トスカーナとエルバ島11日間①
<ピストイア~ヴィンチ~ルッカ>
2019年11/5日~15日
ツアー人数25名、代金39.8万円
旅のデザインルーム社
11/5 成田発エールフランス
↓デルタマイルがゴールドに
お酒や食事が無料だったので
軽く食事
AM10:55分エールフランスで
パリで乗り継ぎイタリアの
2019年11/15 ~22日
20時にホテルへ4つ星ホテル
トスカーナ地方はフィレンツェ
から数十キロ
ピストイアの街へ・14世紀の
城壁に囲まれた美しい古都
今は工業都市として栄えている。
↓路地を抜けると・・
街の中心部ドゥオーモ
トスカーナゴシック様式の
↓サン・ジョヴァンニ・
フオルチヴィタス教会
↓市庁舎・ルッカで生まれた
マリーノ・マリー二の彫刻が見れる
↓チェッポ病院・・13世紀設立
↓彩色フリーズとメダイヨンで
飾られている。16世紀の作品で
集めた事からチェッポ病院の
↓ルッカ県の県庁
<ヴィンチ>の町
↓ルネサンスの天才を生みだした
ダ・ヴィンチが育った家
(母の家で育つ)公証人だった
父と農婦だった母の間に私生児
として生まれる。
生まれるが5歳には父と義母の
間に子供が生まれなかった
からか、父方に引き取られる。
ダ・ヴィンチの博物館へ向かう
ダ・ヴィンチ村のレオナルド君と
言う意味だそう・・
ダ・ヴィンチ村・博物館へ向かう
ルネサンスの天才を生み出した村
ダ・ヴィンチは洗礼を受ける
↓球体のダ・ヴィンチのオマージュ
ダ・ヴィンチの
↓傑作が映像で見られる。
ダ・ヴィンチが手稿に書溜めた
あらゆる分野・万能の
3年間フランスの国王フランソワ
1世はイタリアルネサンスの美に
魅了され、1515年にミラノを占領
してスフォルツァ家を追放すると、
その家に仕えていたダ・ヴィンチ
クロ・リュセ城で晩年を過ごし
アンポ・ワーズ城のチャペルに
眠る。「最後の晩餐」や「モナリザ」
はあまりにも有名
食べすぎなので
3日目 ルッカ
周囲を4kmの城壁で囲まれた
中世の町
↓サン・ピエトロ門から城壁内へ
↓ルッカ城壁は16世紀に
フィレンツェのメディチ家の
大砲攻撃備えて築かれた。
↓城壁の幅は10~15m
11月で紅葉が綺麗でした。
↓斜めに傾いた鐘楼・見張り台
や矢を射る為に攻撃台の
6世紀建造。町の守護聖人
↓ロッビア作「聖母子像」は
ルッカのランドマーク・高さ44.25m
230段の階段を上ると屋上に・・
14世紀、当時の権力者の争いの
1つの表現方法、当時250の塔が
7本植えられている。
↓18世紀ルッカで生まれた
チェロ奏者・作曲家のルイジの像
↓イタリアオペラ最高の作曲家
プッチーニの生誕の家
1858生~1924年・勉学の為、
ミラノに移る1880年迄暮らした。
3階がプッチーニの博物館に
なっている。
ピアノ、肖像画、手紙など展示
↓サン・フレディアーノ聖堂
↓金色のモザイク画が目印
↓サン・ミケーレ・イン・フォロ教会
頂上部に大天使ミカエルが・・
↓1070年~14世紀まで建造に
かかった。表面は嵌め込み
大理石になっている。
ルッカの中心広場にある。
社会科見学かな
広場で子供達が座っていた
円形劇場跡「アンフィテアトロ広場」
上から見ないと
だった場所が10世紀頃から
住民増加による土地不足・
↓プレトーリオ宮
ルネッサンス建築
↓
ルッカの旧市街を後に・・・
↓この船にバスごと
フェリーが着いたら真っ暗
エルバ島へ着きました。
エルバ島のホテル着
ヨーロッパのホテルは部屋が
小さいけど、ここはプライベート
ビーチがあったりビューが