奈良県桜井市の『安倍文殊院』にある歌碑です。



天の原 ふりさけ見れば

春日なる

三笠の山に 出し月かも

安倍仲麻呂


19歳で遣唐使として唐に渡った安倍仲麻呂が遠い異国の地で故郷を懐かしんで詠んだ歌です。
百人一首の4番に選定されています。


時の玄宗皇帝に気に入られ、中国名「朝衡(ちょうこう)」として50年以上仕えました。

一度帰国を許されましたが、途中で船が難破して引き返し、結局帰れぬまま唐の地で亡くなりました。

大詩人である李白や王維とも親交がありました。


とても優秀な人だったんですね。


味のある揮毫は榊莫山さんによります。

安倍文殊院のある安倍山は安倍仲麻呂の出生の地と伝わります。


こちらの浮御堂で阿倍仲麻呂がお祀りされています。



そしてこちらは奈良県橿原市にある『御厨子観音妙法寺』です。




阿部仲麻呂と同じ時期に遣唐使として唐に渡った「吉備真備」にゆかりのあるお寺です。


唐に渡った吉備真備は、日頃信仰していた観音様にご加護を祈り、「唐で学芸を修め、無事日本に戻ってくることができたなら、自分の領地に先祖の霊を祭る建物を造り、仏恩に報います。」と誓いました。

そして無事帰国出来たことを喜んで創建されたそうです。



命懸けの遣唐使、百人一首の11番の「参議篁(小野篁)」の歌


わたの原 八十島かけて

こぎいでぬと 人には告げよ 

あまのつり舟


は遣唐使として唐に渡るのを拒んだ小野篁が流罪に合い、都を追われる悲しさを詠んだ歌です。


遣唐使によって多くのものがもたらされましたが、嘆き悲しむ人も多かったのでしょうね。

もし大切な人が遣唐船に乗ったのなら、私なら生きた心地がしないだろうと思います。