このブログは「何々を見ていない」とか「何々を読んでいない」とかという類の話を、馬鹿の一つ覚えのように持ち出すことが多い。きのうの記事(「銀色のこと」)なんかはまさにそうである。
人間誰しも、本でも音楽でも映画でもテレビ番組でも、見たり聞いたり読んだりしたことがあるものよりも、そうでないものの方が多いというのは当たり前の話だろうが、それにしてもその手の話題に頼ることが多くて(頼らざるを得ない場面が多くて、と書くべきだろうか)、書いてる本人さえ少々うんざりしてくるぐらいである。それでもまた、きっと同じことをしてしまうのだろう。
思い起こすと、そんな話を初めてブログに書いたのは「大いなる後藤さん ~A Tale of Two Tales~」(2013年12月26日)という記事だった。
後藤郁さんがクリスマスに合わせて「クリスマスカロル」というブログ記事を投稿したが、その元ネタであるディケンズの「クリスマス・キャロル」を読んだことがないので、ネタバレしないように後藤さんの記事は読まないでしまった、というようなことを書いた。
そして、「だから私は『クリスマス・カロル』を読もうと思う。そして『クリスマスカロル』をはやく読みたい」と記事を結んだ。ちなみに「『クリスマス・カロル』を読もうと思う」となっているのは、私が積読していたのが村岡花子訳「クリスマス・カロル」(新潮文庫)だったからである。
しかし、はやく読むどころか、いまだにどちらも読んでいない。
ここでも読んでいないと書いて、早速「また、きっと同じことをしてしま」ったのであるが、そんな口惜しさなんていうのはどうでも良くて、後藤さんの第一章「アイドリング!!!」が完結する前に「クリスマスカロル」を読まなかったのが、少し心残りなのだった。
いまさら、それはどうにもできないから、せめて第一章と新しいストーリーとの幕間に読もうと思う。