、「歳出・歳入両面で最大限努力する」、「歳出面においては、大胆なスクラップアンドビルドを行うことによりメリハリをつける」、「社会保障については、極力全体の水準を抑制する」、「社会資本整備については、選択と集中を徹底する」など、消費増税を織り込まない暫定計画段階とはいえ、まったく具体性を欠く表現となっている。要は、2014年度予算概算要求基準にシーリングを設けられなかったことも併せて、総選挙、参院選に勝利して戦勝気分に浮かれる族議員や利権集団を掣肘し、政府方針をまとめ上げるだけの腕力も調整力も安倍首相にはないということだ。さらに言えば、日本の財政状況は今のところ、喧伝される程には危機的ではないことを、与党も官僚も承知しているからこそ、こうした脳天気な計画を作れるのであろう。

一方、同日公表された内閣府の「経済財政に関する中長期試算」によると、消費増税を実施し、実質年率2%成長という極めて楽観的な前提に立っても、2020年度には名目GDP比で2%程度の赤字が残り、黒字化の目標は達成できないという見通しになっている。“社会保障費を含めた一段の歳出の切り込みが求められる”(日経)という次第だ。これもまた、油の切れた自転車よろしく二六時中「キキィ、キキィ」と財政危機(キキィ)を煽っている財務省流の恫喝には違いなかろうが、外ならぬアベクロ異次元緩和が財政の安泰を脅かし始めている一面もある。日本国債は自国通貨建て内国債であることが特徴だが、異次元緩和以降、国債先物市場は海外投機筋の独壇場のようになっている。異次元緩和が長期金利のボラタリティを高め、海外のヘッジファンドなどを呼び込んでしまったのだ。国債の債務を上回る資産を有し(米国は1400兆円程度の債務超過)、経常収支黒字基調で国債の国内消化が可能である限り、日本国自体がギリシャのようなソブリン・リスクを抱えていることにはならないが、長期金利が高騰すれば、自業自得とはいえ、日銀の債務超過や市中銀行の破綻といったリスクは高まろう。

◆社会保障費を狙い撃ちにした歳出削減

何れにせよ、財務省の計らいによって財政規律の確立は至上の命題となった。財政の健全化には歳出の抑制と歳入拡大、即ち増税の二つの方法しかない。まず歳出の抑制をみると、経済財政諮問会議などで財政健全化の本丸は社会保障改革と指摘されているように、社会保障・福祉関連予算の削減が最初に俎上に乗せられている。2012年6月に民自公三党合意による社会保障・税一体改革についての確認書が合意され(三党合意)、同年8 月10 日には三党合意に基づいた社会保障制度改革推進法案が、他の一体改革関連法案と同時に成立した。民主党政権下ではあったが、自公との妥協により、ことさら自助を強調することとなった内容につき、日弁連や労働弁護団からは「憲法違反」などの厳しい批判も寄せられた。

同法案では、社会保障制度改革のために必要な法制上の措置については、法律施行後1 年以内に、社会保障制度改革国民会議における審議の結果等を踏まえて講ずるものとされた。国民会議の最終報告が2013年8月5日にまとまったが、連合は「改革の名に値しない不十分な内容」「具体的な提案はなく、後期高齢者医療制度を肯定するなど、総論の考え方(全世代対象の社会保障への転換など)が具体論に貫徹されていない」などとする事務局長談話を発表した。確かに、格調高い総論に比べ、各論は押し並べて結論先送りの内容で、全くの竜頭蛇尾報告になってしまっている。そうなった最大の要因は政権交代・安倍政権の成立である。国民会議の議論については「社会保障や税制についての徹底した現状分析と問題の抽出が欠けている」といった批判もあったが、そもそも安倍首相は自助=自己責任を金科玉条に、社会保障を不倶戴天の敵とみなし、いかにして大幅に削減するかだけしか念頭にない政治家である。為政者に社会保障と税の一体改革を進める意志も能力もない以上、尊重されるはずもない報告書に具体的指針を書けと言うのは、民主党政権下で選任された委員諸氏にとってあまりに酷かも知れない。安倍政権は生活保護の給付水準引き下げや申請要件厳格化など、福祉切り捨て政策を勝手に遂行し始めている。

◆継続する富裕層優遇税制

さて、一体改革の片割れ、税制改革への対応ぶりをみると、自民党の階級的立ち位置が一層はっきりしてくる。2013年度税制改正大綱(2013年1月29日閣議決定)と2013税制改正法案(2013年3月29日成立)を槍玉に挙げ、問題点を剔抉してみよう。

まず高額所得者や富裕層の優遇措置については、所得税の最高税率(4000万円超対象)を5%アップの45%としているが、1974時の最高税率75%に比べれば実質据え置きに等しい。一方で2006年度税制改正の地方税一律10%、定率減税全廃などの低所得者実質増税(高所得者は減税)もそのまま。富裕投資化優遇税制も続く。2003年度税制改正で株式の配当や売却益が分離課税とされたのを維持。2014年から10%の軽減税率が本則の20%に引き上げられるが、総合課税で45%(それでも低すぎるが)の税率適用に比べれば半分以下。代わって毎年100万円、最大5年で500万円までの少額投資に対する配当・譲渡益非課税(日本版ISA)が導入されるが、これは優遇策というより一般投資家をカジノ的リスク投資に誘い込む罠と考えた方がよい。資産課税でも富裕層優遇が続く。相続税の最高税率(6億円超対象)を5%アップの55%としているが、2002年までの最高税率70%に比べればまだまだ低い。加えて子や孫に対する一人1500万円までの教育資金の一括贈与を非課税とする贈与税の抜け道まで用意している。その一方で、相続税の基礎控除減額が実施されるが、路線価の高い都市部に住む中間層の生き残りが小規模住宅の相続税を払えず物納など、生存権を脅かされる懸念もある。

◆至れり尽くせりの法人税制

大企業優遇の税制も目白押しだ4.5。法人税率は1984年時点の43.3%から徐々に引き下げられ2011年度税制改正で25.5%まで下げられた。2013年度税制では一定以上の設備投資、雇用・賃上げ、研究開発を行った企業に特別償却や税額控除を認める。加えて、安倍首相は2014年度についても消費増税と一体で、法人税の実効税率引き下げを検討するという。至れり尽くせりのようだが、法人優遇税制はこれに尽きない。引当金制度、準備金制度、連結納税制度、益金不算入制度、外国税額控除、様々な租税特別措置・・・数え上げたら枚挙にいとまがない。ここまで法人大企業ばかりを優遇する必要があるのだろうか。自民党税調の野田毅会長も指摘しているように、法人税の引き下げ競争は近隣諸国窮乏化政策に外ならないのだから、どこかで国際協調による歯止めを掛けなければならない。むしろ大企業は巨大な貯蓄超過部門となって、資金を貯めこむばかりで活用できていないのだから、国民経済のためにお金を活かして使うためにも、法人税の引き上げや内部留保、減価償却引当金などへの課税も検討してはどうか。そうすれば、税金で持って行かれるくらいなら、従業員に配ってしまった方がましだと考える経営者も出てこないとは限らない。安倍首相も本気で企業に賃上げをさせたいのなら、そんな法人税制を断行すべきなのである。この種の税金は二重課税の禁止に抵触するとされるが、最初の課税が足りないから別の税目で徴収するというだけの話だ。給与所得者は給料から所得税を引かれ、買い物をすれば消費税を取られ、同じお金に二回も課税されているではないか。そもそも政府の財政赤字は、大企業から応能負担に見合った徴税ができていないことが原因ではないのか。赤字は国債発行で埋めて利払いに四苦八苦だが、この構図、税金を負けてやった相手から借金をして利子まで払っているということだ。抜本的税制改革が、最重点に取り組むべき課題がここにある。

◆目的違える自民党の消費税制

最後に消費税については、幅広く全世帯から徴収して、育児・教育・介護などの負担を抱えた世帯に現金や現物を給付するための、いわば社会保障における横の再分配原資として税制の重要な柱を担うことが期待される税源である。しかし自民党や財務省の発想は、単に赤字補填の財源措置として消費税を位置づけている。「連合第3次税制改革大綱」も、それでは国民の理解は得られないと明記しているところだ。もともと消費税については本来の趣旨と異なった目的で導入され、異なった用途に使われてきた経過がある。自民税調の野田会長(前出)も認めるように、各国が消費税のような付加価値税を導入した背景は、輸出補助金として輸出企業に税額還付するためである。アメリカのように付加価値税を導入していない国がGATT違反として異議を唱えたこともあった。日本では年間の消費税徴収額は約12.5兆円だが、この内約2.5兆円が輸出企業に還付されている。税率が2倍になれば還付額も2倍になる計算だ。野田氏も述べているとおり、下請けからすれば自分たちに還元することがあってもいいのではないか、との感情が湧くのも当然である。消費税のもうひとつの役割として疑われるのが、大企業・金持ち減税の穴埋めではないかということ。消費税が初導入された1989年度から2012年度までの累計税収は約202兆円。この間の法人税および所得税の税率引き下げに伴う累計減収は約207兆円(法人税161兆円、所得税46兆円)であった。また消費税については、その導入に当たって逆進性の問題が指摘される。消費税は逆進性のない公平な税だと野田氏は強弁しているが、氏の言う公平とは誰も徴税から逃れられない、つまり取り逸れがないというだけのことで、公平でも公正でも何でもない。OECDが子供の貧困率というデータを初期所得と再分配後所得(初期所得-税・社会保険料+公的給付)の双方について公表しているが、日本はOECD諸国で唯一、再分配後の貧困率の方が高くなる国であった。その最大の理由は、粉ミルクからダイヤの指輪まで一律5%という消費税の逆進性によるものである。

◆復活する悪政

大企業・金持ち優遇税制を温存・強化する一方で大衆増税を強行する、そして社会福祉については給付の削減と負担増で勤労国民に痛みを強要する、かつての小泉・竹中時代へとタイムスリップしたような悪政が復活しつつある。思い返せば、1970年代には旧パラダイムに規定された経済システムの腐朽化が表面化し、金融資本主義化などの新自由主義的延命策で今日に至るまで命脈を保ってきたが、いよいよ断末魔を迎えつつある。歴史的な使命を果たし終えたパラダイムは、気の毒だが安楽死してもらうしかない。現状をこのように捉えるならば、アベノミクスは、パラダイム転換に景気対策としての財政・金融政策という蟷螂の斧で立向うドン・キホーテ、頑なに旧パラダイムに固執しているという意味で、歴史の進歩に対する究極の反動と断じざるを得ない。しかし残念なことに、アベノミクスの陥穽を論駁する識者の中にも、規制緩和による成長に活路を見出したり、財政規律至上主義に陥るなど、数十年にわたって主流派経済学の座に君臨してきた、フリードマン主義の呪縛に囚われている者が少なくないのも事実である。

エピローグ

クルーグマンのDéjà vu

ポール・クルーグマンやジョセフ・E・スティグリッツなどケインズ経済学系のノーベル経済学賞受賞者からアベノミクスに対する「肯定的」評価が聞かれる。彼らは何れも世界的な金融危機と実体経済の収縮に際して、財政均衡を至上とする緊縮政策に反対し、思い切った金融措置と財政出動で需要を拡大し、雇用を増大させるべきとの論陣を張ってきた。こうした観点からアベノミクスの政策群を「外形的」に評価しているようだ。それでもスティグリッツは、財政出動は低所得者層への配分など消費需要を喚起するものでなければ効果がないとして、公的支出の内容と質について注文をつけている

一方クルーグマンは、2013年1月13日付ニューヨークタイムスに安倍首相の経済政策を賛美し、その成果も初期の兆候としては上出来だと評価する短文を寄稿している。アベノミクス信奉者はクルーグマンに褒められたことで悦に入っているようだが、これをよく読めば彼の意図は他のところにあることが分かる。クルーグマンは、経済政策通とは言えない安倍という門外漢(ブレーンには多彩な学者が名を連ねているが全体の整合性は誰も意に介していない)の政策を持ち上げることで、これまで彼のインフレ期待値を高めるための政策提案をことごとく退けて、専ら財政引き締め策を主導してきた正統派経済学や各国当局への痛烈な意趣返しを試みているのである。

クルーグマンの安倍に対する人物評価は、同じニューヨークタイムス(こちらは電子版)に掲載された2013年1月11日付のコラムで明確に語られている。ここでもクルーグマンは安倍首相の政策を正統派の緊縮政策を打破するものとして評価し、安倍の主張は企業投資や家計消費の誘因として重要だとも述べている。問題はその先である。クルーグマンはノア・スミスのブログを参照しながら、安倍は世界大戦時の虐殺(南京大虐殺)を否定する国家主義者で経済学には関心がない人物と規定している。しかしそれはどうでもいいことだとクルーグマンは言っている。どうでもいいとは、経済政策の適否を判断する上で、その為政者の政治思想は関係がないということであろう。極めつけがこのコラムの結びである。善人が慎重さの余りに失敗を重ねているとき、邪な意図を持った悪党が経済政策的には正しい選択をするというのは痛烈な皮肉だが、こうした事態は1930年代にも生じたことがあるとクルーグマンは言う。彼が言う1930年代の出来事というのは、もとよりルーズベルト大統領のニューディール政策のことではない。

クルーグマンが想起したのはアドルフ・ヒトラー総統率いるナチス・ドイツの経済政策である。当初はケインズも高く評価したとされる初期ナチスの経済政策こそ、クルーグマンのDéjà vuを呼び起こした「元凶」なのである。とはいえ、1930年代に適切であった政策が今日においても通用するとは限らないが、初期ナチスの経済政策とアベノミクスは実質的な共通項はなく、似て非なるものというべきだろう。ナチスは1933年にワイマール共和政下の「民主的な自由選挙」で政権を奪取した。この時代は世界大恐慌の渦中にあり、ドイツでも大量の失業者が溢れ、農村も疲弊を極めていた。ヒトラーは政権に就くと直ちに「第一次4ヶ年計画」を策定しドイツ経済の再建に乗り出した

同計画は①公共事業による雇用の拡大。公共事業はアウトバーンなどの道路整備を中心に実施され、これが自動車産業の振興にもつながった。予算の半分近くが広義の人件費に充てられ、扶養家族を有する中高年層を優先的に雇用して世帯収入の安定を図った。②物価統制によるインフレ抑制。価格管理官制度を施行し原料や主要食料品物価を法定価格で統制。公共事業用地費は計画立案時価格に固定し地価高騰を抑制。③疲弊した農家や中小企業の救済。穀物価格安定法で農家所得を保障。世襲農場法で担保農地の接収を禁止し債務償却銀行が農家債務を肩代わり。債務保証協会を設立し中小企業金融を円滑化、などを軸に構成されていた。これらの事業計画には16億マルクの国債(労働手形、租税債、納品債など)発行などにより、初年度だけで従来予算の数倍に当たる20億マルクが計上された。この結果、ナチスの統計を信頼するならば、ドイツの工業生産は1936年には大恐慌前の水準を回復した。アメリカの復興が1941年を待たねばならなかったことと比べても急速な経済再建であった。失業者数も最悪期(1932年)に550万人に上っていたものが1937年には100万人を下回るところまで改善した。

ヒトラーは共産主義の脅威に怯える財界に巧みに取り入り、クルップ財閥など民族資本の利益をも担いつつ権力基盤を固めていった。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)と今日の自由民主党は、「名は体を表わさない」という点では相通じており、安倍内閣ナンバー2の麻生副首相(財務・金融大臣)は、憲法改正の手法をナチスに学ぶべきと公言している。ナチスの手法とは少数与党のヒトラー内閣成立直後に国会焼き討ち事件をデッチ上げ(真相には諸説ある)、共産党・社民党を弾圧(議員拘束)、直後の総選挙で連立ながら過半数を獲得、議院運営規則を改定して改憲をし易くし、悪名高い「全権委任法」を成立させてワイマール憲法を無力化させたことを指す。これは謀略と適正手続き(due process of law)の偽装を組み合わせた手口だ4。確かに陸山会事件等→小沢・鳩山排除→自公連立政権→憲法96条(改憲手続き)改正→憲法98条(緊急事態宣言)、99条(宣言の効果)改正という一連の手口はナチスからよく学んでいることが頷ける(もうひとつのDéjà vu)。

しかし両党の経済政策は片や教科書的なケインズ主義、片やピノチェト張りの教条的フリードマン主義(市場原理主義)と理論的背景を異にしている。ナチスは戦争準備に向けた「第二次4ヶ年計画」を策定し、最終的には膨張主義の侵略戦争や民族排外主義のホロコーストへと暴走して自滅したが、初期の経済政策は民族資本家のみならず窮迫した労働者・農民の支持を集める要素も持っていた(ただし実際の経済政策を立案・実行したのは非ナチス党員でドイツ帝国銀行総裁に就任した実業家ヒャルマール・シャハトであった)。一方アベノミクスは既にみてきたように、当初から、働く者に犠牲をしわ寄せし、専ら多国籍企業や金融資本の利益機会拡大を意図したもので、雇用の拡大も貧困や格差の解消も期待できないのである。日本の新しい宰相は、政治的に危険な国家主義者であると同時に、経済的にも初めから無謀な強権政治家として立ち現われている。

連合は2008年10月の声明で市場原理主義は終焉したとして、歴史の転換点に当たりパラダイムシフトを牽引することを宣した。また2014-2015年度運動方針(案)では、現状は大転換機にあるが、新自由主義的な政策が復活しつつある下で、さらにパラダイムシフトを進めるとしている。これをいささか牽強付会気味に解説すると、営利企業の私的利益追求が社会全体の利益増加に繋がるという、旧パラダイムにおけるアダム・スミス流の牧歌的自由主義市場経済モデルが重化学工業化の時代に挫折し、それに取って代わりケインズ革命が先導した福祉国家路線は、量産型耐久消費財を中心とした自由貿易時代の寵児となったフリードマン反革命による新自由主義王政復古で一頓挫したものの、リーマン・ショックで金融資本主義に傾斜した市場原理主義が破綻したため、21世紀の新福祉国家に向けた「危機脱出の経済政策」6.7が求められているということだ。アベノミクスは市場原理主義の最後の狼煙なのである。労働組合は、連合の情勢認識や運動方針の基調を全面的に支持し、ピノチェトやヒトラーの亡霊が蠢く政治経済情勢の下で、民主主義崩壊への危機感を共有しつつ、亡霊退治人(Ghost busters)として果敢に戦う決意を固めねばならない。