http://blogs.yahoo.co.jp/milestone78_0628/37282183.htmlのつづき

   それは」忘れもしない、2011年の年末のことでした。
「平吉毅州って、いったいどんな作曲家なんだろう…」
   ピアノコンクールにおいて、長女に入賞のきっかけをくれた、素敵なピアノ曲を作った平吉さんとはいったいどんな人なのか…と私は、この時点でこのひとりの作曲家に、とても強い興味をいだいていました。
ピアノ曲以外では、たまたま歌集に掲載されていた『気球にのってどこまでも』しか知りません。でも今はネットの時代、さっそく検索してみたのです。

   知っている曲がありました!『わが里程標』です。1981年(昭和56年度)のNHK全国学校音楽コンクール高校の部の課題曲で、キラキラしたイメージのイントロ、陰りのある2コーラス目、ラストに向けての雄大な転調、などを憶えていました。漠然と、里程標(マイルストーン)というのは、道しるべのようなものかな…と思っていました。
   当時のNHKでは課題曲紹介がとても盛んで、小学校の部の課題曲が    『未知という名の船に乗り』で、大好きな杉並児童合唱団が、サンプルを歌っているのがしばしば放送され、よく見ていたのです。
「高校の部」も一緒に見ていました。サンプルを歌っていたのは、松原混声合唱団か東京混声合唱団だったと思いますが、記憶は定かではありません。歌詞の朗読や、イメージ映像はかすかに憶えていますが、その他は思い出せないのでした。
    今思うと絶対に、作詞作曲者の、その曲に対するエピソード紹介のようなものもあったはずなのですが、平吉さんの姿をテレビで見た覚えはありませんでした。中学校の部の課題曲『うつくしい鐘が』の作曲者、飯沼信義さんがコメントしていたことだけは、なぜかはっきりと憶えています。

   私は高校生になり、部活はぜひ、美術部に入りたいと思っていました。音楽も好きでしたが、それ以上に絵を描いたり作品を作ったりすることが、好きだったからです。
   入学式のあとに、部活紹介も兼ねたステージ発表がありました。たった
5人の合唱部員が1曲目に歌ったのが…
聴き覚えのあるイントロ~♪時を追いかけ 駆けて行けば~
なんと『わが里程標』でした。
   これにて、あんなに美術部に入ろうと思っていた私の気持ちは、揺らいでしまいました。当時ママさんコーラスをやっていた母にも、合唱部入部をすすめられました。私の芸術選択科目は「工芸」でしたので、まず行くことはないと思っていた、音楽室の扉をたたくことになったのです。
私たちの学年が入部して、部員は20人ぐらいに増えました。

   そして、今も合唱団で歌うほど、歌や合唱とは長いき合いになることになるのです。
   『わが里程標』この曲がなかったら、私は合唱部には入っていなかったでしょう。そして里程標の意味ですが、やはり自分にとっては「画期的な出来事」が、しっくりくるかと思います。『わが里程標』、この曲そのものが、私にとっての里程標であったことは、間違いありません。

    これですべてが、完結したと思っていました。2011年も、もう終わろうとしています。まさか、さらに続きがあろうとは、考えもしませんでした。
(まだ、つづく!→
http://blogs.yahoo.co.jp/milestone78_0628/37770251.html
 関連過去記事:わが里程標
http://blogs.yahoo.co.jp/milestone78_0628/37212068.htmltml