今日は野暮用があって大学へ。春休みにある企画を立てているのだけど,その教室取りをゼミの先生が代行してくれるという。ふつうに考えたら,そこで敢えて自分が大学に行く必要はない。ただ,その申し出のメールには「何時ごろ来ますか?」というフレーズもあったもんだから,念のため時間を指定しておいて一応学校に行って,一緒に学事センターで教室取りを行うことにした。
指定の時間ぴったりに大学に着き,研究室棟へ。エントランスの電話機を使い,先生の研究室に電話。伺うと,いま在室で,すぐに玄関に下りてくるという。
しばらく待っていると,先生ではなく同じゼミのゼミ生がぞろぞろ出てきた。どうやら僕が電話をしたときにゼミ生たちが研究室にいたらしい。そのゼミ生と話しつつ,先生を待つこと約5分。先生が見えた。
ところが,である。先生はこちらに一瞥も,本当にちらりともまなざしを向けずに,先ほど研究室で用事をうけていたゼミ生に話しかける。そしてそのまま学事センターのほうへ歩き出す。学事センターまで一言も会話を交わさなかったのは言うまでもない。
いやー悲しいったらありゃしない。僕がそこにいるのは自明。用件も自明。なのに完全無視。ありえないね。
思うにね,挨拶って想像以上の効果がある。
普通の会話は,その会話の内容に高い価値がある。その点,「こんにちは」「こんばんは」「今日は寒いね」・・・ってな挨拶は,内容はあってないようなものだから,価値は一見低いようにも見える。
だけど,挨拶をするということは,あなたのことを意識しています,コミュニケーションをとりたいと思っています,大事に思っていますという言外の感情を伝えるという貴重な効果がある。この効果は,内容に高い価値がある会話ではかえって得られづらい。内容がない発話だからこそ,そういう部分の大切さがにじみ出る。
ある用件を伝える会話の前に,挨拶をしたり,あるいはとりとめもない話をするほうがスムーズに話が出来るのも,ここでいうとりとめもない話(=内容がない話)が挨拶と同じような効果をもっているからだろう。「挨拶は人間関係の潤滑油」とは上手いことを言い当てた表現だ。
何もかも自明な存在である僕が先生に完全しかとされたこちらとしては,恩師に,存在として軽視されていると思いが至ってしまっても仕方がない。それが故意であるにせよ過失にあるにせよ。だから,「悲しいったらありゃしない」のだ。・・・まあ,こうやって書くとどれだけ深刻なんだと思われそうだけど,別にそんなことはないけどね(笑)
ところで,大学に向かう途中,道でサラリーマンの待ち合わせに遭遇した。スーツ姿の男が二人立っていて,その二人に向かって僕の背後から一人のスーツ姿の男が駆け寄っていった。そのスーツ姿の男は「おはよう」と二人に声をかけ,声をかけられたふたりも「おはよう」「おはようございます」と応じていた。三人は道で待ち合わせていたようだけど,三人の人間関係の良好さがよく伝わってきて,全く見ず知らずの僕も快い感情を覚えた。
挨拶の役割。あんまり意識してこなかったけど,かなり大きい。挨拶を,できる限り大事にするようにしたい。