※ このブログは私が26歳の時に書いた記事を再編集してUPしてるものです。

 《3歳の頃のお話》


前書きに書いた通り、私は江別市という小さな街で生まれ、二階建てで小さな庭がついた
戸建て(持ち家)に住んで居た。
(後にこの家が…悪夢の始まりだったと知ったのは大人になってから…)

そこは学校が多い町で、回りには原始林を始め、まだ拓かれてはいない自然のとても豊かな所だった。

…数年前にその家の様子を見に行った時には…学生用のマンションや24時間営業の店が立ち並び、

私の家はすっかり日陰に隠され、側にあった空き地や沢なんかも…
全てコンクリで埋め尽くされていて…それを見た時はとても寂しい気持ちになりました…。



兄も私も子供の頃は病弱だったと書きましたが…
兄は生まれ持って、お腹の周りをぐるっと…癌細胞が取り巻いており、当時ではまだ珍しかった
放射線による癌治療を受けに東京の大学病院へ通っていたという…。
これも勿論、大人になってから知らされた事で…
この事が後々私達兄妹を引き裂くきっかけにもなっていたとか…。

私が生まれ持っていた病気は《乳製品アレルギー》という病気でした。
子供が口にする物。そのほとんどには乳製品が含まれていて、それを摂取する事ができなかった為、

重い栄養失調に陥り、髪の毛も赤茶けて、発育が大きく遅れてしまっていた…。

そんな子供二人を一生懸命育ててくれた両親は、とても苦労したと思います・・・




3歳頃の記憶…

何が1番強く残っているかというとやっぱり辛かった事悲しかった事恐かった事…。


好きな物が食べられなかったせいか…他の子と普通に遊べなかったせいか…
はたまた…その頃から少しずつ生じていた家族間の歪みのせいか…
私はもの凄く癇癪(かんしゃく)を起す子供だった…。
兄の子供時代には《反抗期》らしいものがまったくなかった為、私の癇癪は両親にとって、
余計に異常行動として受け取られてしまった。
疲れたのか呆れたのか…見離されたか…。母はよく私に

 『あんたなんかうちの子供じゃないのよっ!』

と、言った。
ある日その言葉に『出て行きなさいっ!』が付いて…
当時まだ3歳の私…
私はリュックに兄のお下がりで宝物だったミニカーをいっぱい詰め込み…
夜中に1人で家を出た…。

泣きながらとぼとぼと…1人で暗闇へと歩き出した…。

しばらく歩いて…母が慌てて飛び出してきて
『嘘よ!馬鹿な子ねぇ』と悲しそうに笑いながら抱きしめてきた…
安心したのと同時に… 《どうしてそんな酷い嘘をつくんだろう…?》
そう…心の中で思ったのを覚えている…。



私の家はリビングとダイニングが少し離れていて、1枚の簡易ドアで仕切られている創りだった。
家族はみんな…夕食を食べ終わるのが早くて、終わったらさっさとリビングに行ってしまい、
私はよく独りでダイニングテーブルに取り残されて居た。

 『全部食べ終わるまでこっちに来ちゃだめよ?』

そう言われ、母もリビングへ…TVを見ながら楽しく笑う家族の声が聞える…
私の前には《なめこのお味噌汁》…これをどうやってお腹に入れよう?
元々そんなにたくさん食べれないのを知っていて、母は私にたくさん食べさせようと無理をする…。
私はそっと…隣の洗面所へ行ってお味噌汁を排水溝に流した…。
それをたまたま様子見に来た兄に見つかり、怒って叩かれてしまいました…
そして、その次からなめこのお味噌汁が出ると、全部食べ終わるまで母がじっと見てるようになった(-_-;)
こりゃぁ逃げられない…お腹いっぱいなのに…無理矢理飲み込もうとして…
_| ̄|○、;'.・ オェェ (汚くてすいません…)今まで食べた物も全て吐き出してしまった。。。

…私はこの時からなめこを始め、きのこ全般が食べられません…(==;;



母方のおばぁちゃんとやや長い期間一緒に暮らしてた事がある。
2階の一番奥の和室はおばぁちゃんの部屋だ。
…なんでだろう…?理由はよく思い出せないが、たぶん遊んでるつもりだったのだろう…。
座ってる祖母の後ろから兄のソプラノリコーダーで思いっきり祖母の頭を叩いた事があるんだ…

…あの時のおばぁちゃんの痛そうな顔…悲しそうな顔…今でも深く記憶に刻まれている…。
 『…私はなんて事をしてしまったんだ…!』
…それ以来、私は人や生き物に手を上げようとした瞬間、いつもその顔が浮かんでくるようになり…

暴力に対する恐怖心が芽生えた…。




鮮明に残っている嫌な記憶はこのぐらいでしょうか…
こう…思い返すと、やっぱり3歳までの記憶って一生付き纏っているのですね…
大人になった今も、人に冗談でも見放されるような言葉に過敏に反応してしまいます。
更に、なめこ(きのこ全般)は今でも食べられずw、自分から手を上げようとすると震え出します…


でも…その後、大きくなるにつれ、当時楽しかった思い出もどんどん蘇ってきた…。
なぜかはわかる。とても寂しかったから…

家族が揃ってた、幸せだった、あの頃に還りたくて思い出に縛られ始めたからだ…。



《家族の紹介》

父は6人兄弟で4番目の子供だった。
整体師の一郎おじさん(長男)と私の父。この二人だけが兄弟の中で唯一大学にまで行かせてもらえ、

祖父にはひいきして可愛がられていたと…他の兄弟からのやっかみを何度も聞かされた…

私の父は地方公務員で転勤族だった。
昔から成績優秀、スポーツ万能、間違った事は絶対にしないっ!
物静かな方だが、厳粛な父であった。
見た目も…(背は低いがw)そんなに悪くない。と…思ってたのは私だけだったけどw
運動は何でもできる父は、中でも野球が本当に大好きだったらしく、社会人草野球に留まらず、

少年野球の監督も務め、母はそのマネージャー、兄はエースという…
ほんと、野球命!野球づくしの家庭でした…
おかげで私は野球が・・・好きじゃなくなった・・・


野球の話に行く前に母の話をしよう。
私が言うのは何ですが…母は誰もが認める美しい女性でした(*^^*)(元ミスコン女王デスw☆)
そして、母もまた成績優秀、スポーツ万能。
特に芸術的な分野に恵まれており、音楽のセンスは抜群☆
母はオーケストラの楽器は全て弾き(吹き)こなす事ができ、家では常にクラシックが溢れていた…。


さて、そんなサラブレット(?)の良血を受け継げたのは?! …それは兄だけ…|||(-_-;)||||||
兄もまた…成績優秀、スポーツ万能、母と同じく音楽の才能に恵まれ、学生時代はずっと
吹奏楽の部長を任され、何度も部を金賞に導いておりました。
顔も小さい頃は良かったなぁ。。。w (´- `*)


それに比べ私は… …何をやってもトロくて何でも一番最後…
物覚えも悪いし要領も悪い…。
こんなんだから両親や兄に限らず、周りの親戚にまで…
 『ミルちゃんは本当にお父さんとお母さんの子供なのかな?』
なんて…何度も何度も笑いながら言われました…(--;

だから私は家族やみんなと同じ事するのが嫌だった…。
どんなに頑張っても全然追いつけなくて、比較されて笑われるだけ…
家族が優秀だったから余計に…その風当たりが辛かった…。
(変わり者σ(-_-)と呼ばれるようになったのはこのせいか…)

『本当は私…この家の子じゃないかも知れない…』

そんな不安が幼少の頃からずっとあった…



《少年野球団》

野球の話に戻しましょう(^^;ゞ
一家で野球馬鹿だったうちは…朝から晩までほんと、野球野球の1日だったでした…
朝練・夕方~暗くなるまでグラウンドに…日曜日は野球少年団で試合やキャンプ。
父も母も他の子ばっかり面倒を見て、私の事はほったらかし。。
TVも野球ばっかりで、見たいアニメも歌番組も全然見せてもらえない…。

 つまんない・・・

だけど…野球をしている父も兄も…それを見つめ支える母もみんなキラキラしてて、
とても楽しそうで…私はそれが嫌だ!なんて…口にすることはしなかった。
独りで黙々とたんぽぽ摘んだり、貝殻や小石を拾ったり…
(そっか…だから今でも独りで居る時間が好きなんだ…)
昔から独り遊びが得意だったかも知れない。。。
年齢が近い子供が居なかったから、たまに遊んでくれる兄や部員達、そしてそのお姉さんとか。
その人達が《ちょっとかまってくれる》その事がスゴク嬉しくて今でも心に残っています(*^^*)
(…小さな喜びを大きく感じ取れる幸せな事だよね…)



《親戚の紹介》

父の兄弟はみんな仲良しで、お盆とお正月は必ず本家の田舎に帰郷していた。
家の前の道はずぅ~っと砂利道続きで、隣の家は見えないぐらい離れてる┣¨田舎。
そこでみんなで(また)野球をしたり、バーベキューやカラオケ大会とかして遊ぶんです。
今思い返すと、あの頃はみんな仲良くて、おじぃちゃんおばぁちゃんも元気で、
一番幸せで楽しい時代だったと思います…。


私の親戚。父の兄弟について簡単に説明すると…

長男:一郎叔父さんは地元で整体師。私の7つ上になる1人娘が居る。
次男:次郎叔父さんも地元でリサイクルショップを営み、のんびり気ままな独身生活を続けてる。
三男:三郎叔父さんは私が生まれた時にはすでに行方不明になっていた。
四男:『四郎』が私の父で、私と私の6つ上の兄
五男:五郎叔父さんは札幌でバイク屋をやっている。私の5つ上の女の子4つ上の男の子が居た。
六男:六郎叔父さんは東京。後に私の8こ下に♀。9こ下に♂。13こ下に♂と…従姉弟が生まれた。

そう…イトコは全員…私とは歳が離れているのだ…。

なので、親戚みんなが集まってもやっぱり独り遊びをするしかなかった私…。
でも独りで居るからこそ、大人と接する機会が多くてどうすれば大人とうまくやっていけるか?
子供なりに考えて、行動してた。当時の私はとても冷めた子供でした。
飲んではしゃぐ大人達に対して心の中で『ばっかじゃないの?』なんて思いながらもニコニコ…
無邪気な子供を演じていた幼い日の私…。

これらは全て、今の私が出来上がった要素になっております。




そろそろ引っ越しますか。。。(;´Д`A ```
なんか…タイトルに『幸せな時代』なんて書いたけど、本当にコレが幸せ?!
と…感じる内容になってしまいました(^^;ゞ
また楽しい思い出が蘇ってきたら随時書き足して行こうと思います(;´▽`A``


さて、次は私も4歳になって初めての転勤。
そして…そこから人生の奈落が始まるんだよね・・・

ぁ~ぁ。。。まだ生まれて4年しか経ってないのに・・・( ┰_┰) シクシク







人気ブログランキング

                            NEXT⇒