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「NHKみんなのうた」は放映開始から、すでに50年以上が経過し、50周年記念の年に、BSプレミアム「熱中スタジアム・特集:みんなのうた」に私はコメンテーターの一人として、出演させていただきました。
そのような番組でとりあげたのは、いわゆる人気曲「山口さんちのツトムくん」
「北風小僧の寒太郎」「コンピューターおばあちゃん」「メトロポリタン美術館」
などでして、私が気に入ってる歌では「地球を七回半まわれ」が、少しかかったぐらいでした。
ちなみに、先に言っておきますと、みんなのうたには、一曲も平吉毅州作曲の歌は、存在しません。「気球にのって」という、非常~~~に紛らわしいタイトルの歌はありますが、Nコン課題曲とは、まったくの別モノです。

それは昔、「NHKみんなのうた」放映20周年を記念して、「NHKテキストみんなのうた」(放映と連動して発売される楽譜)で企画されました。読者・視聴者から、みんなのうたにまつわるエピソードを募集したのです。
~「みんなのうた」20年をふりかえって~
当時、中学生だった私が「一番好きなみんなのうた」のテーマで選んだ歌は、なんと
『灯台守』。この歌は文部省唱歌でもありますので、ご存知の方もいらっしゃることでしょう。本来でしたら絶対、上記のみんなのうた用に、オリジナルで作られた歌にすべきだったのですが、それだときっと他の方とかぶる可能性があるわけでそれなら誰も書きそうもない歌を選んだほうがいいのではないか?
私はなぜか幼いころから「灯台」が好きであったし、なんといってもこのみんなのうたの「灯台守」を歌ったのが当時夢中で、その歌声が大好きだった杉並児童合唱団だったからでもある。
そして小説を書くのが趣味でもあった私は、当然ながら「灯台」が舞台の話も書いていたわけです。

――灯台に上りたい主人公の男の子、武(たけし)くん、その灯台に勤務する若手の佐竹さん、ベテランの小泉さん。(3人とも男性)病気がちだった小泉さんは、灯台に来なくなり、ある嵐の夜、武くんは佐竹さんに付き合い灯台の大切さを知る。翌日、電報が届き、佐竹さんは出かけて行った。それは小泉さんの危篤の報せだった。小泉さんの死は武くんには知らされず、遠くの灯台に転勤になったのだと、佐竹さんは嘘をつく。武くんは、将来、灯台の仕事につきたいという。しかしいずれ灯台は無人化され、「灯台守」などいらなくなるだろうと気づいていた佐竹さんは、青い海と空を仰ぐばかりだった――

今、思い返すと小泉さんは亡くなりますし、灯台守に未来はないですし、けっこう重い内容でした。当時、中学生の自分は、よくまあ、このような話を書いたものです。
この話は友人と朗読(ラジオドラマのような)してカセットに吹きこんで(時代ですねぇ)その、主題歌として「灯台守」も入れて、海のそばに住んでいる文通友達に送ったのでした。

幸いなことに、このエピソードは採用となり、みんなのうたテキストの1982年10~11月号に掲載となりました!テキストは隔月発行で、毎回2人ずつの掲載でしたので見開きページにもう一人、載るわけです。
その方が選んだみんなのうたは、これまたフォークの名曲でもある「バラが咲いた」当時、68歳の主婦の方でしたので、もうすでに亡くなっているかもしれません

終戦後中国から引き揚げてきて、姑の介護、娘さんの結婚、2人の息子さんの結婚そんなときテレビから「バラが咲いた」が流れ、口ずさみながらせっせと庭のバラの手入れ。近くに別居した息子さん家族、お嫁さんも毎日のようにたずねて来て、バラに囲まれ楽しい日々。そんな生活がいつまでも続くと思っていた矢先、旦那さんが亡くなり…バラの咲き乱れる五月、その思い出の家を明け渡し、バラの花に別れを告げて一人で「バラが咲いた」を歌った…

私のエピソードがフィクションなら、こちらの方は人生のドキュメンタリー。両方とも人の「死」が書かれているので、編集者の方は組み合わせに悩んだことでしょう。
――そして月日は流れて……
この、灯台とバラを見事につないだのが、ヨットが趣味でバラの花が好きな平吉毅州氏になろうとは思いませんでした!でも、ヨットというのは、灯台のあかりを目当てに夜に航行することは、あるのでしょうか…(夜だと漁船のイメージが…)

やっぱり、物事というのはどこかでつながっているのかもしれないと、思うのです。
あ、偶然でしょうけれど「バラが咲いた」のエピソードの方は、神戸在住でした。


2014年8月6日未明、おかげさまで訪問者が10000人を超えました。
最後に見たときは9997人でしたので、寝ている間に突破?
10000人目をゲットされた方は、履歴に残っていないようなので、
yahooブログを開設している方では、ないかもしれません。