「ウサギとカメ」に関して疑問がひとつある。
Wikipediaの「ウサギとカメ」の項目(1)には、「ウサギとカメ」の話がいつごろ日本へ流入したか、またどのようにして広まったのかについて次のような記述がある。
“日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。”((1)より引用)
また、事典サイト「コトバンク」で見ることができる『世界大百科事典』第2版(日立ソリューションズ・ビジネス提供)の「兎と亀」の項目(2)には、次のような記述がある。
“日本では1593年(文禄2)天草で刊行された《伊曾保物語》にその最初の形が認められる”((2)より引用)
同じく「コトバンク」で見ることができる『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』(ブリタニカ・ジャパン提供)の「兎と亀」の項目(2)にも、次のような記述がある。
“日本へはすでに文禄2 (1593) 年に伝えられている”((2)より引用)
これもおそらく、1593年刊行の『伊曾保物語』を指していると思われる。
1593年刊行の『伊曾保物語』は、イエズス会が天草で刊行したものである。もとはローマ字で記されているが、『吉利支丹文学集2』などで日本国字に翻字したものを読むことができる。なお、『吉利支丹文学集2』には「イソポのハブラス」という題で収録されている。
さて、私も『吉利支丹文学集2』(3)で、「イソポのハブラス」を確認してみた。すると「ウサギとカメ」の話がないのである(注1)。
ということは、先に引用した百科事典の記述は間違っていることになるが、なぜこのようなことが起きたのか。
この謎も名探偵アイドリング!!!に解いてもらいたいものである。
注1:国語教育を研究している府川源一郎は、江戸期までのイソップ寓話の翻訳に「ウサギとカメ」の話は入っていないと述べている(4)。イソップ寓話そのものの流入、広がりについても簡潔に書かれており、参考になると思われるので、少し長くなるが引用する。
“イソップ寓話が日本へ持ち込まれたのはかな
り早く、1593(文禄2)年、イエズス会が天草で活字印刷したものが最初である。これは、『エソポノハブラス』(ESOPONO
FABLAS)と題されたローマ字本で、日本で最初の翻訳文学書だといわれている。(『キリシタン版エソポ物語』大塚光信校注・角川文庫、ほかに翻刻)こ
の後、『伊曾保物語』と題した古活字本や写本が江戸期に普及し、近世の読書人に迎えられた。(『日本古典文学大系・仮名草子集』所収「伊曾保物語」、『万
治絵入本 伊曽保物語』武藤禎夫校注・岩波文庫、など)江戸期に普及したイソップ寓話は、町人の華美を戒めるかのような「教訓」が添えられたりしていて、
興味深い。しかし残念ながら、これら江戸期までの翻訳のなかには、「ウサギとカメ」の話は入っていない。”((4)より引用)
ただし、『エソポノハブラス』(イソポのハブラス)以前に、『エソポノハブラス』と古活字本『伊曾保物語』のもとになった翻訳本(祖本)が存在したとする研究があり、この説が有力なようである。
参考文献・サイト
(1)“ウサギとカメ”.ウィキペディア日本語版.2014年7月8日更新版(2015年5月20日参照)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%A1&oldid=52211447
(2)兎と亀(うさぎとかめ)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%85%8E%E3%81%A8%E4%BA%80-34449
(3)新村出、柊源一校註『吉利支丹文学集2』、東洋文庫、平凡社、1993
(4)府川源一郎「教育文化史としての「国語教科書研究」―イソップ寓話「ウサギとカメ」の場合―」『国語教科書研究の方法』、全国大学国語教育学会・公開講座ブックレット②、全国大学国語教育学会、2012