ドラマ 『モリのアサガオ』 から学ぶ。 | 佐々木未来の目線から。

佐々木未来の目線から。

小さな私の目線からはこんな世界が見えるのです。

2010年10月18日(日)

この秋注目の新ドラマ 『モリのアサガオ』  がスタートしました。



佐々木未来の目線から。


おにぎりスキッパーズ2のメンバーが多数出演してるわけだし。

郷田マモラ先生 には多数お世話になっていますし、


なにより、あたしは結構この系の話題に大変興味を持っています。


日本の裁判員制度。そして死刑制度。


こういう話題を書くとコメントが大変なことになる…と分かっていながら書くあたし。

でも、これはあくまで今のあたしの想いなので、

あんまり深くは責めないでね。びくびく。


あたしがもし…って感じで全部考えちゃうわけですよ。

なにもかも。だって、法律のことなんて、日本のことなんて…この後どうなるかなんて…

全く分かるはずがないんだもの。


裁判員を国民の中から選び参加出来るようになる。ことは、とってもいいことだけど…

あたしが実際に裁判員になったら、どうなるんだろう。


ちゃんと判断をすることが出来るのかがとっても不安です。

今まで分からなかった仕組みが分かるようになる。

でもさ。たとえばさ。


殺人で被害者の遺族を目の前に、あたしはきっと懲役刑を選ぶことが出来ないと思う。

んじゃ、あたしは死刑を選ぶのか。


それを選んだら、あたし自身 『人間』 でいられるのか。

あたしが手をくださなくても、実際にボタンを押さなければならない仕事の人がいるのは事実。


そもそも、死刑制度ってどうなのか。

死んだって。死んだって。帰ってこないじゃないか。家族。

死んだって。死んだって。償えないじゃないか。罪。


許してもらう事なんか、出来るわけ無いのに。

死んだからってその家族が満足するわけじゃないのに。


『死刑』っていう考えは、すごーーーく昔からあるけどさ。


あたしは…死ぬよりも生きるほうがよっぽど辛いと思うからさ。


でも、あたしが被害者の家族だったらさ。

その人が生きてる事が本当に辛いのかもしれない。

生きてる事実があるなら、自ら殺しにいくかもしれない。

決して笑顔になんかなれない。


死刑制度があったとしても、なかったとしても、家族を失った悲しみは絶対消えない。拭えない。


でも、

ひどい殺人をした人達を社会に出さずに、死ぬまで一生置いておく施設なんてないわけで。

国としては、働かせることも出来ない囚人を何十年も保障することなんか出来ないわけで。


仕方なく処分せざるおえないのかもしれない。


処分…って。ものじゃないんだからさ。


でも。人を殺した時点で、あたしはその人たちは 『人間』 ではなくなってしまったと思う。

もの…っていうより、あたしには、大きな大きな 『怪物』 のよう。






知ることはいいことだ。

でも、知らないことが花なのかも知れない。


あたしはこの話題に興味を持ってから、テレビのニュースが嫌いです。

心が痛いです。

痛くて痛くて、チャンネルを変えてしまいます。





いまも。


胃が痛い。


だから、今日はこれで終わり。



佐々木未来の目線から。