実は、かつて平吉毅州さんと同じぐらい、好きな作曲家がいました。
有澤孝紀(ありさわ たかのり)さんです。
11月26日は有澤さんの8回目の命日です。享年54の若さでした。
もともと有澤さんはコーラスグループ「SOAP」の一員としてデビューしました。『アメリカン・フィーリング』などのヒットで知られている「サーカス」というグループがいますが、とても似たかんじでした。(パートはベース?)
しかし、SOAPは2年ほどで解散、その後、作・編曲家として活躍することになります。有名なのはアニメ「美少女戦士セーラームーン」の音楽ですが、私はブレイクする前のそれこそ、誰も知らないようなアニメソングや歌謡曲が気に入っていますね。
「ほしさがし」(まんが日本昔ばなし)、「きょうも一センチ」
「ちきゅうともだち」(ひらけ!ポンキッキ)あたりは、まだ有名か…。
「夏のペガサス」(コンポラキッド)、「月夜のポプリ」(プロジェクトA子 2)、「愛の天地球」「天地球 永遠に」(ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝)…
主題歌ではなく挿入歌やイメージソングで、もう、ここらへんになると伝説です。歌謡曲だと、知る人ぞ知る岡村佳枝ちゃんの「わたしのパーフェクトボーイ」「青い水彩画」、刀根麻理子さんの6thシングルのカップリング曲「EDGE OF LOVE」など。
(上記の「月夜のポプリ」はBaBeの1stアルバムにも収録)
有澤さんは、ジャンルも作風も平吉さんとはまったく違いました。曲に出逢ったきっかけも実にストレートで「あ、この曲好き!!」と思ったのです。そのときの憶え書きには「私の鼓動と同じリズムを刻み~」などと、実にキザな言葉が綴ってあったりしました。
私自身も曲を作りますが、有澤さんからの影響はコード進行や曲の展開など、計り知れないものがあります。当時は有澤さんのような作曲家になりたくて会社帰りに、作曲の学校にもかよっていました。
そして…今も昔もまるで変わらず、自分の情熱が、想いが、有澤さん本人に伝わればいいな、と願っていました。
有澤さん作曲の歌をメドレーにして、メッセージにも曲をつけて、カセットテープ(当時)に録音して贈ったこともありました。返事はきませんでした。 それでも、アニメーション関係の知人のはからいで、なんと「美少女戦士セーラームーン」のBGMのレコーディングを、見学することができたのです。そのときの貴重なツーショットが残っていますが、話せるような雰囲気ではありませんでした。このとき、自分の想いを伝えればよかった、握手でもしてもらえればよかった、と心残りです。
それから約10年後に、亡くなってしまいました。
新聞に訃報が掲載されたときには、もう葬儀は済んでいました。お墓がどこなのかもわかりません。どんな方だったのかも、よく知りません。自分の中での有澤さんの弔いは、まだ終わっていないのかもしれません。
有澤さんの代わりが、平吉さんなのかもわかりません。
たぶん、違うでしょう。なぜなら有澤さんを知るはるか前から、平吉さんの曲は知っていたし、自分の中にすでに存在していたのですから。
残念ながら二人の作曲家、有澤孝紀と平吉毅州は、もうこの世にはいません。それでも、私が生きている限り、このお二人の作品を、そしてお二人の存在そのものを、全身全霊で愛していきたいのです。
有澤孝紀(ありさわ たかのり)さんです。
11月26日は有澤さんの8回目の命日です。享年54の若さでした。
もともと有澤さんはコーラスグループ「SOAP」の一員としてデビューしました。『アメリカン・フィーリング』などのヒットで知られている「サーカス」というグループがいますが、とても似たかんじでした。(パートはベース?)
しかし、SOAPは2年ほどで解散、その後、作・編曲家として活躍することになります。有名なのはアニメ「美少女戦士セーラームーン」の音楽ですが、私はブレイクする前のそれこそ、誰も知らないようなアニメソングや歌謡曲が気に入っていますね。
「ほしさがし」(まんが日本昔ばなし)、「きょうも一センチ」
「ちきゅうともだち」(ひらけ!ポンキッキ)あたりは、まだ有名か…。
「夏のペガサス」(コンポラキッド)、「月夜のポプリ」(プロジェクトA子 2)、「愛の天地球」「天地球 永遠に」(ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝)…
主題歌ではなく挿入歌やイメージソングで、もう、ここらへんになると伝説です。歌謡曲だと、知る人ぞ知る岡村佳枝ちゃんの「わたしのパーフェクトボーイ」「青い水彩画」、刀根麻理子さんの6thシングルのカップリング曲「EDGE OF LOVE」など。
(上記の「月夜のポプリ」はBaBeの1stアルバムにも収録)
有澤さんは、ジャンルも作風も平吉さんとはまったく違いました。曲に出逢ったきっかけも実にストレートで「あ、この曲好き!!」と思ったのです。そのときの憶え書きには「私の鼓動と同じリズムを刻み~」などと、実にキザな言葉が綴ってあったりしました。
私自身も曲を作りますが、有澤さんからの影響はコード進行や曲の展開など、計り知れないものがあります。当時は有澤さんのような作曲家になりたくて会社帰りに、作曲の学校にもかよっていました。
そして…今も昔もまるで変わらず、自分の情熱が、想いが、有澤さん本人に伝わればいいな、と願っていました。
有澤さん作曲の歌をメドレーにして、メッセージにも曲をつけて、カセットテープ(当時)に録音して贈ったこともありました。返事はきませんでした。 それでも、アニメーション関係の知人のはからいで、なんと「美少女戦士セーラームーン」のBGMのレコーディングを、見学することができたのです。そのときの貴重なツーショットが残っていますが、話せるような雰囲気ではありませんでした。このとき、自分の想いを伝えればよかった、握手でもしてもらえればよかった、と心残りです。
それから約10年後に、亡くなってしまいました。
新聞に訃報が掲載されたときには、もう葬儀は済んでいました。お墓がどこなのかもわかりません。どんな方だったのかも、よく知りません。自分の中での有澤さんの弔いは、まだ終わっていないのかもしれません。
有澤さんの代わりが、平吉さんなのかもわかりません。
たぶん、違うでしょう。なぜなら有澤さんを知るはるか前から、平吉さんの曲は知っていたし、自分の中にすでに存在していたのですから。
残念ながら二人の作曲家、有澤孝紀と平吉毅州は、もうこの世にはいません。それでも、私が生きている限り、このお二人の作品を、そしてお二人の存在そのものを、全身全霊で愛していきたいのです。
有澤孝紀さんの今も残っているサイト:http://www.arizm.com/
