ご覧くださり
ありがとうございます🥰
このブログは
コロナ後遺症奮闘記を
綴っています❣️
❤️❤️❤️
今日は人生最もピンチだったと
言っても過言ではない出来事です😨
❤️❤️❤️
それではスタート‼️
「く、苦しい・・・!!!」
これは本当に死ぬかもしれない・・・
そう頭によぎったのは人生で初めてかもしれない…。
コロナ後遺症になってから急に心臓が
ばくん‼️
と動く事があったり、睡眠中に無呼吸になったり、胸を潰されたように苦しいことが多々あった。
大きい病院に行くも心電図と血圧と血液検査をするも特に異常はなく帰された。
(血液検査で異常が出ている方もいるので、ぜひ行ってみてくださいね!!DダイマーやBNPなど)
とは言っても無くなるわけではなく、時々その症状は出ていた。
ちょっと苦しいのではない。
ものすごく苦しい‼️
姉はすぐに治ってしまったが、夜中びっくりして起きるという事があったと言っていた。
フォロワーさんの方にもたくさん出ている。
しばらくすれば治ることが多いのだが、
今回は何かが違った・・
引っ越しで色々なところをくぐり抜け、すっかり体は疲れ切ってた。姉の結婚式が控えていたが、全く行ける気がしなかった。(都内ではなく県外だった為)
どうしよう・・・・
と思っていると、
親にその時あまり理解してもらえず
「来なかったら家族から外す」
と父親から言われてしまった。
(両親ともに教師でかなり厳しい家庭で育った。)
まだそこまでの遠征は出来るかわからない状況。初めから断っておけば良かったのかもしれないが、その時はまだ行けるかもしれないという一筋の希望を信じたかったのかもしれない。
けれども予想外の出来事が多すぎて、無理かもしれない・・・そう思っていた。
矢先!!!!!
とんでもない事が起こってしまう…
その日は9月末、姉の結婚式3日前だった。
今までにない大きな台風が来るという。
それまではたくさんの予想外な出来事に直面しながらもなんとかクラッシュせずに過ごしていた。
その日もいつも通り日常生活を送っていた。
夕方になって次第に黒い雲が厚くなってきた。
どーーーん
とかなり大きな雷の音がしたので、片付けて早めにお風呂に入ろうと思っていた矢先、
頭がトンカチで殴られたように痛かったのだ。
「え?」
コロナになった時も同じ痛みを感じた事があるが、今回のは何かが違う。
今まで起きたものを遥かに超えた痛さだった。
痛みはすぐに収まったので急いで、夕飯の準備を片付けをした。片付けてお風呂の準備をしているとものすごく苦しくなってきた。
これもコロナになってからよくある事だったが、(病院で心電図など撮り特に異常がないので、特に薬などは処方されていなかった。)
今回の苦しさも今までとは違う感じがした。
いつもならしばらくすると苦しくなくなったりするのだが、今回は苦しさが長く続いた。
少し落ち着いたかな?と思う事もあったが
それは5時間ほど続いた。
21時になりもうそのまま寝てしまおうかと思ったが、しばらく経っても眠れず冷や汗が止まらなくなった。
パルスオキシメーターを測ると、
90からどんどん下がっていくではないか
これはまずい
すぐに救急車を呼んだ。
救急隊員達はすぐに到着したがその頃には、視界がほぼぼやけていた。目は元々悪いがそれ以上にぼやけてほぼ人と認識出来るくらいしか出来なかった。
バイタル、熱などを測りおんぶされて救急車に乗った。(担架が家が狭くて入らなかった為)
救急車内でも素早くバイタルを測ったり、診てもらえる病院を探していた。
引っ越してきたばかりでどこに何病院があるかはわからずだったが、家のすぐ近くに大きな病院があることを知った。
そこに連れて行ってもらえるようだ!
救急車は5分もしないうちにその病院に着いた。ストレッチャーで運ばれ医師の元へと届けられた。
指にしている酸素飽和度はもう99まで上がっていたが、視界は本当にぼやけていて先生と看護師さんの顔はいまだにわからない。
自分で動ける?
と言われたが全く動ける状況ではなく、血液検査をしてもらい、そのまま簡易ベットで横たわっていた。
「こんなもの気にしすぎてもしょうがない!」
と自分の家からつけていたパルスオキシメーターを取られてしまった。
その医師は私に立て続けに
「どうやって暮らしているの?」
と質問した。
「傷病手当金をいただいて暮らしています。」
「税金ぶんだくって暮らしているの?」
それはそれは酷く人を見下したような言い方だった。
その頃は本当にまだ倦怠感もすごく、朝起きて休んで顔洗っては休んで歯を磨いては休んで、という生活をしていた。ので怒る体力さえ惜しかった。
「後遺症になる前は保育士幼稚園教諭を10年間していました。コロナ後遺症で悲惨な状況の方も多いですよ。」
働いていたことをしっかりと伝え煮えたぎるような怒りは抑え冷静にそう答えた。
すると医師はようやく聞く耳を持ったような表情になり「そうだよな〜。自分がコロナのワクチン打って植物状態になった人いたもんな〜。あれはびっくりしたよな〜。」
とさらった答えた。
衝撃の事実だ
自分でも体験があるではないか。そうなのだ。コロナ後遺症もかなり大変だが、ワクチンで亡くなってる方、コロナ後遺症と同じ症状になってる方は沢山居る。
この方は本当に医師なのだろうか。
人間性を疑う姿だった。
「ま、休んでて。」
そう言って医師は違う部屋に行ってしまった。血液検査が時間がかかる為そのままベッドで横たわっていた。
ほぼほぼ記憶がないが多分1時間くらいして病室に呼ばれた。その時は歩けるようになっていた。
が、まだ景色はぼやけたまま。
医師の顔もよく見えなかった。
Dダイマー(血栓が出来ている状態)を測るのが最近の主流らしいDダイマーも異常なく、他の血液検査も異常が無かったので家に帰った。
ほぼぼやけている中なんとか歩き、タクシーを呼んで帰った。
帰ると1時だった。
確か救急車を呼んだのは21時だった。
もうそんなに経っていたのか。
そう思い倒れるようにベッドに寝てしまった。
朝起きると視界も普通に戻っていたが、まだ胸の苦しさが残っていた。その日は祝日で昨日救急車で運んでもらった病院も休みだ。
この苦しさは大丈夫なのだろうか・・・?
通常の生活をして観察していたが、お昼を過ぎた頃からどんどん苦しくなってきた。
どうしよう。これはまずいかもしれない。
また視界が少しぼやかてきている。そして横になっていないとしんどくなってしまった。
苦しい OO区(自分の住んでいる区)と調べた。近いであろう大病院がヒットした。
すぐにそこに電話をかけてみる。
おじいちゃんが電話に出た。
「ああ、今日ね循環器科の先生おやすみです!」
となんと断られてしまった。
え!!!
他の先生ではダメなのか。断られるんだ。色々びっくり。そして引っ越してきたばかりでどこに病院があるかわからない。
そして祝日やっている病院が全然ない。
友達にも探してもらって一件見つけることが出来た!
見つかったのは15:30。その病院はネット情報によると16時まで。
電話をかけたが、「OO病院です。ご用のある方はメールフォームでお問い合わせください」そんな悠長な事をしていられないから電話してるのに…!
もういい!直接行こう!
タクシーを呼んで10分かかるとして、その病院までギリギリ16時に着くかつかないか、病院は16時ギリギリ1分過ぎた状態でも入れてくれる気がした。
とりあえずすぐにコンタクトレンズを入れて、準備しタクシーを呼んだ。
タクシーは予定通り10分で着いた。このまま順調に進めば16時ギリギリには着く予定だが夕方は道路が混んでいる。
タクシーの方もわかってくれて飛ばせるところはなるべく飛ばしてくれた。
が、しかし予想は的中し道路は混んでいた。
タクシーの運転手さんも私もドキドキしていた思う。でもいらぬ心配をしては体に悪いかなと思い、
「横になっていてくださいね。」
と、声をかけてくれた。本当にこの運転手さんは優しい。ありがたく横になりとにかく息を吸ってはいてを繰り返す事に意識して息を吸う事だけにフォーカスした。
車が少しづつだが目的地へと向かう。
ここを抜けたら着きますからね!
もうすぐなようだ。
しかしもうこの頃にはかなり本当に苦しい状況になっていた。意識が飛びそう…でもまだダメだ。
よし、よし、もうすぐ
気持ちを直して待っていると
「ここですね!」
と言われた。パッとみると閉まっている。
ここじゃないのかな?
マンションのエントランスにまでいくが、そこでは無かったようで、引き返してきた。
やはりここか!
もう全然閉まっている。
というかさっきまでやっていた気配もない。
同じとこをタクシーの運転手さんが言っていた。
ネット違うじゃないかー!
もう本当に苦しくなってしまって
動けなくなってきた。まずい・・・
そう思っているとタクシーの運転手さんが、必死に探し始めてくれたのだ。私が電話しタクシーの運転手さんがメモを取ってくれた。(この方素敵すぎるんよ。)
紹介された病院は3件
正直どこでも良かったのだが、一番初めにかけたところが今たまたま空いているようで受け入れしてくださった。
ありがたい!!!😭🫧✨✨✨
そしてタクシーの運転手さんは、すぐにその病院に向かってくれた。無事病院着き、
「ありがとうございました・・・」
小さな声になってしまったがなんとか振り絞って声を出した。
「いいんです。私もいいことをしたような気がします。」
そうタクシーの運転手さんは言い残し、その場を去って行った。本当に素敵なタクシーの運転手さんに巡り会えたと思う。
大きな病院の救急に入った。
入るなり横になり程なくして先生が到着した。するとすぐさま看護師さんにTシャツを捲り上げられた。
え!秒でヤングジャンプ!笑
すぐさまバイタルを測って血液検査なども行った。エコーもしたが心筋炎ではないらしい。
少しして先生に「ニトロ出せますか?」と聞いたら、ギョッとした言い方で「え?」と言われてしまった。
そして妊娠はしていないですか?とすごく何度も聞かれたことだ。
妊娠初期には同じように苦しくなって、慌てて救急に来る患者がいるそうだ。
なんか、前にもこんなことがあったような・・・
というかそれどころじゃありません!!!!涙
「してません!!!」
かなり真剣な言い方になってしまった。
本当だなと思ったのか。それ以上は聞いてこなかった。
なんだかんだ質問されていたが、とうとう目が開かなくなってきた。
「もうなんでもいいです。」
そう言い残し目を閉じた。開けようとしたが、開かなかった。するとしばらくして穏やかな気持ちになってきた。
私はこのまま死ぬのかもしれない・・・
そんなことを考えていると走馬灯が流れてきた。
人が亡くなる時にすごく穏やかな表情で亡くなっていくのは、死ぬかもしれないというのを受け入れていると同時に走馬灯を見て穏やかな気持ちになっているんだろうなと思った。
人生の0、1歳を振り返っていると、先生が慌てて
ニトロを!
と看護師さんに言っていた。
看護師さんは素早くニトロを持ってきて、先生が手にする。
「使ったことはありますか?」
と聞かれ「無いです。」と答えた。
舌の裏にシュシュっとするようで、口を開けてと言われ舌を持ち上げ先生がシュッとしてくれた。
次の患者さんが運ばれてくるようで私は別のベッドに移動した。
研修医の先生が来てくれて私の薬の状況など話す。そうしているうちに血液検査が出来たようで、Dダイマーが基準値より上をいっていること以外は何も無かった。
「CTを調べれば全てがわかるのですが、被爆の恐れもありますし、まだお若いですし妊娠の事も考えると今は避けたいと思います。後日血栓が出来ていないかエコーで調べたいと思います。」
そう告げ、もう調べる事も無いのでお家に帰されそうになったが、もうとんでも無く苦しく動けるよ状況では無くなって居た。
「ちょっと休ませてもらってもいいですか?」
蚊の鳴く声でそう私が言うと医師は「外来で?」とかなり怒った言い方で言い返されてしまった。が、全然動けない。
「どっこでもいいです!」
私も強めに返すと、この状況を把握してくれたのか思いやりなのか看護師さんに「ちょっと休ませてあげてください。1時間くらいかな・・・?」と言ってくれていた。
看護師さんは「その際先生は呼ばなくていいですか?」と言い、先生は「いや、呼んでもらっていいかな?」と答えていた。
私はというとその会話に少しホッとしながらも、とにかく息を吸って吐く事だけに集中した。
とにかく苦しかった。
意識もそのうち遠のいて行った…
1時間は経っていないのだろうか?
目が覚めるとあたりは暗くなっていた。
苦しいのは少し良くなったので様子を見ていた。
すると心臓が
ドクンドクンドクンドクン
と4回鳴ったのだ。
すると今までのが嘘かのように息がしやすくなり動けると言うか帰れる気がしてきたのだ。
ナースコールで看護師さんを呼び、「帰れそうです。」と伝えると先生を呼んでくれた。先生は
「血栓が出来ていると困るので今度検査しましょうね。日にちはこの日で診察はこの日で…」
と丁寧に説明してくれその日は帰ることにした。
つづく・・・
最後までご覧くださり
ありがとうございます🥰
いいね👍コメント📝
フォロー♥️大歓迎です🥳🫧✨