こんばんは。

 

横浜・横須賀 京浜急行

なりたい自分を見つける!

色彩と光で癒しを提供!カラーアートセラピスト、

斉藤裕子(さいとうひろこ)です。

 

レジュフラワー®協会認定講師
ハーバリウムコーディネーター
フラーレンクリエイター
フラワーエッセンスセラピスト

 

長らくお付き合いいただいた旅行記ですが

今日で終わりです。

よろしければもう少しだけお付き合いください。

 

実はこの日、

午後から軍艦島クルーズを予約していました。

そもそも今回の旅行の大きな目的が

数年の間には上陸できなくなってしまうという

軍艦島上陸クルーズに参加すること。

 

前日のイルカウォッチングの時に

船のおじさんが

「明日はシケだな〜。船出せないよ」

と言っていたので嫌な予感はしていたのですが

やはり午前中にクルーズの会社から電話がかかってきました。

悪天候で上陸できないことはあるかもしれないけど

船が出ないことまでは想定してなかったのですが…。

良いお天気なのに。

いくつかあるクルーズ会社の全てが

今日は船を出さないということなので

こればかりは仕方がないですね…。残念。

 

そこで向かったのが出島。

出島といえば日本史の授業で必ず習う、

鎖国していた江戸時代に

この中だけ、唯一オランダと交易することが許されていたという場所です。

 

夏に娘が長崎に行った時に

出島に行ったと聞いて

「え?出島って今でもあるの?」と驚きました。

高校生の時、修学旅行で長崎に来た時

そんな話ひとことも出なかったよ…?

 

それもそのはず、

長崎の街は開国以降、どんどん埋立が進んで

出島も周りの街並みに呑み込まれ一時は姿を消しましたが

1951年くらいから復元整備事業が始まり

徐々に発掘や復元が行われていて

今もその作業は続いています。

多分、修学旅行の時にはまだ公開まで行ってなかったのかな。

コースに入ってなかっただけかもしれませんが。

 

 

 

外側から見た出島。

 

 

この橋を渡って入っていきます。

江戸時代にはこの橋が唯一

日本と世界を結んでいたんですね。

 

中はかなり復元が進んでいます。

展示物も多く、見応えがありました。

 

 

全体の模型図もあります。

 

 

 

当時の日本では肉食がされていなかったので

出島内で家畜を飼い、お肉を調達していたとか。

 

 

 

 

当時は写真や設計図がないので

絵画や文献を元に復元する作業は

とても大変だったと思います。

和洋折衷な建物や

当時の食器や家具など

じっくりと見ていたら何時間もかかります。

 

ここから路面電車で移動。

旅の最後は

平和記念公園、浦上天主堂、爆心地公園。

 

 

平和記念公園側から見た浦上天主堂。

原爆で破壊され、

現在の建物は建て直されたものです。

 

 

爆心地公園には黒く焦げた

当時の壁の一部が残されています。

天主堂内にある

被爆マリア像の痛々しい姿に

2度とこのようなことが起きないようにとも

思いを強くしました。

 

これで2泊3日の旅は終わりです。

やっぱり行きたいところに対して

時間が足りなかったな…。

軍艦島は上陸できるうちに

是非ともリベンジしたいです。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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