飛行機モルドバと2ヶ国12日間③飛行機

     < オルヘイ>

 4日目8/30

モルドバ共和国

バス首都キシニョから北東約60km郊外

の旧オルヘイの町

モルドバは、ルーマニア人国家である

モルダビア公国でした。16世紀に

オスマン帝国の支配下となり、その後

1812年にロシアの手に渡りました。

第一次世界大戦後に再びルーマニア

のもとに戻りましたが、1940年に

旧ソビエト連邦に組み込まれます。

そして、1991年に旧ソビエト連邦

から独立し、現在のモルドバ共和国

が誕生しました。

↓青いドームのモルドバ正教教会

バス

とうもろこし畑や向日葵畑が車窓

バスモルドバ首都キシニョウから郊外

オルヘイ

 

 

 

↓断崖絶壁


断崖絶壁の岩の上に建つ古い十字架

丘の上にたどり着くと、崖のふち

ギリギリの所にある十字架。長い年月、

雨風にさらされてぼろぼろになって

います。その佇まいは、孤独であり

ながらも神秘的です。雰囲気からか

「十字架に触れると願いがかなう」

という言い伝えもあります。

 

旧オルヘイの洞窟修道院

外から見えるのは教会の鐘の

スペースだけ。入口は見えない。

教会の内部は、岩窟の中に作られて

います。その為、「岩窟教会」

呼ばれている。かつてモルドバは、

周りの国からの侵略を受けていた

歴史があり、外敵から見つから

ないようにした。

ツアーメンバーや観光客が

洞窟修道院の見学に・・


↓この建物の地下に教会が・

旧ソ連時代に社会主義の名のもと、

人々は一切の信仰を禁じられて

いました。ここモルドヴァでも

11世紀に根付いた信仰を断ち切る

ことはできず、日本の隠れ

キリシタンのように洞窟で信仰を

守り通していた。この修道院が公に

再始動したのは1991年の

旧ソ連崩壊後1997年だそうです。

↓地面の上に見えるのは鐘楼部分だけ

で外敵から隠れる様に教会は地下深く

作られています。モルドバにはいくつ

も洞窟修道院があるそうです。

モルドバはもともとモルタビア公国

として独立しており、ルーマニア

正教とスラブ系の宗教が混ざった

モルドバ正教という宗教が信仰されて

いました。(現在もモルドバ正教は

国教として定められています。)

しかしロシア帝国に編入されて

しまったモルドバ。後にロシア帝国に

代わったソビエト連邦時代には、

社会主義という名のもとに一切の

信仰を禁じられたので。日本の様に

隠れキリシタンとして信仰が続いた

のかもです。

キシニョウ郊外の

旧オルヘイ洞窟修道院

ここが信仰の場所であり、現在も数人

の高齢の修道士が生活しています。

修道院には電気が通っておらず、

ロウソクの灯りで生活しているとの

ことです。↓ここが修道院の入り口

岩をくり抜いた狭い空間に壁一面の

祭壇が見えます。窓がくり抜いて

あったので明るい光が差し込んでいた。

ミサ中でした。

モルドバを含むモルダヴィア

地方では、古くからモルドバ

正教が信仰されてきました。しかし、

ロシア帝国や旧ソ連の支配下に置かれ

ていた頃は、モルドバ正教の信仰が

禁じられ、修道院も解散を命じられて

いました。しかし信仰心の厚い

モルドバ人は信仰をやめず、政府から

見つかりにくいようにするために

岩をくり抜いて修道院を造ったそう

です。モルドバには、同じ理由で

造られた岩窟修道院がいくつか

あります。

モルドヴァ正教の修道僧たちが

洞窟で修業を始めたのは11世紀、

この教会の建立は14世紀~15世紀と

言われています。こんな辺鄙な崖の上

の岩窟に教会があるとは驚きです。

地下の階段から教会から出ます。

洞窟修道院から100mほど

歩いたところには、

十字架聖母マリア教会があります。

ブトチエ二村を散策

↓洞窟修道院が位置する丘の麓に位置

するのが、ブトゥツェニの村見学

 

 

 

 

ブドチェニ村・素朴な村でした。

 


↓ブドチエ二村の井戸まだ使ってる

 

 

 

バスヒマワリ<ウクライナへ>ヒマワリ

ひまわりは7月が見頃

走行中で上手く撮れなかった

けど全部ひまわりの花です。

バス

枯れてるひまわりの花が多く

7月がひまわり満開だそうです。

↓道中はひまわり畑が何十km

も続くのですがひまわりは

咲いた後で油を採るのだそう


ひまわりも枯れて茶色くなってました。

ひまわりの最盛期に来たかった

車窓

昼食ナイフとフォーク

スプーンフォーク

ナイフとフォーク赤ワイン

コーヒー