ガンビア+2国11日間⑦

<世界遺産:クンタ・キンテ島>

9日目2/6  ガンビア

クンタ・キンテ島

(旧ジェームス島)

の名前の由来・アフリカ系

アメリカ人作家のアレックス・

ヘンリーがクンタ・キンテと

いう若者が奴隷商に連れ

去られたという祖母の記憶を

頼りにガンビアのジュフレ村を

訪れ、古老の言葉から一族の

出自を突き止めた。自らの先祖

と位置づけたクンタ・キンテは、

18世紀に実在していた人物

だった。彼は17歳の時に奴隷

として連れ去られたとされて

いる。ヘイリーの小説がベスト

セラーになると、ジュフレや

対岸のジェームス島には多くの

観光客が訪れる様になった。

クンタ・キンテは、この島から

アメリカ大陸へ輸出されて

いったとされている。

<私は行かなかったので写真と

ツアー内容は聞いた話>

時計朝、8:00出発バス 

出発し8;30に船着き場へ

観光船は沢山あるけどここに

あるのは使ってないものもある

↓この船が貸し切りの船、

1時間船内で待ち9:30出航

(クンタ・キンテ島~

アルブレタ村~ジュフレ村)

 

 

観光船は沢山あるけど誰も

乗ってない。メンバーのみ

マングローブが見えます。

 

 

 

バンジュールの村から

船船が出航・・

↓バンジュールから船は出発、

アーチ22の建物が見える。

 

 

 

 

ガンビア川は1,130kmもある

ことから、果てしなく長い川と

して知られていて動物を

見れたり何百種類にもわたる鳥

が生息してバードウォッチング

をなども楽しめ楽しめ場所に

よってはカバやイルカも

いるんだとか

世界遺産クンタ・キンテ島

↓クンタ・キンテ島 

今はバオバブの木が多い繁る島

↓島への桟橋

 

島へ上陸

世界遺産クンタ・キンテ島

その遺跡群

クンタ・キンテ島は、最大で

川幅10kmほどにもなる

ガンビア川に浮かぶ小島で

セネガルのゴレ島と並ぶ、

奴隷貿易の象徴ともいえる

世界遺産。ガンビア川流域に

最初に到達したヨーロッパの

国はポルトガルで15世紀半ばに

入植地を建設しその時作られた

のが世界遺産に含まれている

サン・ドミンゴの遺跡群や

ポルトガル人の礼拝堂の遺構群

で当初は現地の首長と友好的な

交易を行っていたが、期待して

いたほどの黄金が得られないと

知るとポルトガル人はガンビア

を去っていった。16世紀に入る

と奴隷貿易が活発となり、

ガンビア川に浮かぶクンタ・

キンテ島は黒人奴隷の

輸出拠点としてオランダ、仏人

・次いで英国に占領され英国は

この島をジェームズ島と名付け、

1807年に奴隷貿易を廃止

する迄300万人ともいわれる

黒人奴隷がこの島から輸出

されていった。この間、要塞は

何度もフランスや海賊の襲撃に

遭われた歴史がある。

ここでの黒人奴隷貿易は莫大な

利益を得れたため、ドイツから、

英国や仏などで奪い合いが

ありました。

↓要塞の模型

 

 

 

バラン要塞

1651年に要塞が建設されて

以降、島の所有権は英国や

オランダなどの間で争われ、

要塞は7度も破壊と再建を

繰り返した。

1807年奴隷貿易廃止後の

密貿易を取り締まるため、

1821英国英国によって

六連砲台が建造され

6門の24ポンド砲からなる

砲台が対岸まで砲弾が届かない

という欠点があり1827年に

築かれたのが、同じく世界遺産

のバレン要塞。要塞&砲台の

コンビによって、ガンビア川の

航行は完全に英国の掌握する

ところとなりましたが、

1870年には役割を終えて放棄

されました。英国から独立

した際、ジェームス島から

クンタ・キンテ島に

名前を変えた。

 

 

 

 

 

 

時計14:30

クンタ・キンテ島の桟橋

時計14:45船に乗り対岸の

アルブレタ村に渡りました。

アルブレダ村

マンディンゴ人が暮らす農村で

ポルトガル人が建てた15世紀の

礼拝堂跡と西アフリカの仏会社 

旧社屋が残っており、それらは

世界遺産クンタ・キンテ島と

関連遺跡郡に含まれている。

また、村自体が世界遺産の

緩衝地域に指定されている。

 

世界遺産の一つでもある遺跡群

の一つで「CFAOの社屋」

奴隷制度廃止後の19世紀中頃

仏人が建てた貿易関係の施設

 

時間が遅れているので急いでの

観光、ゆっくり見てる時間が

ない

↓バオバブの木の幹

 

 

ここにもバウバブの木が・・

お土産も売られてました。

 

 

 

時計15:03

ジュフレはアルブレダ村と隣接

する村落だが21世紀初頭の

時点でもクンタ・キンテの一族

の末裔が住んでいる。

クンタ・キンテが生まれた家

も復元されており、

奴隷貿易博物館と

ともに村の名所となっている。

↓今は博物館になっている。

この島は奴隷貿易廃止後、

19世紀英国人が建てたもので

貿易関係の施設

「モーレル兄弟の商館」は

ジュフレの村にある唯一の

世界遺産で、現在は修復されて

博物館となっています。

根拠は定かでないものの、

『ルーツ』に登場するクンタ・

キンテはジュフレの出身とされ、

その生家という伝統的な

家屋も再建されている。

 

ナイフとフォーク時計15:40分ランチ

時計19:22 

晴れ太陽の沈むのをホテルで見る

予定がマングローブからの夕陽、

明日の飛行機が早朝で夜中2時半

に目覚めなければいけないのに、

今日は最後の一番のトラブル

夕食は時計ナイフとフォーク夕食は20:30

ホテルの前のビーチへ

 

ホテルから

 

 

 

リゾートホテルの宿泊客が

楽しんでました。

 

朝晩は涼しいのだけど、

日中になると気温は30度前後

確か夕食は17:30の予定、

帰ってきたのは時計20:00

夕食は20:30私は夕食は抜き

明日朝のBOXの果物を食べる

10日目2/7 時計早朝2:30

モーニングコール 

バスホテル発3:30

空港に朝、4時に着く。

空港税を徴収20ユーロ

イスタンブールへ

5時間の乗り継ぎが4時間になり

ビジネスに乗ってきた人達と

別れてラウンジで5人と食事を

しながらおしゃべりする事

4時間近く・今回のメンバーは

国数集めの人が半分、南極に

行ってる人半数・出身は

北海道から九州までの方

 

ラウンジは世界一広いんじゃ

ないかと思う位巨大なラウンジ

でビジネスラウンジより

いいんじゃないかと・シャワー

もありお酒も飲み放題、肉、

パスタ、パン、デザート何でも

ありこれで2000円もしない。

↓下には

バーカウンターもあり無料

ビリヤード迄あるラウンジ、

とにかく広い・・・

ナイフとフォークいくつもビュッフェがあり

ハンバーグも焼いてくれる。

ナイフとフォークカクテルジュース広ーいラウンジ

ジュースジュースも飲み放題 

といってもそんなに飲めない

けどね。

まだ、機内食も2回出るので

食べ過ぎに注意しながら雑談

トルコの航空内

空港内、お土産屋さん

綺麗でお多い多い

4時間ラウンジで待って

トルコ航空に乗り込む。

行きが通路が満席だったので

帰りは4500円払って通路を

確保しておいたら、なんと

後ろのゾーンはがら空き状態で

3席で一人だった。

ナイフとフォーク赤ワイン機内食を2回食べ

映画を見て時間を過す。

時計20時頃羽田空港に帰国

トルコ航空に乗り羽田まで

帰りは

11時間、羽田に無事帰国

   お疲れ様でした。