▽3.11被災地を取材し続けてきた櫻井翔が語る「記憶」とずるさ、喜び|ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト
 


――報道者の中でも、毎年欠かさず現地を訪れ定点観測している人は多くない。『news zero』のキャスターを15年続けてきたなかで、被災地の取材は櫻井さんにとってどのような意味合いを持つのか。

震災以前から僕が今に至るまで取材し続けていることに「戦争の記憶」がある。ずっと、『zero』を通して戦争の記憶を若い人たちに伝えていきたいと思ってきた。キャスターを始めて5年たったときに震災が起きて、これは継続して取材していかなければいけないなと思った。

戦争と震災の記憶は、自分にとって2つの大きなテーマだ。この2つは、伝えるという立場においては、風化させない、忘れないというところが共通すると思っている。


――放送を見ていると、取材をされる側は、櫻井さんだから、櫻井さんが聞いているから心の中を話している、というのがよく分かる。

そういったことで言うと、ある意味僕はずるいんですよ。「嵐・櫻井翔」という人格も半分持ちながら取材するので、心のどこかで、そのことで小さい子供たちが喜んでくれたらいいな、とすら思っているときがある。話を引き出すというよりは、テレビでよく見る人に自分の思いを知ってもらいたい、と思わせるような「装置」を無意識のうちに使っている。

「取材」で被災地に行ったときに、小さい子供たちが「あー! 櫻井君だー!」って言ってほんの少しでも笑顔になってもらえる瞬間というのは確かにあって。そこが、自分にとっても「下駄(げた)」であり、取材という行為と別のことを同時にやろうとしてしまっているというときが、たぶんあるのだと思う。


――画面を通して「伝える」という仕事をどう捉えているか。

報道番組に携わってすぐの頃、アナウンサーの福澤朗さんが言ってくださったのは、キャスターというのは、椅子に付いているキャスターの名のとおりAのことをBのところに運ぶ役割でもある、と。

なので僕は、『zero』月曜キャスターという立場、およびシチュエーションによってはジャニーズ事務所「嵐・櫻井翔」という立場を使って、テレビというメディアを通して、被災地の人たちの思いだったり、時に実態だったり、苦悩だったりが伝わればそれでいいと思っている。自分の主義主張を強く、こうあるべきと言うことの役割よりも、取材相手の思いをより多くの人に拡声器となって伝えていく役割。究極的に言うとそれでしかないと思っている。


――何度か除染作業を手伝うなど、福島に取材に行くことが多いようだ。

もう、役場の人とも仲良くなっちゃって(笑)。取材が終わった後に、役場の人とご飯を食べる店とかも決まってきた。半ば、会いたくて行っているところもある。


――10年間の取材を通して、うれしかったことはあるか。

やっぱり、出会いと、出会った人たちの成長を知るとき。24時間テレビで僕と一番向き合ってくれた高校生の男の子が、新聞を見ていたら成人式の日に地元で代表の挨拶をしたと知ったときや、除染作業で伺ったお宅の子がご結婚されていたりとか。出会いの分だけ、出会った人たちのその後に明るい未来が待っていた、というのがうれしい。


――10年に際しての率直な思いを。

こんなことを言ったら元も子もないのだろうが、やっぱり、節目も区切りも、きっと当事者にとってはない。9年目や11年目と何ら変わらない10年目だとは思う。僕らの役割としては、変わらず来年も再来年も、伝え続けていくということだけなのかなと思っている。




櫻井翔さんが10年にも及ぶ震災取材について書き下ろした1万字ドキュメンタリー掲載「3.11の記憶」特集号、明日発売です。櫻井さんと何度か編集打ち合わせをしましたが、驚いたのは細部にいたる文章表現と記憶へのこだわり。1人の新人作家のデビューを見届けたように思いました。(編集長・長岡)


明日発売号に櫻井翔さんが初の書下ろし原稿を寄稿してくださいました。3.11以来、被災地からの報道を続けてこられた櫻井さんの10年分の取材と思いの結晶です。櫻井さんの、取材相手とファクトと言葉に対しどこまでも謙虚で誠実な姿に多くを学びました。(担当・小暮)


櫻井翔さんの震災取材1万字ドキュメンタリー書き下ろし。編集打ち合わせは毎回1時間半に及びました。ある時はドラマ収録直後の深夜。またある時は日テレnews zero放送前。多忙な中、取材当時の記憶をたぐりよせながら、一文字の表現にこだわる姿勢にこちらも襟を正しました。(編集長・長岡)


櫻井翔さんは、取材してきた多くの方々の表情や言葉を思い返しながら、当時自分が何を感じ、時に葛藤してきたのかをご自身の手で綴られました。雑誌の校了直前まで何度も原稿のやりとりをしながら言葉を探し続ける櫻井さんの、取材者・書き手としての真摯な姿勢に敬服しました。(担当・小暮)




ABEMA NEWSチャンネル 3/10(水)

長岡編集長:うちも震災が発生した同時に沢山取材して特集もやりました。今年十年という事でぜひ震災の特集をやるべきだと考えていたんです。櫻井さんが被災地を10年取材し続けていたというのは知っていました。

例えば新聞社の支局があるんですけれども、記者もだいたい東北へ行っても3〜5年で代わるんですね。地元のTV局もありますけれども、宮城の記者だったら宮城の事が中心、岩手の人は岩手、福島の人は福島というふうに自分の担当県が中心になってしまうんですけれども。櫻井さんは東北全エリアをわりと満遍なく、そして10年続けて見てるっていう。これはジャーナリストでも意外にいない視点の持ち主だなと思ったのが、オファーしたきっかけです。

田中萌アナ:そうですね、東北エリアを10年に渡ってというのは本当に貴重な人材ではありますね。取材して出来上がってきた原稿を読まれたときにはどんな印象を持たれました?

長岡編集長:実は櫻井さん、我々のような商業誌に長い文章を書かれるというのは初めてのことだったということで、我々も結構ドキドキしながら原稿をもらったんですけれども、すごい、良い意味で驚きました。物凄くよく書けていて、特に冒頭の発災時、2011年の地震が起きた当日の描写から始まってるんですけれども、そこも物凄くリアルにビビットに書けてて驚きました。

田中萌アナ:この記事、最初はご自身が東京近郊で地震を体験したときの様子が書かれているんですけれども、非常に細かくというか、記憶が、もう10年も前のことがこんなに鮮明なのかと思いながら、感じましたね。来たときはもっと長かったんですか?

長岡編集長:そうですね、完成したものは1万字9頁にさせて頂いたのですが、もうちょっと長くてですね。最初に書いた原稿で1万字を書ききる人って実はなかなかいないんですよ。相当な分量で我々でもなかなか辛かったりするんで、これを書いてくる筆力は凄いなと思いました。

田中萌アナ:ご自身で取材されたことをご自身でしっかり書かれているというのがこの中身から伝わってきましたけど、読まれていかがでしたか。

長岡編集長:ご本人の思いというのがすごく詰まっていて、特に被災者の方への思いですよね。あの、よく覚えておられて。当時のこととか会った人のことを細部に渡って。それをすごく上手に生き生きと表現されていて、それはすごく心に迫るものがありましたね。

田中萌アナ:長岡さんが書かれたTwitterには「1人の新人作家のデビューを見届けたような」みたいな文言ありましたけれども、それはどういった意味なんでしょう。

長岡編集長:我々編集者というのは作家の力を引き出すというのが仕事なんですけれども。櫻井さんも初めて書かれるということで、なかなかこう自分の中に思っているんだけれども原稿の中には出てこないというのがあって、それを上手く引き出せたということがありました。

例えばですね、震災から6年目のくだりがあるんですけれども、福島県富岡町を久しぶりに訪ねられて、駅前がすごく復興しているのに驚いたというふうに書いてあったんですけれども、我々はそれだけではフラットだ、何故そういうふうにあなたが書くのか教えて下さいと言ったら、震災が起きた時に感じた虚しさを、見事に立ち直った富岡町の駅前の良さを、私に感じさせてくれたからだというような言葉を頂いて、それを書いてくださいというようなやり取りをさせて頂いて。まさにこれ作家と編集者のやり取りなんですけれども、このやり取りが出来たことで、私は櫻井さんのデビューを後押し出来たのかなというふうに感じました。

田中萌アナ:じゃあまさに震災から6年って書いてあるこういった部分が編集者の力もあって実際に本当に櫻井さんの心の中がこう上手く出てきているということですね。じゃあ編集者としても非常にやり甲斐のある仕事ということですか。

長岡編集長:本当にあの真面目な態度で文章に接しておられて、もちろん細部へのこだわりは凄いですしご自身の書いた一言一句へのこだわりも凄いですし、逆にこだわるだけではなくて我々の意見、あの編集者ってのは作家にとっては最初の読者だと思うんですけれども、一番目の読者である編集者の意見もすごく素直に聞いて頂いて、我々としてはやり易かったですしやり甲斐のある作家、書き手でした。

田中萌アナ:打ち合わせはどのように勧められていったのですか?

長岡編集長:なかなかお忙しい方なので、ドラマの収録の後だったり、番組始まる前だったりという短い時間をやりくりしながらもそれぞれ1時間半ずつくらいやらせて頂いたんですが、終始真面目な態度で接して頂いて我々も本当に楽な、そういう意味ではやり易かったです、はい。

田中萌アナ:実際に資料などもご覧になりつつ書かれたということですか?

長岡編集長:我々なんかはデータを他人に任せてしまったりすることもあるんですけれども、ご自身で資料を、数字を詰めてこられて、スマホでパシャっと撮って頂いて、これ見てくださいみたいな感じで我々に見せて頂くってこともありました。

田中萌アナ:実際に取材先で撮られた写真なんかを見たりしながら。

長岡編集長:そうですね、はい。

田中萌アナ:実際こういうところにも(雑誌見せながら)そういった当時の写真もチラチラ載ったりしていますよね。本当に読みごたえのあるものですけれども、読者の反応というのはいかがですか?

長岡編集長:はい、おかげさまであの、物凄く、物凄くよく売れてます。で、驚くのは、うちの特集賛否両論のものが多いので批判や抗議もよく頂くんですけれども、今回に関してはネガティブなものが全く無いですね。読者の皆さんに櫻井さんの真意が伝わっているのかなというふうに思います。

田中萌アナ:たしかに本当に10年を取材されていたという重みが、しっかりとこの中に入っていて、本当に読んでいて私もああこういう事もあったんだと勉強になりました。是非多くの方に読んで頂きたいなと思います。櫻井さんのお人柄もよく表れている非常に良い特集だなというふうに感じました。

長岡編集長:ありがとうございます。