サウジアラビア周遊9日間①![]()
2023年12/7~12/15日
ツアー人数8名・合計代金一人83.9万円
(+2.3千円ビザなど込み)
12/7羽田発カタール航空
23:55発が12/8に30分遅れで離陸
食事は牛肉をチョイス
海外旅行もコロナ過で行かずに4年ぶりです。
2回目の食事は朝食パンケーキ![]()
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ドーハ乗継ぎサウジアラビアの首都リアドへ
サウジアラビア王国
面積:215万㎡㎞
人口:3348万人(2024年)60%が20代で
全人口の中央は29歳
首都:リヤド
言語:アラビア語,英語
宗教:イスラム教 1日5回のお祈り。
時差→6時間
略史:1744年,サウードが宗教指導者ムハンマド
と盟約を結び,こちらがしっかりサウード王国の
基礎を樹立。19世紀中頃にサウード王家は一時
アラビア半島の支配権を失ったが,1902年同王家
の血を引くアブドルアジーズが,リヤドの支配権を
サウード家から奪還。1932年に現在の
サウジアラビア王国の初代国王となる。現在の
サウジアラビアは観光客もスカーフを付けるのは
モスクだけになりました。服装は長袖に身体の
線の出ない服,ミ二は御法度お酒は禁酒で豚肉も
食べれません。
↓サウジアラビアの地図
↓サウジアラビアの国旗
サウジアラビアの国旗はイスラム教の
信仰と聖地の守護を象徴している。
緑の地色: イスラム教において聖なる色とされており
預言者ムハンマドの娘ファティマやムハンマドの
ターバンの色に由来するとも言われている。
天国や肥沃さを連想させる色でもあります。
剣: 聖地メッカの守護,イスラムの力,初代国王の勝利
そして愛国心を表している。
現地ツアーの会社がTV「池上彰のニュース」のロケ社
日本が好きで大学生で埼玉にホームスティ
ガイドのハリドさん
2日目12/8
朝11時過ぎにリヤド着
首都リアドの観光です。バスは47名乗りの
大型バスに8名で皆,一人4席使えました。
石油に依存しない経済作りの一環として
ムハンマド皇太子の指示でサウジアラビアは2
019年9月に49ヶ国に対し観光ビザが発行される
様になり観光が解禁.昔はイスラム教のムスリム
以外の人は観光では入れない神秘の国
サウジアラビアの法律は厳格にしたシャリーア
(イスラム法)が基礎となっていて窃盗は
手首切断,殺人は斬首刑など厳しくその為,
抑止力となっていて治安はよかったです。
車窓から・・
リアドの街,超高層ビル群
夏は45℃春と秋は29℃冬は20℃前後
世界2位の原油埋蔵量を持つ国であり
世界最大級の石油輸出国。将来は石油も
枯渇しかねないので観光業にも力を入れ始めた。
↓昼食のレストラン
サウジアラビアの代表の食事カブサ(TVより)
↓昼食はアラビア料理を出している
人気レストラン
沢山の部屋があり,家族で食事中はカーテンを
閉める。
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↓
私達はここで食事
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↓サウジアラビア国立博物館内へ
↓サウジは1932年に独立,壁の写真は歴代の
王の写真でサウジの古代から現代まで順を追って
歴史を知る事が出来る国立博物館
↓象の骨の展示,昔はサウジに象が いた事の証明
展示は大昔の化石や石油の出来方から
先史時代,岩絵,イスラム教誕生前と発展
サウド朝の成り立ち等と見応えしっかりある。
サウジアラビアの先史時代からが展示してある。
先史時代セクションは大きな化石やオイルの
成り立ち,石器等壁絵,アラブ王国時代
セクションは文字等と遺跡のレプリカ・
イスラムの誕生と普及サウジ王朝の
セクションです。
イスラム教の始祖ムハンマドの生まれた
サウジアラビアはメッカ・メディナのイスラム
2大聖地をかかえるイスラム教の発祥地。
イスラム世界の中でもサウジは厳格な
コーランの戒律を頑なに守って生活している.
サウジでは宗教が法律となり,コーランに基づく
イスラム法により統治が行われているが実際は
部族的慣習がそのまま社会的慣習になって
いるケースが多い。近年ではこの法体系の
近代化が進められ,大幅に制度改革が実施
されている。
宗教はイスラム教ワッハーブ派が国教で国民は
他の宗教を信仰する事を禁じられている。
しかし湾岸戦争以来東部地方に住むシーア派
以外にも他宗教の存在を公式に認めている。
近年では他宗教の信仰も限定的ながら解禁
されてきている。
メディナのモスクの模型
↓メッカの模型図・6世紀,預言者ムハンマド
が生を受けたメッカはイスラム世界では最も
重要な場所。巡礼の時期になると世界中から
200万人を超えるイスラム教徒で埋め尽くされる。
モスクの模型
イスラム教の起こりは西暦610年頃メッカの
商人ムハンマドが山中の洞窟で瞑想にふけって
いると大天使ガブリエルが現れて彼に向かって
読めと言われて語られた神の言葉をまとめた
のがコーランと呼ばれる聖典,コーランとは
アラビア語で読むことを意味している。
「アッラーのほかに神はなく」ムハンマドは
アッラーの使徒。
イスラムの礼拝者・礼拝は神の存在を確認
する為に1日5回メッカに向かって行われる。
(↓写真から)
博物館を出てリアドの旧要塞だった
↓粘土と泥レンガで作られた広大な城塞の
マスマクフォートレス・丈夫でがっしりした
高い建物という意味でサウジの誇りある歴史。
1902年クウェートで亡命生活を送っていた
アブドゥルアズィーズ国王がここを占拠し,
リヤドの支配権を握り王国はこの城塞を拠点に
様々な王国と州を統一し今日のサウジを築く。
1865年に建設された城塞は様々な目的を果たし
当初は町を護衛する兵士の兵舎が後にアブドゥル
アズィーズ国王の急襲を受けて弾薬庫となり
その後は刑務所として使用され現在は
歴史博物館として公開。
↓要塞の模型
要塞内は博物館になっている。
要塞を出たらライトUPされてました。
キングダムセンターの展望台
高さ302mのリヤドのランドマーク。
流石,フォーシーズンズホテルにダリの作品が展示。
フォーシーズンホテルの中を通り99階へ
途中,77階に世界一高いモスクでプレイルーム
(祈りの部屋)ムスリム専用がある。
↓展望台のスカイブリッジ・99階に着き,
この橋形の通路を挟み左右に夜景が広がります。
↓100階からのリヤドの夜景
↓高さ302mのユニークな形の高層ビル,その形から
『ハンドバッグタワー』『栓抜きのタワー』と
呼ばれる街のシンボル的存在。外に出たら展望台へ
上がったビルがライトアップしてました。
↓リアドで一番高いビル地上302m
20時から世界遺産の「ディルイーヤ遺跡」見学
サウジアラビアは暑いため夕方16時から開館
↓ディルイーヤ遺跡(サルワ宮殿)
ディルイーヤはサウジの首都リヤド郊外に
あり1744年~1818年まではサウジアラビアの
王族の第一次サウード家が初めて都として
定めた街。サウジアラビアの国名は
サウード家によるアラビアの王国の意味
アラビア語で「盾」を意味するディルイーヤは
18世紀半ばに生まれたサウド王国発祥の地。
アラビア半島における政治,宗教の中心地と
して数多くの宮殿や行政機関が置かれるなど
繁栄しましたが,1818年にトルコとの戦争に
よって滅ぼされ終焉し廃墟と化してしまった。
元の住民はここを去りリヤドに移住。現在,
その都市遺跡の修復作業が進みアラビア半島の
中心部特有のナイディ建築様式の建物として
再建,修復された。
↓4F建ての宮殿で一番大きな建物藁や泥を
乾燥させ木型に入れた日干し煉瓦で作られて
いて,屋根はアカシアとナツメヤシの葉です。
四角い窓は風通しを良くし,中庭があります。
サウジアラビアの人達は夜行動するの
だそう↓宮殿跡
中に入ると博物館・コーラン
↓コーランが書かれている。
↓民族衣装
↓剣
サウジは夏は45℃にもなるのでお昼は外に
出ず,夜出掛ける。お昼の休憩も長く,お店は
16時迄休憩のお店が多い
公共の場所でのアバヤ(ベール)ヒジャーブ
(スカーフ)二カーブ(顔のベール)の着用
二カーブは目しか出してない顔のベールですが,
近年自由になった。女性は美しい所は
隠すべきとのコーランの教えから。
今の皇太子の一声で女性も車の運転も認め
られ,目だけ出していた外見も顔は出してもいい.
20:50サルワ宮殿 (ディルイーヤ宮殿) は
最初のサウジ国家の権力の中心だった。
アラビア半島では,1744年に第一次サウード
王国が生まれその王国の首都だったのが
「ディルイーヤ」第一次サウード王国は繁栄を
極め,政治的にも力を持っていたが,オスマン
帝国との戦争によって滅ぼされ,廃墟と化して
しまいました。
サアド・ビン・サウード宮殿など伝統的な
泥レンガ造りの宮殿や官庁モスクが敷地内に
あり,サウジのルーツを辿る事ができる。砂漠に
適したアラビア半島独自の「ナジャディ様式」
で出きた建造物の数々を見る事が出来る。
夜は沢山の黒い衣装の現地の人も見学に
復元された井戸や再現された街並みもある。
↓実際に残っている日干し煉瓦で出来た壁や
モスクの柱の後などが見られる。
派手なライトアップ
見学後,宿泊ホテルへ向かいます。
クラウンプラザ・リヤドハウスホテル5つ星
旅デザはいつも夕食がホテルなのは嬉しい。
今回,全てのホテルが5つ星と4つ星で全部綺麗
3日目12/9
6:39
朝食
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朝食










































































































