encore <コケティッシュ渋滞中>
あれから半年が過ぎ、季節はもう12月を迎え劇場ではチームK2がクリスマスイブ公演をやっている。
街角には電飾が施され、全ての人が幸せに包まれているように感じていた。
私は何故かオアシス21の上に一人で向かい、世界中の幸せを我が物にしたような顔したカップル達を眺めていた。
ひょっとしたら、私が選択していたかもしれない光景。

記憶を失ったはずの彼がその後姿を消したのはあれから直ぐの7月末だった。
「もう直ぐ誕生日だったのに、馬鹿」
全部を知った今でも、私の選択が正しかったのか判らない。
そもそも、本当に彼は記憶を失ったのか?
もし、この世に沢山の未来への分岐点があって、そのどれか一つには彼が笑っている未来があるのだろうか?
もし、その未来に向かって過去の私は未来を変える事ができたのだろうか?

半年前の選挙ではAKBの選抜に選ばれたけど、結局のところ少しの露出が増えた程度で、知名度的には特に変わらない。
実際にこうして、クリスマスイブにカップル達に紛れても誰も気付きやしない。
ましてや、私に見とれて渋滞など起きやしない。なんて自虐的な冗談を思いついて一人笑いをする。
結局、彼が命をかけてまで変えたかった未来とはなんだろう?
私が選択した未来とは?

「コケティッシュ~♪君に~♪渋滞中~♪」

きっと、そうじゃない、変えるのは過去でも未来でもない、自分。
髪の色だってなんだっていい。
現在の私は私の"責任"と"意志"で変革していく。
夜の初選抜の舞台となった場所で歌いながら、磯原杏華はこの曲特有の振り付け、指で輪っかを作って覗き込む。
その指で作った輪っかの中、ライトアップに照らされた沢山のカップル達の隙間から視線を感じる。
その眼差しはいつも劇場で感じていた温かさと同じだった。

「どうして?」少し腰を曲げ、前のめりになったまま硬直した杏華の指先に生暖かい感触が伝う。
問いただす先の彼は、光に包まれて幻のように実態が無い。
「話さなかったかい?僕はタイムスリップが出来るんだよ」無造作に近づき、光に包まれた彼は、はにかみながら答える。
「だって、記憶が無くなるってこあみが言っていたよ?」追い打ちをかける声はもう鼻声で胸が鼓動でおかしくなる。
「そうだね、確かにあの時は一旦記憶を無くしたんだ。でも杏華が病室を出て行った後、もう一人の僕が全部教えてくれたんだ、すれ違わなかった?」
「知らないわよ」
「まあそうだよね、知らないもんね。人にぶつかっておきながら、謝りもせずに凄い勢いで走って行ったと聞いたけどね」
泣きながら体にしがみつく杏華はその温かさに少しだけ落ち着いてきた。
「だからって、なんで今日ここにいるって分かったのよ」
「さあ、いると思わなかったもん。ただ、ここは僕にとっても大好きで特別な場所だから」
「この日のこの時間に来たのは、僕にとって必然だけどさ、巡り会えたのはやっぱり奇跡だね」
「はああん?ずるしたくせになんで奇跡なのよ。バカ」
彼は気まずそうに背中かから杏華を包み込む。その背中から感じる体温でその気持ちが胸の中まで伝わってくる。

「杏華、 何も迷ったりしなくていい」背中越しの声が真綿のように柔らかい。
「君はまっすぐに歩いて行ける強さを持っている」迷いのない声が背中を押す。
「その足跡はきっと繋がっている。焦ることないよ」希望が湧いてくる。
「振り返れば、今日は今日でよかったのさ」

「何それ、カッコイイ事言ったって、全部公演曲のパクリじゃない」泣きながら笑う私には彼の言葉が本当に愛おしかった。
本当にずーっと、ずーっとこのまま続いて欲しいと思った。
私の肩越しから胸の前に組まれた手をそっと自分の掌で包み込み、ずっとその柔らかい感触に癒されたいと思った。


「"ありがとう杏華"これだけが言いたかった。最後に会えて良かった」
「抱きしめられて、輝きながら消えていくって歌詞みたいでカッコイイな俺」

「バカ、それは私のユニットじゃないでしょ、それより最後ってなんなのよ」

「今握ってくれた手、こあみに貰った不思議な力、記憶が無くなる奴だから」
「相変わらずおっちょこちょいだな」

「騙したね、ぷんぽんだぞ」

磯原杏華が何とか振り絞るように出した声は、12月の風にさらわれた砂か灰の様に散ってしまい、彼の元には届かなかった。
ただ、そこの場所は少しだけ温かい感触だけが杏華の腕を通して伝わっていた。
さっきまでそこにあった感触が嘘のように、まるで"時間を超えて"人が消えてしまったかのように。
私の記憶と共に彼は去って行った。
そう、彼もまた小林亜実に会っていたのだった。

帰宅後もその日は結局眠れぬ夜を過ごすことになった。
彼は十分に策士だった私が消した記憶を未来からの自分に取り戻させ、その後今度はその逆に悩む私のために姿を消し、記憶が消えていない事を悟るともう一度だけ私の前に現れて優しく私の記憶を盗んで行った。

でもね、残念でした消えてしまった記憶は私の書いた手紙と一緒に同封されてきた写真によって補完されていた。
彼は時間旅行と記憶操作を使って私を出し抜いたつもりかもしれない。
でも、手紙だけは欺けない。ファンの皆が書いてくれるファンレターの様に、その時の気持ちを全部嘘偽りなく伝えてくれる。
そして、どんな未来から送られてきたのか判らないけど幸せそうに横断幕と一緒に写る私とその後ろにいる沢山のいそっぷの笑顔。
"きょーか""きょーか"とコールが今にも聞こえてきそう。
そこに紛れているあなたのくしゃくしゃな泣き顔が全てを思い出させてくれた。
横断幕に書かれた"2500→∞ 次の一歩へ!!"の文字、そのもう一つの未来に負けないように私は頑張ろう。
ふと窓から見える、白み始めた空を見ながら、私はこの先の未来のどこかの分岐点で彼に手紙を書こうと誓った。
ひょっとしたら、今度は彼が笑えるような結末かもしれない。
今の私には無理だったけど、過去に届ける荷物はあるんだ。

あの懐かしい校庭の鉄棒で、いつの間にか回れるようになった逆上がりのように
私は少しずつ成長するだろう。
その時は彼を"くぎづけに"するようなとびっきりの笑顔を見せてやろう。
あの時の好きだと言えなかった男の子に気持ちを伝えよう

それが私のはじめの一歩だ。

~fin~