イスラエル・ヨルダン15日間⑥
<ヨルダン・ペトラ>
11日目3/7
狭い岩山60m~100mの裂け目
を歩いていく。らくだでいく人も
↓1200m続く断崖絶壁の渓谷
水路跡やダムの跡も見られる
ぺトラ遺跡の中心部へと導く
峡谷(シーク)は、幅2m、
長さ1.5kmあります。両側の
絶壁は90~180mの高さで、
地質断層が見られます。
ペトラ遺跡は古代前1世紀~
紀元後一世紀のかけて建設
された古代アラブ民族のひとつ
ナバタイ人の首都の遺跡。
現在は水が流れていませんが、
両側の絶壁には運河の跡が見られ、
シークが主要な交通路だった
ことが分かります。また、壁には
祈祷用の碑や彫刻,霊石などが見られ
「シークには訪れる人を魂の内部に
導く」という宗教的な意味もあったと
考えられています。 ペトラが見えて
ドキドキ・わくわく
ペトラ遺跡世界遺産・
エル・ハズネ(宝物殿)
高さ約30m・間口約25m、
ヘレニズム様式の影響が色濃い2階構造
の建物で、紀元前1世紀頃の創建。
宝物庫という名前こそついている
ものの,葬祭殿,霊廟,寺院など諸説あり
その使用目的は今もって謎とされて
います。ペトラの砂岩はさまざまな
鉱物で出来ている為,バラ色に見える。
紀元前1世紀にアレタス4世により
建設された巨大な墓,葬祭の儀式を行う
葬祭殿と言われている。
高さ39,5m、幅27m
巨大なファサードには美しい彫刻が
↓ペトラのエル・ハズネを
見学して岩山を歩きます。
アウター・シークと呼ばれる
広い通りに出ると左に岩山に
造られた岩窟墳墓群がみれる。
ナバタイ人は死者の魂がこの
階段を伝って天国へ昇ると
信じていた。盗人がこの墓に
隠れ住んでいたという昔話が
残っていて「盗賊の墓」とも
呼ばれている。近くに儀式の
場として使用された
↓山道を30分位登ると
エド・ディル(修道院)
ペトラで最も巨大な遺跡で
高さ40m、幅51mで神として
祟められたナバタイの王
オボダス2世祀る為に最後の
王ラベル2世が建設した。
5世紀頃教会として使用された。
鳴きそう・エド・ディルを
エル・ハズネやエド・ディル
はじめ巨大岩窟墓や
ペトラは2000年以上も前から
アラビア半島からやってきた
遊牧民のナバタイ人や
ベドウィンによって栄えた
↓さらに岩山を上って見る標高1000m
の山頂にあり、ここへたどり着くには
850段の階段を登りきる必要があります
↓エド・ディル高さ約45m,幅約50m
紀元前106年ペトラがローマ帝国に
併合された後、キリスト教の修道士が
住んでいたことから修道院と呼ばれて
いるが、実際は神殿だったことが
↓エド・ディルから更に
上に登り頂上達成!
12日目3/8
↓死海はホテルのプライ
べ—トビーチだったけど
ここも人が少なく私達ツアー
と外人が数名位しか泊まって
なかった。死海は塩分が
多いので浮きます。
死海・海抜400m
イスラムの国だからビキニは
死海の浮遊体験
↓塩分濃度が強いので
すぐ浮きます。
↓ホテルはすごく大きくて新しく
綺麗なホテルこの写真は一部。
プールは4つあった。でも、客
は私達ツアーと数十人
↓5つ星巨大ホテルもお客さん
↓部屋はベランダが4畳も
じゃなく建てかけのホテル
↓部屋の中もとても広く・・
13日目3/9
朝、10時にアンマンヘ移動
モーゼは数々の奇跡を起こし
シナイ山で十戒を得て苦難を
重ねてネボ山に登り終焉の地
と言われる。「ネボ山」を訪れ
後、マバタの聖ジョージ教会へ
↓教会は19世紀末にビザンチン
教会の跡地に建てられた
教会内部床モザイク画が有名
イエスが聖ヨハネから洗礼を
受けたバプティズムの場所を
記した地図のモザイク画が
あります。このモザイク画が
バプティズムがイエス様が
洗礼を受けた場所を認定する
アル・フセイニモスク
ウマイヤ朝時代の640年に建造
男性のみが礼拝できるモスク
ヨルダンの首都アンマンの最も
古いモスクの一つ。
アブドゥッラー1世が1923年
に建立した。この名はアラブ
大反乱の指導者、父フサイン
・イブン・アリーにちなんで
付けられた。モスクは縦58.5m
横12.5mに達する。また前廊
と側廊を持ちオープンエアーの
中庭がある。二本のミナレット
があり、右は高さ70m
左は35m。
エティハド航空で日本へ帰ります。
15日目3/11 成田着
↓成田に帰ったら水曜日なので
「YOUは何しに日本へ」
のロケにあった。
よく会うんです。