こんにちは。
お久し振りです。
下書きストックは、溜まりに溜まっているのですが…
簡単にかけるテーマではないものばかりが頭に浮かんできまして…。
自分が思ったことをなるべくそのまま文章にしていきたいのですが、なかなか思うように進める事が出来ず…更年期に邪魔されながら大変長い長い時間をかけて更新しています。(すみません。)
では早速になりますが、今日は少し子供の頃の話をしていきたいと思いますね。
まず、私自身がどんな子供だったかと言うと…小さい頃からまぁまぁ冷めた子供でした(笑)
小学校の低学年ぐらいまでは大人しい子供でしたかね~!でも高学年になる頃には結構おしゃべりな子になってたかも知れません。
中学生くらいから『笑い』を意識し始めました。
…ウケたかった。
取り敢(あ)えず、ウケたかった。
そんな感じです(ザックリだな~)
ところで皆さんは、反抗期ってありましたか?
私は反抗期らしい反抗期は無かったと思うんですよね…。
母は、今思い返すと『母』をとても良く頑張ってきたと思うんです。多分、『母と言うものはこういうもの』という考えがあり、真面目に向き合っていたというか…。
とは言え、どちらかというと不器用な母。共働きで忙しそうにしていた母に反抗しようとう気持ちは、あまり生まれなかったのかなと思います。
でも残念な事に…社会?世の中?に対する反抗心というか…十五の夜にバイクを盗みたくなっちゃうような心情(しんじょう)なんかは少々ありまして…
ん?いえいえ本当に盗んではいませんから。元ヤンでも無いですから。本当ですから。(何度も言うと嘘みたいですけど本当ですからー)
要(よう)するに家族に対する反抗期というものは、ほぼ無かったと思うんですが、何かには反抗してました(  ̄▽ ̄)
でも、大人を困らせる子供でもなかったんですよね。
私は、『大人の事情で仕方ないんだよ~』という困ってる大人の表情や状況を感じ取れちゃってる子供というか…
なので、凄く大人びて見えた子供だったのではないかと思います。
なんていうか……
『察(さっ)しがいい子供』だったんですね。
それが良いことなのか、そうじゃないのか、微妙(びみょう)な所ですが…。
父の子供の頃の話はと言うと…改めて思い出してみても殆(ほとん)ど聞いた事がありません。
多分、当(とう)の本人が覚えていないのだと思います。
自分が苦労した話は、『もうええって🤚』っていうくらい話してきますが…
(あるあるですよね~)
ウチの家族は、みんな『普通』がとても上手いんです。(父はとりあえず置いて。)
頑張れるんです。みんながやってる普通について行けるんです。と言うか、ついて行けてたんです。ずっと。
ですからウチの家族は『グレーゾーン』なのだろうかと思ったんですけど…
(父はとりあえず置いといて。)
てか、そもそもグレーゾーンってなんなんですかね?
グレーだろうが、ピンクだろうが、
困る特性は同じ様にあるじゃないですか?
その特性をくらえば、グレーだとしても同じ様に腹立つし、傷付くし、病んじゃうし。
………(  ̄ー ̄) (しばし遠くを見る私…)
ウチの家族は、皆さんが思う普通というものに子供の頃から『何か』を感じてたんではないかなぁと思うんですよね。
そして大人になった今、子供の頃に思ってた事を客観的視点(きゃっかんてきしてん)から見られるようになったのか、時々自分から当時の話をしてくれる様になりました。
『子供の頃は色々な事が分からなかった』と言われた事があって…。これって率直(そっちょく)に自分が感じた事を話してくれたと思うんですけど、人に説明しづらい事だなぁと思ったんですよね。
だって、子供が『色々な事を分からない』というのは当たり前の事だから。
でもきっと意味合いが違うんですよね。
『分からない』…の。
わざわざ『分からなかった』という単語を使って話すということは…
余程(よほど)分からなすぎて戸惑(とまど)った、大変だったと言いたいのではないかと思うんです。
話を紐解(ひもと)いていくと、特性の一つでもある拘り(こだわ―り)が根底(こんてい)にあって、そちらに気をとられてしまい行動が人と遅れたり、
相手の話してる意味が理解できなくて会話が楽しくなかったり、
取り敢えず(とりあえず)相手に合わせないと目の前の人は笑ってくれないので、自分の意思とは反する事をしなければいけなくて、苦痛やストレスを感じたり、
言われた事を頑(かたく)なに守り続けたり、これは多分、臨機応変(りんきおうへん)が苦手な所からきていて…。で、結果、融通(ゆうづう)がきかないと言われたり…。
ハッキリとは話してくれなくても、家族それぞれの思い出話を聞いて整理してみると…ざっくりとこんな感じなのかなと思っています。
そして、近くにいる私でさえ知らなかった、見えなかった経験をしてきたのかな…と最近思ったりするんです。
何て言うんですかね…
私はいつも思うんです。
何でキレるの?
しかも何でそんなことで?って所でって…。
…で、大体(だいたい)最終的に『私はやってる!』の話に持っていかれるんです…。
めっちゃイライラするんですよ!このくだり。
あ~、めっっちゃ、イライラするんですよ!(落ち着いて🖐️)
そして…『私はやってる!』モードに入ると、もう人の話は全(まった)く聞き入れようとはしてくれません。
本当にため息しか出ない。
(いや、他にも色々出てるか、も?)
その度に『またか、またこのパターンか…。』と怒りと落胆(らくたん)と疲労感が入り交じりに交じりまくって、ぐったりし、時には悲しくなったりもして…これ以上はもう何を言っても無理なんだなと悟(さと)るものの、中々(なかなか)慣(な)れることは無い言葉では言い表せない『うぁ~』という…この感情(だから落ち着いて🖐️)
で、何故『私はやってる!』になるんだと、考えてみたんですけど…
ウチの家族は、子供の頃から今まで周りに相当(そうとう)特性について色々言われてきたのかな…と。もしくは言われそうになって頑張ってきたのかな…と。
だからおそらく…こちらが『一つ一つ解決していこう』という気持ちで話している時、こちらの話が全(まった)くと言って良いほど入ってこない程(ほど)その心を支配(しはい)しているものは…
今までの恨(うら)みとも思えるような感情ではないかと思うんです。(プラス全く分からないという気持ちもあると思いますけど…)そしてその気持ちで一杯になっちゃってるのかなって。
『私は誰よりも苦労してきた!』
『努力してきた!』
『いつも精一杯やってる!』
『こんな私にまだ何か文句(もんく)がある訳?!』
…的な感じになってるのだろうか?
(想像のセリフを書いてるだけでなんか疲労する…)
つまり、話し合いをしている時に今現在(いまげんざい)の事だけを考えられていない状態って多分…『私の今までの苦労を分かって欲しい』って気持ちがいつも勝っちゃってるんじゃないかと。
そりゃあ、辛いよね…。
辛いと思う。
頑張ってるのに、その頑張りを分かってもらえないって感じるのは、どうして良いか分からなくなりますよね…。
でもね、
キレちゃ駄目だと思う。
キレてしまったら、相手の『話し合おう』という気持ちを踏みにじってしまうと思うから。
相手はあなたを責めたいと思って『話したい』と言ってるんじゃなくて、あなたの本当の気持ちを知りたいから、『話したい』と思ってるんです。少なくとも私はそうなんです。
でも、『話し合い』をするしないの時点で、いつも気持ちがスレ違っている気がするんですよね…。
そして、忘れてならないのは、関係が拗(こじ)れれば拗れる程、本当に責められてしまうという事。
だからこそ、最悪な関係にならない事が大事だと思うんです。『話したい』と相手が言ってきた時は、まだ修復可能(しゅうふくかのう)だと言うことを忘れないで下さい。
特性がある方は、自分の言動を理解しきれてない所がある事を自覚(じかく)する事がとても大切だと思う。
そして相手が改(あらた)まって話をしてきた時…『責めてきた』と思わずちゃんと話を聞いて、キレない努力は必要だと思うんです。
あぁ、 ただ平和に過ごしたい…。
改めて考えると、私は普通が分からないと思った事が無いんだと思います。
今まで普通を意識せずに過ごしてきたり、その普通が自分の本当に望むものではない時は選択せずに来る事が出来たんだと思います。
やっぱり家族のみんなとは違うのかな?
違うから苦しいのかな?
私が家族と同じ様に、普通が分からなかったら…同じ苦労をしてたら…もう少し気持ちを理解できるんだろうか…
と、思ったけど違うのよ~!!!
自分の事は分からなくても、人の事は分かってしまう、謎の器用さ!
それ何処(どこ)から来るの~?
私が特性について『特性』という表現をしなくても話すことが多くなった今、
他の家族に対しての事を話してる時『何でそうなっちゃうのかね~』という会話は出来てしまうのさ!
何故~???
自分が反対の立場なら、やっぱり嫌って事?
何故~???
本当に器用なのか不器用なのか意味不明です(  ̄▽ ̄)
では心置きなく何故~!と叫んだ所で今年最後のブログを終わりしたいと思います。
皆様にとって、来年も『生きてるだけで丸儲け』の年がやってきます様に…
どうぞ良いお年を!




