- 源氏物語私見 (新潮文庫)/円地 文子
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【内容】源氏物語私見・・・源氏物語に登場する人物に関して、円地氏の私見を交えて述べられている章。
源氏物語紀行・・・源氏物語に出てくる催事または場所に関する記述の章。
源氏物語の魅力・・・章題そのままにこの物語に関する魅力を述べている章。
の3章から構成されている一冊。
- 寂聴源氏塾 (集英社文庫)/瀬戸内 寂聴
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【内容】
第一章 永遠の文化遺産ー源氏物語と私
第二章 源氏物語を読み解く鍵ーなぜ女たちは出家するのか
第三章 こうして源氏物語は誕生したー紫式部の生涯
第四章 源氏はなぜ「危険な恋」を求め続けたのかー藤壺の宮
第五章 奔放な愛、知的な愛ー夕顔と六条の御息所
第六章 失意と復活の逆転劇ー須磨流謫
第七章 新たな出会い、そして別れー六条院の女君たち
第八章 最も愛され、最も苦しんだ女性ー紫の上
第九章 女人成仏の物語ー浮船
【感想】今回読んだのは円地さんの「源氏物語私見」の方です。瀬戸内さんの「寂聴源氏塾」は一年くらい前に読みました。
瀬戸内さんも円地さんも長年にわたり、一大絵巻である源氏物語を現代語訳に完訳されていますので、その過程において源氏物語について感じたことなどを述べられている源氏の教科書的な二冊になります。
最も最近の現代語訳者と言えば瀬戸内さんになられるのでしょうから、瀬戸内源氏と言えば現代の人には一番なじみかもしれません。
昨年あたりには、瀬戸内さんがNHKで源氏物語に関しての番組もやっていらっしゃったのも拝見しました。
それにしても千年も前の物語に魅せられて、本当に多くの方が現代語訳に挑戦されていらっしゃいますが・・・
(私はまだそのどれもを読破できておりません。瀬戸内源氏を読もうと挑戦している始めで挫折中、笑)
このように訳を終えられた方々の、教科書的なものを読んでしまうともう源氏物語に精通しているような気持ちになれてしまうのもいけないところかもしれません。
現代語訳で言うならば先駆者は「君、死に給うことなかれ」で有名な与謝野晶子さんなんだそうす。
wikiを見るとその後谷崎潤一郎さん、円地さん、田辺聖子さん、橋本治さん、瀬戸内さんなどなど多くの作家さんが現代語訳に挑戦されていらっしゃいます。
漫画では「あさきゆめみし」が有名ですよね。私も源氏に最初に触れたのは「あさきゆめみし」でした。
瀬戸内さんも円地さんも書いてらっしゃいましたが、現代語訳をするうえで一番難しいのは主語がはっきりしていなかった部分だとのこと。それを原文から読み取って現代の人に分かりやすく訳するのは本当に大変なことだろうと思います。
また作家さんによってもどのように原文の文章を現代語訳に表現するのかの挑戦の仕方も違っているようです。瀬戸内さんは円地さんの文章では、ベッドシーンの表現も果敢に挑戦されていると書かれていました。
高級な女性のそういうシーンはぼかすものなのか否か、原文に表現されていないシーンをどう表現するべきなのか、ここら辺は現代語訳をされた方々の思い思いにそれぞれの源氏物語が出来上がっているのだなという印象を受けました。
こういう教科書を読むと、本当に教えてもらえることがあります。
それは源氏物語が惚れたはれたのただの男女の恋愛を描いていて、平安時代の和歌を読んだり風流な生活を描いているだけではないとういうこと。
源氏という男の誕生から栄華、そして挫折という一人の男性の人生、平安時代の男性社会の権力闘争のきれはしをのぞかせてくれる物語であるということです。
また源氏が継母の藤壺の宮との熱愛により不義の子供を産ませた、罪の償いともいうべき出来事が源氏の晩年に起った時の、源氏の態度と父である桐壷帝との態度の違い。
その違いにより散々すごく立派で素敵な男であると表現された源氏の醜さが露呈するということなどなど・・・
そういう風に今まで源氏物語を感じたことはなかったので、新たな魅力に気づくきっかけにもなる本ということにもなるでしょう。
他にも400人弱ともいわれる源氏の登場人物たち。
やはり中心ともいえる人々は源氏と恋愛を織りなす女君たちですが、その女君たちに物語上でどういう役割があるのか・・・そんなことも解説してくださっています。
現代語訳に挑戦する前にこういう解説本を読んでから挑戦すると、また違った源氏物語の一面が見えてくるようにも思います。
小学生のころ、NHK教育で「漫画で読む古典」という番組をやっていました。私はその番組が好きでよく見ていたのですが・・・更級日記の時に更ちゃん(番組では菅原たかすえの娘を更ちゃんと呼んでいた)が昼も夜も忘れて源氏物語に没頭して、源氏という男そのものにほれ込みその時間がいかに幸せであったのかということが書かれてあったようです。
貴族の娘は部屋でじっとしていなさいという時代の平安朝では、物語こそが女性がまるで外に出て自分も世間をみて歩ける(実際には想像)手段の一つであったでしょうし、更ちゃんがどこまでも源氏物語に没頭する気持ちがすごくわかりました。
現代ではテレビも映画も芝居も娯楽はどこへいっても見られる時代になりました。
それでもそういう現代においても何人もの作家さんをとりこにして、数年という歳月を自分の自己表現である小説を作り出すよりも、源氏物語の現代語訳に没頭させる源氏物語はやはり素晴らしいものであるのでしょう。
しかし、現代語訳をされた作家さんたちも更ちゃんのように、まるで自分が源氏の近くで(平安朝で)生活し見てきたかのように源氏にほれ込み(谷崎さんは別であったようですが、物語そのものにはほれ込んでいなければ現代語訳はしないでしょう)、源氏物語または源氏に対する賞賛をおしみませんね。
それはやはり日本人の興味をくすぐり、ものの憐れを思い出させるからでしょうか?
YOU TUBEでアニメ映画「源氏物語」の英語訳つきのものを見ていたとき、源氏が藤壺の女御をおいかけまくるシーンをみた海外の方が「He should leave her alone(彼は彼女をほっておくべきだ)」と感想を書いているのをみて、現代の感覚からいえばこの海外の方の感覚こそが当たり前のことであるので、なんだかおかしくなって「その通りその通り」と笑ってしまった私でした。


