R7.1.6日記から引用:
しかし中世をよくみるてえと、やっぱりあの時代に知があらはれてるね。大東亜戦争敗戦というのはやっぱりひとつの内からのあらはれなんですよ。
聖武天皇御宇に仏教広まった。あれ、ひとつの日本民族のゆるみですね。多分大宝律令ができて、ゆるんだんぢゃないですかね。
大東亜戦争敗戦。これを機に、これだけ堕落してるというのは、何か、似てますね。これは、本当にその敗戦が機になったという訳ではないのです。それは七識の見方。内心がすでにあらはれ始めていた。そしてそこに敗戦とその後の米国という衣があったもんだから、着てしまった。そういう気分になってたんですね。若し大体仏教の穢がとれるまでと同じ位かかるなら、三百年。710立派な平城京から1182安徳天皇御入水まで。(こんなものは無確信の言ですけど。)
とにかく、中世に知があらはれてきた。次、戦後には情があらはれてきた、と。そういう歴史がこれからあらはれて行くんでしょうな。だからそれに逆らいさえせなんだら、宜しい。