ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ12日間

  <沿ドニエストル共和国>

3日目8/29

バス沿・ドニエステル共和国

この馴染みのない国は1991年に

モルドバがソ連から独立した際

にロシア系住民が作った国です。

まだ25年目で独自の通貨や切手

を持つけど国際的には未承認の

国です。埼玉県程の大きさの国

モルドバ首都のキシナウから

1時間少しで国境があります。

ロシアのシンボル、

双頭の鷲が刻んだ凱旋門


↓モルドバからの出入国は

 紙で名前とかパソコンで

記入したものをもらって沿・

ド二エステル共和国に入国

出国時は返しました。

沿・ドニエストル共和国

モルドバの東端にあり、

基本的にドニエストル川に沿う

形になっています。南北は

200kmもありますが、東西は

広いところで20km,狭い所では

わずか4kmしかありません。

「沿ドニエストル共和国」には

約54万人が住んでおり、

民族構成はモルドバ人40%

ウクライナ人28%、ロシア人

25%となっています。体裁は

「国」なので、独自の国旗、

独自の国家、独自の通貨

(沿ドニエストル・ルーブル)

を有しています。「首都」は

ティラスポリで、キシナウから

バスで2時間の距離

1990年にモルドバ共和国が

とった西側寄りの政策に反発

して、モルドバからの独立を

宣言して以来、事実上の

独立国家として機能して

います。この国を承認して

いる国は全くありません。

ロシアやウクライナ、

ルーマニアでさえも

承認していない。

ロシア系住民が多い。


ポチョムキンの記念碑

ポチョムキンはロシア帝国

の軍人、政治家でエカ

チェリーナ2世の愛人だった。

沿ドニエストル共和国の

スーパーへ

スーパーの中

 

沿ドニエストル共和国の

首都ティラスボリ

 

16世紀にオスマントルコに

よって支配されていたベンデル

周辺の地域。この地域の

オスマントルコ軍による征服の

最前線としてベンデル要塞

築かれた。その後の露土戦争

を経てロシア軍に破壊されて

しまったベンデル要塞。
19世紀にベンデル周辺地域は

ロシア帝国領となり、現在の

要塞は復元されたもの

ティギナの要塞

城壁の外にドイツ人 

ヒミュンヒハウゼン男爵

記念碑

ヒミュンヒハウゼン男爵は

ほら吹き男爵として知られ

大砲の弾に捕まって敵の陣地に

入り再び大砲の弾に捕まって

自軍に戻ったというほら話がある。

ほらふき男爵像

 

砲弾の模型

ほら吹き男爵像の記念碑の

そばにはほら吹き男爵が

つかまったという巨大な

砲弾が置いてあった。

ロシア正教十字架教会

↓塔は1mくらいの厚さの壁に

 銃眼が作られていた。

↓見張り塔

城壁

 

 

 

城壁の上に登って城内や外の

景色を眺めた。塔は1m位の厚さ

の壁に銃眼が作られていた。


晴れ

城壁を歩いてみる

要塞内部

 

↓博物館入り口には当時の馬車

 が置かれていた。

 

↓城壁を上がってみました。

ベンデル要塞歴史博物館

中は博物館・城塞の模型が展示

 

 

博物館には要塞の模型や軍人の

服装、銃や弾薬などが展示されて

いた。模型を見るとティギナ要塞

は今より大きかった事がわかる。

 

 

壁には北方戦争でロシアと

戦って敗れ脚を怪我して逃げて

きたスウェーデン国王カール

12世やロシアとの戦闘でトルコ

が敗れた場面を描いた画が

懸けてあった。

↓沿ドニエストルのかつての

 統治者の肖像画

バスバスで移動です。

マーケット

親ロシア派が一方的に

“沿ドニエストル共和国”と

名乗るこの未承認国の

沿・ドニエステル共和国

モルドバはロシア人が僅か

4.1%ですが、

自称「沿ドニエストル共和国」

では、およそ3割を占めています。

町には至る所にレーニン像や、

旧ソ連の「槌と鎌」が描かれた

国旗や国章が飾られ、さながら

“小さなソ連”の様だといいます。

国会議事堂、大統領官邸  

ソ連時代そのままの巨大な建物

の前には、いまやロシアですら

見かけることのない

レーニンの立派な銅像が。

庁舎の上には、

沿ドニエストル国旗と

ロシア国旗がはためいている。


政府の庁舎の前に立つ

レーニン像

沿・ドにエステル共和国

首都ティラスポリの市庁舎


↓「ソ連の家」で今は

市庁舎になっている。

↓ここにもレーニンの像が・・

 


 

どの国にもあるよう様な街の

名前が書いてある写真スポット

ロシア語で「ティラスポリ」


↓昼食はボルシチナイフとフォーク

ミネラルウォーターも

日日1本ついてたし、

お料理は美味しかったです。


 今回のツアーはロシア料理が

多くとても美味しかったです

↓ピロシキナイフとフォーク赤ワイン

ロシア料理が多かったです。


↓ブルーベリーの

サワークリーム添えチーズコーヒー

パン

ガガーリンの像


レーニン像


時計PM13:32 ↓劇場

郵便局

↓郵便局に寄って切手を

 買っても出せない

国として認められてないから

 

↓ポストポスト


本本屋さんにも寄りました。


↓10桁のそろばんがあった。

 

 

 

 

↓沿・ドにエステル共和国の

ティラスポリにある教会

広場の中心に堂々と立つのは、

不敗伝説を持つロシアの将軍、

スヴォーロフの像

オスマン帝国とロシア帝国が

争った露土戦争でロシア軍を

勝利へと導き、沿ドニエストル

をロシア帝国領とした

「沿ドニエストルの英雄」

として崇められる存在。

ティラスポリを建設した

ロシア帝国の軍人

アレクサンドル・

スヴォーロフの記念碑


↓建国25年の催しがあるみたい。


 やたらと銅像が多い

 

 

↓沿・ドニエステル共和国

の国章をモチーフにしている

↓ドニエストル川に沿って

歩いていくと第2次世界大戦

から冷戦時代に使われたソ連

の主力戦車T34が置かれていた。

↓ソ連の対独戦争勝利を記念

した戦車のモニュメント

モルドバ東部トランスニス

トリアに位置する

「沿ドニエストル・

モルドバ共和国」の

ティラスポリに設置された、

対独戦勝を記念する

モニュメントとなっている

旧ソ連時代の戦車

聖ジョージ礼拝堂

(兵士の守護聖人)

↓龍を倒す聖ジョージの

 画が祀られていた。

 

↓第二次世界大で亡くなった人

の記念碑と墓。1990年から

1992年の内戦の犠牲者の

慰霊碑があり永遠の炎が

燃やし続けられていた。

 

中央は沿・ドニエステル紛争

内戦犠牲者慰霊碑

↓アフガニスタン紛争の慰霊碑

 

『1992年のトランスニストリア

戦争慰霊碑がある広場

沿ドニエストル共和国は

名前の通りドニエストル川に

沿った細長い地域なので、市街を

ドニエストル川が流れています。

↓今回のツアー結婚式に

何回も遭遇しました。ドキドキ

↓結婚式に出ていた子供女の子女の子


女の子


↓車をこんなにして飾って

花嫁が乗ってました。リボンリボンドキドキ


バス

ドニエプル川

沿ドニエストルカラーと

ロシア国旗カラーの橋。


↓沿ドニエステル共和国の

貨幣です。表と裏なんですが、

おもちゃみたい。貴重なお金。

国外では使えません。
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「沿ドニエストル共和国」は

現在もキリル文字を使用する

一方、独自通貨「沿ドニエス

トル・ルーブル」を発行し、

治安部隊も有する。

パスポート(旅券)も発給して

いるが、46万5千人と推定される

住民の大半はモルドバ、ロシア、

ウクライナの二重または

三重国籍となっている。
↓裏・とても軽いです。¥
150909_011451.jpg  

バス時計16:34 巨大な集合住宅

 

↓この日は37℃で猛暑・

ちなみに東京は27℃・

でも湿度がない。4つ星ホテル


 ↓ホテルでの夕食ナイフとフォーク


↓子牛のステーキナイフとフォーク赤ワイン


ケーキとコーヒー デザートコーヒー

↓リージェンシーホテル

ひろーいチョキ

 


↓今回食事が美味しかったので

脚が太くならないうちに

自撮りしておきました。


カメラ