人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。(老子・荘子)
<現代語訳>
「人を知る者はせいぜい智者のレベルに過ぎない。自分を知る者こそ明智の人である。」
【智】も【明】も同じような意味で、「深い読みが出来る能力(洞察力)」を指しています。
しかし、【智】と【明】を並べた場合、
智よりも明の方が一段と深い能力であるそうです。
それは、人を知ること以上に自分自身を知ることの方が、はるかに難しいからです。
自分のことは棚に上げて、人のことをああだ、こうだとあげつらう。
人の欠点は良く見えるが、自分の欠点は見えないのです。
聖書にも似たような話が載っています。
(新約聖書マタイによる福音書7章3節から5節)
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目からちりを取らせてくださいと言えようか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることが出来るだろう。」
それだけ、自分を知ることは難しいのです。
孫子の兵法にも、
「彼を知り己を知れば、百戦危うからず」とあります。
闘いに勝つためには、敵を知るだけではまだ不十分で、さらに自分を知らなければなりません。
これは、戦いだけではなく、人生の厳しい局面を切り抜ける時にも全く同じことが言えるのです。
老子も孫子も紀元前の人です。
イエスも二千年前の人です。
今のような文明も発達していなかった時から、
「自分を知ることが人生において、最も大事なことであることを諭しているのです。
自分の強み、弱みを知ること
自分の良い所、悪い所を知ること
自分の得意とするところ、不得意・苦手とするところを知ること。
それを知ったから、それで終わりではないのです。
自分を知ることでやっと、人生と言う旅の方角が決まるわけです。
目標が決まったので、その目標に向かって進むことができるようになるのです。
それが人生目標を立てるためのガイドラインになるのです。