ノルマンディー12日間⑰
<オワーズ>
オーヴェル・シュル・オワーズ
↓ゴッホの通った道を・・・
ゴッホが厳かなほど美しいと賞した
場所。ゴッホ記念館やゴッホ公園が
ある。ゴッホはオランダで生まれた
ポスト印象派の画家・オランダ・パリ
アルルと移り住んだ。生前,持病を
抱えていたが二千点もの作品を残した。
この村では70点を描き人生最後の
↓ゴッホやセザンヌもこの町
の絵を描いている。
ゴッホが「オーヴェルの階段」
として絵を描いている。
↓ゴッホが描いた絵で場所を特定説明
↓ゴッホ公園
イーゼンやカルバスを背負って立つ
↓ゴッホの像・(1853~1890年没)37歳
↓ゴッホが最後を過ごした ラヴェー亭
ゴッホの家として最期の10週間を
過ごした。3階の屋根裏部屋の4畳半に
下宿していた。最期の10週間を過ごし
70点の絵を残す。ゴッホの弟が病気に
なり、生活も大変になった事を知り、
自分のせいだと感じたゴッホは野外で
ピストル自殺を図りここに運ばれた。
弟はパリから駆けつけ最後を看取った。
ゴッホは生前生きてる間に売れた絵は
「赤い葡萄畑」1点のみ、亡くなった後。
「ひまわり」などの作品が評価された。
↓ゴッホが書いた教会の絵
ゴッホが医師のポール・ガシュの
もとに通い療養していた時に
完成させた作品ゴッホは
12~13世紀に建てられた
オーヴェルのノートルダム教会
↓ゴッホが描いた事で世界的に有名
になり1915年歴史的建造物に指定。
↓オーヴェルの町役場
ゴッホの絵そのままに残っている。
↓ゴッホが眠るお墓・1890年に
ゴッホはオーヴェルの墓地に埋葬。
↓お墓の周りは菜の花畑でした
↓ゴッホと弟は一緒に 弟のテロは
ゴッホに献身的に支えていた。ゴッホ
の死後、テロは6ケ月後にオランダで
急逝しテロの未亡人によって1914年
にゴッホの隣に埋葬した。二人は
↓ゴッホの「カラスのいる麦畑」の絵
はこの町の畑を見て書かれた作品
パリへ向かいます。18:00
↓4月のフランスは最高でした。
↓パリに近づくと渋滞に。
↓エッフェル搭が見えて
↓モンマルトルの丘
↓渋滞です
旅のデザインルーム恒例のお酒が
1ドリンクサービス・エスカルゴで
最後のホテルは4つ星ヒルトン
やっぱりヒルトンはいいな
↓機内食2回、途中お菓子
12日目4/30 成田着朝、8:00
旅のデザインルームさんから
集合写真とM男性添乗員さん
このコース凄くよかったです。