身をこれ治むる能わざるに、何ぞ天下を治むるに暇あらんや。 (荘子、天地篇)
自分一人の始末も出来ないものに、どうして天下を治める余裕があろうか、あるはずがない。
儒学でも「修身、斉家、治国、平天下」という。国や天下を治めようとする者は、まず、身を修め、家を斉(ととの)えなければならない。逆に言えば、身を修め家を斉えることが出来ない人間には、天下国家を治める資格はない、ということである。これが儒学の指導理念であった。
天下を治めるほどの立場でなくても、どんな組織でも、その責任者であるならば、リーダーとしてそれなりに説得力が無ければならない。そういう説得力と言うのは、一朝一夕には身に付かない。少しずつでも良いから毎日の積み重ねが大事なのである。それが「修身」とか「修養」に他ならない。そしてそれは人に言われてやることではなくて、自発的に自身が努力することによって身に付くものである。