東ウクライナ・モルドバ・ベラルーシ

    飛行機 沿ドニエストル共和国12日間飛行機

 

2015年8/27~9/7の12日間

人数 17名・ツアー代金一人部屋で56万円

旅のデザインルーム社 

成田発12時間でトルコ航空でイスタンブル経由ナイフとフォーク食パンワイン


↓夜中におにぎりも出ました。モルドバのキシナウ着

↓エコノミーも旅行グッズが往復でもらえました。

最近ない飛行機会社が多いから嬉しいです。

8/28(2日目) 朝9:55分モルドバのキシナウの市内観光

↓モルドバは旧ソ連で社会主義国 1991年に

ソビエト連邦から独立。バスも古いバス

九州より一回り小さい355万人の国

↓ソ連時代に建てられた巨大集合住宅

モルドバ共和国→人口264万人 宗教→キリスト教(正教)

モルドバ公国→1359年に形成。15世紀トルコの属領になり

1812年にロシア・トルコ戦争でロシアがこの地を獲得

1918年にルーマニア領になる。

1940年ソ連邦内に創設される

1991年モルドバ共和国として独立

モルドバとは旧ソ連の構成国です。もともとルーマニアの

一部でしたが、1940年に旧ソ連に編入された複雑な経緯が

あります。ワイン程度しか特段の産業もなく、

ロシアからのガス輸入の支払いが滞るほど経済状況は厳しく、

「ヨーロッパの最貧国」とも言われています。

モルドバ人とは、民族的に言ってほとんどルーマニア人。

かつてルーマニアはオスマントルコに、モルドバは

ロシアに支配されていたが、第一次大戦から第二次大戦

までの間、モルドバ(当時はベッサラビア)は

ルーマニア領だったこともある。

↓街並み・モルドバは平均給与2万円がま口財布

どちらかというと旧ソ連の国々の街並みに近いです。

第二次世界大戦後に荒廃したキシナウの街の復興を

進めたのは、旧ソ連だった。

創建は15世紀に遡りますが、オスマン帝国やロシア帝国、

ルーマニア王国などの支配を受け、第二次世界大戦では

激戦地となり、その後現在のソ連式の町が再建された。

モルドバの首都キシナウの人口は65万人・↓解放広場

ソ連時代に作られた腕を広げた女神を載せた解放記念碑

↓解放記念碑(1941~1944年)

 

↓モルドバの国会議事堂

↓ キシナウはかつてはユダヤ人とロマ人の町だった。

キシナウはルーマニア語

 

時計AM10:19聖テイロン大聖堂

19世紀半ばに建造されたルーマニア正教会の大聖堂。

モルドバの国民の78%はルーマニア人でルーマニア語を話している。

たまねぎ型のドームの上には、ひとつずつきっちり

十字架が建っています。

キシナウとはルーマニアの言葉で「新しい泉」を意味している。

旧ソビエト連邦に組み込まれる前にはルーマニアに統治

されていたという歴史があるため。

キシナウの市内

 

 

↓モルドバの首都キシナウの市庁舎

モルドバは以前は旧ソビエト連邦を構成する国の1つでしたが、

1991年に独立し、首都をこのキシナウにおいた。

勝利の門

ロシアとオスマン帝国が争った露土戦争でのロシア軍の

勝利を記念して1846年に建てられた凱旋門の勝利の門。

当時モルドバは帝政ロシアの領土でした。

パリの凱旋門をモデルにしたと言われています。

鐘塔

大聖堂の前には鐘楼があった。鐘はロシア、トルコ戦争の際

トルコが捨てていった大砲を鋳つぶして作ったという。

1960年にソ連に破壊され1991年に再建された。


 ↓ナステレア大聖堂(キシナウ大聖堂)

1836年に創建された大聖堂で、ギリシャ神殿風の

ファサードを持つ新古典様式で造られています。


 ↓ロシア正教なのでイコンとイコノスタンが綺麗

ロシア正教会の大聖堂で中に入ると壁は金箔を

使った聖人の画で埋め尽くされていた。

 

 

 

娯楽かな

↓シュテファン大公像・15世紀のモルドバ公国の大公で、

現在のルーマニアにあったワラキア公国の王

オスマン帝国の侵略から国を守った英雄

↓シュテファン大公像

ロシア文学の父と言われる
プーシキンが1年住んでいた家の博物館へ

 

プーシキンが「エヴゲーニー・オネーギン」

を執筆した家。

作家でロシア近代文学の嚆矢とされている。

プーシキンはキシニョウに3年滞在し1年住んだ家

エワゲーニ・オネーギンはここに滞在中執筆した。

ロシア生まれの詩人、プーシキン、19世紀の近代ロシアに

生きた若き詩人は、モルドバの首都、キシナウに

数年間滞在していた。彼が滞在していた家が博物館に・・

↓詩人 プーシキンの像


↓博物館内

プーシキン自身が描かれた絵画や彼が実際に使用した万年筆、

愛用していた生活用品まであらゆるものが展示されている。

ほとんどロシア語で読む事が出来ない。


1820年プーシキンが住んでいた部屋

バスバスで移動

 

 

 

↓モルドバはワインで有名あたり一面ワイン畑ぶどうぶどう

モルドバでワイン作りが始まったのは今から約5,000年も前。

紀元前30世紀頃、一般家庭での自家製ワイン作りが最初

クリコバワイナリー・東京ドーム11個分の面積

53ヘクタールのワイナリーがある、

モルドバで2番目に大きいワイナリー「クリコバ」

世界一大きいギネスに登録されたワイナリーもモルドバ

 

レストラン兼ワイン貯蔵庫へ

モルドバが世界に誇る名産品といえば「ワイン」!
モルドバはワインの原料・ぶどうが育てやすい気候。

紀元前から、モルドバではぶどうが栽培されています。

クリコバワイナリー赤ワイン赤ワイン全長120km

元は石灰岩の石切り場だったという全長120キロメートル

の地下ワイナリーを電気自動車で疾走する。

まるでゴーカート状態。数か所で止まって、ワインの説明。

有名人の名札のある棚をたくさん見た。

↓地下のワイナリーがワインあり20キロバスで移動です。バス

ロシアの宇宙飛行士ガガーリンがこのワイナリーで

迷子になり一夜を試飲室で明かした伝説がある。

こんな素敵な部屋で昼食でした。

 

↓地下はとても綺麗でした。

 

地下ワイン貯蔵庫

 

ワインを運んでいた台車かな・・

トラムに乗って地下のワイン貯蔵庫に入った。

ワイン貯蔵庫は15世紀から造られ、

地下道の総延長は70㎞以上あるという。

 

気温は年間を通じて14℃に保たれている。

↓1935年もの

↓1940年もの

訪れた有名人の写真が展示してありガガーリンや

プーチンの写真もあった。ワインのボトルが多数熟成

されていて中には1912年のボトルもあった。

ただしワインは50年以上たつと味が落ちてしまうという。

 

↓ワイナリーで結婚式を挙げてました。ドキドキ

↓ワイナリーの中とは思えない

 

↓テイスティングルームと昼食

↓ワインの樽

地下30mの貯蔵庫を訪れた。ここには赤と白のワインが

オークの樽に詰められて熟成されていた。

↓プーチンやメルケル首相のワインのストックもあった。

日本人のものはワイン

 


  

地下95mにある貯蔵庫を訪れた。ここにはボトルに

詰められたスパークリングワインが50万本貯蔵され、

2,3日に1回人の手でボトルを動かしながら

2か月熟成させるという。

↓昼食はワイナリーでワイン4種類の試飲を頂きました。

飲みやすかったです。カクテルグラスチーズ

↓スープ


ナイフとフォークワイン


ナイフとフォークポークソテー


↓デザートソフトクリームコーヒー

8/28 PM16:01バスバスで移動・広大なぶどう畑

 

↓青空市場

バス

 

リムジンが・・

ここでも結婚式が・・


↓郊外のリージェンシーホテルだけど綺麗でしたグッド!


  ↓街中の狭くて古いホテルより、郊外でも部屋も

広くて綺麗なのが私は一番いいです。グッド!

 


↓夕食はホテルで・夕食はホテルが一番いいです。

すぐ部屋に戻れるから・9泊は毎日ホテルでした。ナイフとフォークワイン


ナイフとフォークホテルで食べるのが一番高いけど・・・


チーズコーヒー


8/29(3日目) AM6:44朝は散歩しました。走る人



朝の朝の散歩後、ホテルに戻り

 

朝食レストラン

朝食ナイフとフォークコーヒー


バスモルドバかラ8時半出発→沿・ドニ共和国へ共和国へ