モーリタニア・セネガル・ガンビア11日間④

   <セネガル・サファリ~ガンビア入国>

2/3 6日目 

ゴレ島から戻り先日渋滞で行けなかったレトバ湖へ

ダカール市内は渋滞してました。

時計16:00車窓・レトバ湖に近づくとやたらセネガルの国旗

レトバ湖(ラック・ローズ)約3 km2の赤い水を湛えた潟湖。

バラ色の湖という意味でラック・ローズと呼ばれていて

パリ~ダカール・ラリーのゴール地点としても名高い。

ラック・ローズは水深は3 mと浅く、塩分濃度は最大で40%と

、海水の約10倍に達する。ラック・ローズの湖水が

バラ色になる理由は、ドナリエラ・サリナと言う藻類が

湖水中に大繁殖し、この色の色素を生合成しているため。

プランクトンの影響で赤くなった湖では、塩の採掘が行われている。

11月から6月の乾期に見られるそうだけどまったく見れず・・・

↓塩を採取する人々が働いていました。塩を頭に乗せ運ぶ

 現地女性

ここで採れる塩は塩分濃度が高く良質な塩がとれる。

水に入ると身体が浮く。ヨルダンの死海より塩分が濃い。

↓そして少し行くとパリ・ダカールの最終地点の看板がある。

1978年創始されパリをスタートしてセネガルの首都ダカールに

ゴールすることから、パリ・ダカールラリーと呼ばれていたが、

主戦場となるアフリカの政情不安により、2008年の大会中止

をはさんで2009年より南米大陸に舞台を移し、現在は

ダカール・ラリーと称している。競技者は、2週間をかけて

約1万キロにわたる砂漠や砂丘、土獏、荒野などの道なき道を

走り続け、総合タイムを競う。完走率が5割に満たない大会も

珍しくないことから「世界一過酷なラリー」と言われている。

バスバスで最西端のアルマディ岬へ向かう途中、車窓から

「アフリカ・ルネサンス像」高さ50m。アフリカ最大の巨像。

標高100mの丘の上に立てられているので、

50mという数字よりもはるかに高く見える大迫力の巨像。

セネガル独立50周年に記念して建てられた。男性が

左腕で子供を高く掲げ、右腕は寄り添う女性の背中に回す、

アフリカが長い人種差別や無知から解放された歴史を象徴。

ニューヨークの自由の女神像や、リオデジャネイロの

救世主キリスト像よりも高い。

↓アフリカ最西端の海の上に浮かぶ様に見える灯台

沈むまでは見なかったけど・アフリカ最西端のアルマディ岬

バスバスに戻る途中、ピンクの洋服を着た売り子さん

時計19:30車窓からはモスク 人口の90%がイスラム教徒

メンバーも夕食に半分しか来てない。夕食も遅いし

毎日30°以上なので暑いので体調調整かな・・・

2/4 7日目 時計6:00ナイフとフォークジュースコーヒーパン  レストランへ

パンコーヒー朝のビュッフェ フランス式なカフェオレカフェオレ

ホテルの10階へ行ったら遠くにゴレ島が見えると聞いたので

上がってきました。

↓ホテルから窓越しに遠くに小さくゴレ島が見えました。

時計⑧:㉚出発バス 車窓にセネガルのサッカー球技場が

バスバンディア動物保護区まで67km走る途中、バオバウ

木がいっぱい、セネガルの国のシンボルだそうで「星の王子様」の

中に出てくるバオバブの樹はセネガルがモデルと言われている。

大きいものは樹齢800年あるそうでその姿は何とも神秘的。

セネガルのバンディア動物保護区着

そびえ立つバオバブの木に囲まれたキリン、サイ、シマウマ

、ハイエナ、その他多くの動物を見ることができる。

↓ジープ2台に分かれて分譲し、サファリです。

サファリに出発です。

↓妊娠中のキリン

↓ダチョウ

↓黒いけど白サイ

↓グリーンベルベットモンキーとシロサイ

↓シマウマ

↓ホロホロ鳥

アンテロープ

 

 

とにかくバオバブの木がいっぱいでびっくり

休憩所があり食事も出来る

レストランもありゆったりした安心出来るサファリでした。

↓クロコダイルが沢山いる池

↓クロコダイルが動かずじっとしている。

 

絵が売られていました。

 

動物サファリはライオンなど肉食動物が少なかったので

迫力はなかった。穏やかなサファリで家族連れにはいいかもです。

バスバンディア動物保護区を後に時計12:30ナイフとフォーク昼食のレストランへ

ナイフとフォークジュースこのレストランの食事は美味しかった。

バス137kmセネガル第二の都市カオラックへ走ります。

途中、スーパーで買い物したり、モスクで写真stopも。

セネガル第二の都市カオラック

カオラックは、地域の重要な交易都市で、

セネガルの主要産業である落花生の流通と加工の中心地。

塩分濃度の高いサルーム川を利用した製塩業も盛ん。

セネガル・カオラックのホテル着時計19:00

時計19:00ホテルは川の前のコテージ

部屋は3回目のくじ引き 全てはずれ 

シングル部屋だったので2つの部屋に変えてもらった。

ナイフとフォーク夕食時計20:00夕食はエビやイカのグリル美味しかった。

2/5 8日目 朝、朝食のレストランへ

川が前にあるけど・・

 

フランスの植民地だったのでクロワッサンが美味しく

大きいのを2個食べオムレツも食べたのが食べ過ぎて後で大変

時計7:51分ホテルの前の川から朝陽を見て8:00に出発バス

今日はセネガルからガンビアへ国境を越える

泊まっていた外人の団体は荷物が個人でバスに持って行くか

ポーターにチップを渡すかの選択らいいのですが1個荷物が

無くなり、その後同じ入国なのに来ない・2時間以上遅れてる

ダカールへの道路は車窓がバオバブの木がいっぱい見れたけど

カオラックからガンビアまでの車窓はこの大きな木ばかりに

なってきた。家より大きな木で各家にはこの木がある。

バオバブの木に鳥が巣を作っている。

バスガンビア入国への国境まで114km

カラフルな洋服だけどとても似合ってる。

ガンビアへ入国は1時間位で入国出来ました。

ガンビア共和国

面積:1130平方㎞(ほぼ秋田県と同じ面積)

人口:264万人(2021年)

言語:英語・マンディン語

宗教:イスラム教(90%)キリスト教(10%)

略史:13~15世紀マリ帝国に属する

15世紀ポルトガルが進出

16世紀に英国とフランスが奴隷貿易で争う。

1783年 セネガンビアの大半がフランス領となる
1820年 英国がガンビア川を保護領とする

1886年英国が植民地とする。

1965年英国から独立

 

入国後、フェリーに乗って首都バンジュールに行くのだけど

船がいつも2船が1船しか通ってない為、3時間バスの中で待つ。

バス3時間近く待って、船が着き続々と人が降りてくる。

 

バスバスの中から・・村の一番えらい人に賄賂か何かで

先に船に乗り込む事が出来たけど、前に並んでいた車から文句

バスも乗れたけど壁と10cmもないのでドアが開かず

船に降りれない。エアコンは消さなければいけないけど

熱中症になるので特別にOKしてもらった。ガンビア

上下関係が一番大切で村の一番えらい人に賄賂を渡せば

どうにかなる。それがアフリカ まだまだお金次第

向こう岸まで25分が40分位かかり、何か騒がしいなと思ったら

船に乗っていた女性同士が殴り合いの喧嘩が始まる。

恐ろしい女性の強さ、収まったと思ったらその席は空に・・

まあ、パトカーも乗っていたので安心してましたが・・

時計15:00 ホテルを8:00に出て5時間かかりました。

ガンビアの首都バンジュールに到着して昼食へ

15時30分から昼食、もうお昼だか夕食だかわからない時間の

食事が多く16時半の昼食もあった。腹時計が狂うのも無理ない。

アーチ22

1994年7/22日に発生した無血軍事クーデターを記念して

建てられたものです。このクーデターによって大統領に

就任したヤヒヤ・ジャメは、20年以上にわたって独裁に

近い政権を維持してきましたが、2017年1月に赤道ギニアへ

亡命しました。ゲートの高さは35mという巨大なアーチ門

には登ることができ、バンジュールの景色を眺められる。

レストランの前に子供達が・・

ナイフとフォーク昼食後、バスバスの車窓からバンジュールの街の見学

↓カトリック夫々の大聖堂

バンジュールの市内観光

バンジュール自体は人口4万人程度の行政都市で

ガンビアの首都でコロニアル様式の建物が並ぶ街並み

 

バスから降りて市場を見学と自由行動・・

今日は38°らしい・・日本でこの温度で外を歩く事が

ないのでバテ気味、湿度がないのが救い。

お土産屋さんも沢山あったけど見ずに何人か座ってた。

リゾートホテル着、今回一番いいホテル。

↓ガンビアにこんなリゾートホテルがあるなんて・・・

みんな1階のプールが付きの部屋。だけど見るだけ。水冷たい。

最後の部屋は広くて綺麗

My プール・冷たくて泳げないけど・・・

夜のプールはライトアップ

暑さで体調が弱って夕食は抜く事に・・朝、クロワッサンと

オレンジジュース2杯が食べ過ぎたみたい。

2/6  9日目 時計8:00 今日は大事を取って今日の観光は

キャンセルして部屋で休むことに・・世界遺産だったんだけど・・

コツビーチ

コツ地区のビーチは、数多くの外国人がバカンスに訪れるほど

世界的に有名な観光スポット。白い砂浜と透明度の高い海。

ホテルの前の海を見てジュースだけ飲みに一人レストランへ

一人で寝たりニュース見たりまったりしてました。

しかし、クンタ・キンテ島へ行ったメンバーに散々なトラブルが

起っていたことを後になって知る。

 

            つづく