飛行機オーストリア13日間④飛行機

        <インスブルック>

5日目7/20

ツィラータール鉄道SL列車

SL列車は観光用に1日1本

運行しています。31.7kmを

30分の列車の旅列車が通ると

街の人は手を振ってくれます。


↓煙が・・・・

↓私達の車両は貸し切りだった。

↓街を見ながら走ります。


↓すごい煙





↓バスが先回りして駅で

待っていてくれました。

インスブルック

標高2000mを超える山々に

囲まれたインスグルックは

チロル州の州都。

「イン川に架かる橋」という

意味の名の通り12世紀

イン川の橋のたもとの集落

から始まった。1964年と

1976年に2度の

冬季オリンピックが開催

東京オリンピックと同じ

1964年スキーのジャンプ台

は凱旋門から近く。

凱旋門

1765年マリアテレジアの息子

レオポルトの結婚を記念して

建てられたが、式典の途中

フランツヨーゼフが殺された為、

門の片面には「生と幸福」

もう片面には「死と悲しみ」

のモチーフが刻まれている。

6日目7/21朝、散歩に出ます。

↓マリアテレジアの思いが

込められた凱旋門

神聖ローマ帝国皇帝

レオポルト2世の結婚を記念

して、1765年に建設された。

凱旋門南側の彫刻は結婚の

祝賀をテーマにしたもので、

北面の彫刻はレオポルト2世

の父フランツ1世の式典の途中

で夫のフランツ1世が死去した為、

表面は「喜び」裏は「悲しみ」

を突然の死を悼んだものを

表現しています。


↓15世紀末、この町を愛した

皇帝マクシミリアン1世の

統治下に発展を遂げた

マクシミリアン[1世

ハプスブルク家出身の

ドイツ国王(在位1486‐1519),

神聖ローマ皇帝

(在位1493‐1519)


↓アルプスの麓に広がる

インスブルッグの街

この町一番の大通り

マリアテレジア通り

晴れ




↓街が出来た頃、多くの

ゴシック様式の建物が

建てられた。


↓街の特徴はエルカーと言う

 沢山の出窓


 

↓王宮王冠2白亜の建物の

両端にある緑色の丸屋根が

アクセントになっている。

王宮は1460年頃、

チロルのジークムント大公

によって建てられた城を、

マクシミリアン1世が拡張、

1754~1773年にマリア・

テレジアによってウィーン風

の華麗なロココ様式で

改装された。

↓旧市街がマクシミリアン1世

 の足跡が残されている。

↓よくいます。こういう芸人
 

↓宿泊のヒルトンホテル

 最上階からの写真

↓ハプスブルグ家の王宮は

マクシミリアンの時代は

フランスのブルゴーニュや

ベルギーなどをこの地から

支配下に置いていた。

山はノルトケッテ連邦(2637m)

↓凱旋門がホテルの横で

立地がよかった、

聖ヤコブ聖堂

インスブルック大聖堂とも

呼ばれ、12世紀に建てられた

ロマネスク様式の教会跡地に

建てられ、1724年に完成

したバロック様式の教会。 

インスブルック最大の教会

でチロル州のカトリック

総本山にもなっている。


ヤコブ大聖堂内

↓主祭壇上にあるのはルーカス・

クラーナハ作の「救いの聖母」

祭壇にはクラハナ作

「救いの聖母」

↓ヤコプ大聖堂の中を見学

して裏に周ると素敵な音楽が

聞こえてきたので入って

見ると、オーケストラが

プロムナードコンサートの

リハーサルでした。

そのままいたら夜7時半から

音楽祭が始まり

見れることになりました。

1ケ月イベントをしてる

インスブルックの王宮での

音楽祭でした。


↓この日はポーランドの軍隊の

オーケストラとポーランドの

オペラ歌手と思われる女性歌手

と男性歌手が出演


↓この女性の美声に

 酔わされました。

↓歌手名前は

St.Straczek 

↓あまりの声量と歌の上手

↓男性歌手も上手かったです

↓結局、夜7時半から10時

までの1時間半見れて最高

でした。王宮を後にしました。

↓この日は凱旋門横の

ヒルトンホテルに泊まりエアコン

が付いていたので快適でした。

部屋もまあまあ大きかったし、

一人では贅沢かな