ごとう ゆうき です。
「療育」って、
困難が減るように環境を整えることだと思う。
わが家の凸凹三男は、
発語がとても苦手です。
言いたい事、
伝えたい事があるのに言葉にできず、
本人も周りの人もイライラしています。
周りの人は理解してあげたいから、
何度も同じ質問をします。
でもしびれを切らした本人は、
「イヤッ!」
といって伝えることを辞め、
諦めてしまいます。
最近は少しずつ変わってきたのかな?
日本の教育って、
用意された箱にピッタリ合わせられるように、
コドモを変化させる感じですよね。
大人主導だなぁ~って思います。
国主導といいかえてもいいのかな。
昭和世代のわたしは、
まさに右習えの教育に染まっていました。
一方でアメリカや北欧などの教育は、
コドモそれぞれのユニークさに合うような、
不揃いの箱を用意して、
コドモが入りやすい箱に働きかけるスタイル。
コドモ主体ですよね~。
個人主体といえます。
障害のある無しに関わらず、
コドモたちが大人の定めた一点に
集められるのではなく、
コドモたちの個性が、
自分の個性を活かすために木々の枝のように
四方八方にのびのびと
散らばっていくイメージ。
そんな環境がどこにでもあればいいなぁ。
って思います。
その子が得意とする方法で学習の幅を広げる。
決められた方法ではなく、
「〇△という方法でできる子」
という関わり方がもっとあってもいい。
障害のある人だって、
「○△はできないけれど、
別の方法でならできるポテンシャルを
持っている」
と捉えることがポジティブな関わり方。
抱える障害のせいで困ることもあるけれど、
環境が障害のある人が生きやすい。
そうあれば、
障害はもはや障害では無くなると思う。
社会や世の中の、
障害・バリアに困らされているのであれば、
環境を変えて、
別のアプローチの仕方があるということも、
知っておいてください。
安心して欲しい。
自分に合った方法で、
自分の決めたことに向かっていい。
そんな恵まれた時代に、
今わたしたちはいます。
後藤 裕紀