イースター島とモアイ像
<世界一周クルーズ105日間>
2016年3/5
イースター島は波が荒く何回も
降り場を探して船が移動しました。
それでも停泊が2日延びました。
↓現地の船に乗換え上陸です。
ボートに乗り換え島へ
↓ボートでアナ・ケア海岸に上陸
↓船からも小さく見えてたモアイ
モアイ像
イースター島の観光へ歴史は4~5世紀にはるか遠く
ポリネシアから海を渡ってやって来て住み始めたのが最初。
↓イースター島は島民はラパ・ヌイと称し、ラパ・ヌイ語を話す。
ラパ・ヌイとは輝く偉大な島の意味
↓ラノ・カウ火口口湖・直径1600km・水深4m
3/510:23 歩いて見学
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↓モアイ像の場所の説明
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ラノ・ララクはモアイ像が彫られた石切り場の山、
ここからモアイ像が造られた・・
ラパ・ヌイ国立公園・世界遺産
ラノ・ララクには397体のモアイ像
が確認された。
↓至る所にモアイ像。頭だけのものや完全のモアイ像なども
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↓島内には900体ものモアイ像が残存。
↓頭だけのモアイ像
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モアイ像が座っている。
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↓モアイ像は小さな物は1.13m
大きな物は21.60mにものぼる。
切削中のモアイ・モアイ像の原料
3/512:02制作途中のモアイ像
↓モアイは石切場で切り出し下へと斜面p転がし事前に掘って
おいた溝に立たせる。次に木のそりに腹ばいにして乗せ2本の
木をテコの様に使って移動させる最後に頭の上に
プカオ(帽子)を乗せる。
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↓移動して・アフ・トンガリキ
島、最大のモアイ像の再建は1993~1995年にかけて
日本企業の援助によって行われた。
再建前のモアイは倒され1960年
のチリ地震による大津波で破壊
の(株)タダノと言う大手クレーン
会社がクレーンの提供だけでなく
1億円に及ぶ莫大な資金援助を
し、その後もクレーンは島で使わ
れていたが、2006年に2台目の
クレーンを新たに寄贈された。
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↓3/513:00
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↓モアイの立ってる台座(祭壇)は
モアイ以上に神聖なものとされる
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↓アナ・ケア海岸
↓頭に帽子(プカイ)の様な石を
乗せた7体のアフ・ナウナウ
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↓椰子の木が立ち並ぶ石砂ビーチ・泳いでいる人もいた
13:51 アナ・ケア海岸
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↓ボートで船に戻ります。
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3/519:51イースター島を出航
3/616:54 船上結婚式
今日船で結婚式を挙げられました。
船の仲間に囲まれてお祝いでした。
SDが壊れて1枚しか残ってなかった。
3/711:54昼食
3/718:04夕食
↓3/9 洋上大運動会
↓赤・黄・青・白チームに分れていろんなゲームで勝ち負け
↓チームの応援もカラーの服で
3/1714:34アイルランドダンスの説明
少し説明を聞いて皆でダンスです。