アルジェリア周遊11日間①
<カスバ~ジェミナ>
2017年11/12~22日
人数16名.料金一人33万円
旅のデザインルーム社
エミレーツ航空で成田~ドバイ
乗り継ぎ約12時間
まだ、治安が回復して間もなく
何かあったら行けないので、
アルジェリアの方から朝、ホテル
を出る時から夜ホテルに戻る
まで毎日パトカーの護衛付きで
した。歩道を渡る時も警察が
車を止めてくれ、食事や休憩
にも待っていてくれ、自由行動で
一人で待っていたら、ずっと
後ろに警察の方が付いて
いてくれて安心して街を
歩けました。こんなに最初
から最後まで一日中、警察に
護衛されたのは初めてで皇室
みたいでした。何しろ渋滞して
いるとサイレンを鳴らして
優先で車をパトカーが先導して
抜け、それでも動かない時は、
反対車線をパトカーが走り
日本では考えられない警護。
↓ノートルダム・ダム・ド・
アフリク大聖堂
聖母マリアに捧げ名付けられた
教会堂
ノートルダムはフランス語
で貴婦人と言う意味
↓
アルジェリアはフランスの
植民地だった。
1858年~1872年建造
ネオ・ビザンティン建築様式
主人公ペペの隠れ家として
有名になった旧市街カスバ
カスバは細い路地が複雑に
入り組み迷路の様です。
1830年にアルジェリアを
占拠したフランスが
北アフリカにパリを作る為、
このカスバの一部も破壊、
破壊を免れた地域が今も
アルジェリアがスランスから
するカスバは16世紀にトルコの
海賊「赤ひげ」が外敵の侵入を
↓カスバの近くにトルコの援助で
肌を見せるのはNO!観光時は
スープと牛肉・デザートは
↓今から1000年前ハマッド朝の
首都となった。要塞都市ですが
今はミナレットだけが残るだけ。
このミナレットがスペインの
セビリアの大聖堂のミナレットや
モロッコのラパトやマラケッシュ
のミナレットに影響を与えたと
造られた商業都市で、建設後、
80年で遊牧民の度重なる
↓ミナレットの頂上まで登れた
↓隊商の中継都市をして栄え
世界中から商人や職人が
集まった。でも、衰退は早かった
アラブのヒラール部族の攻撃を
受けると1090年にはほとんどの
住民が逃げ出してしまう。
1148年にシチリアのノルマン人
による襲撃、1152年には
マラケッシュから侵攻してきた
ムワッヒド朝により、最後は
↓白いラクダもいました。
↓4日目、3つ目の
↓
↓
博物館で説明を聞いた後
アルジェリアで最も美しい外観と
言われるジェミラ遺跡を回ります。
リビア出身のローマ皇帝
セウェルス帝や、その息子
カラカラ帝の時代に、クイクルと
呼ばれた町が発展し交通の
要衝として栄える。5世紀
ヴァンダル人によって侵略され、
その後町は放棄されたけど、
のちにこの地にやってきた
アラブ人達が、その美しさに
↓半円形劇場・30段の座席を
ジェミラの遺跡は広いので
↓
神殿。巨大な柱と壁の一部を
↓ローマの古代都市、列柱通り
↓ジュミラは元々、クイクルム
の名で西暦1世紀に、建てられた
植民都市。当初は兵たちの
移住地だったのが、後には
大商いを行う市場町となった。
ローマ帝国が没落して後,都市は
緩やかに廃れていった、
アルジェアの中でも重要な歴史的
価値を引き継いだ出色の
古代遺跡を持つ村となっている。
↓
↓カラカラの凱旋門・216年建設
↓岩石をくり抜いて
道路が走ってます。
↓シディムシド展望台の
シディ・ムシド橋・1912年建造
↓ツアーメンバーと
↓下を見るとすごーく高い
川まで175m
↓
↓11月1日はアルジェリア
のフランス植民地からの
独立記念日 11月1日広場