昨日、
立ち止まる。
ということを覚えた。


私は何がしたいのか、なぜフェスがしたいのか、どこに1番重きをおきたいのか。
たくさんたくさん考えてみた。

私は本当に死ぬ気でこのフェスと一生向き合えるのか、保育士や教員の方がいいのではないか。
そんなこともたくさんたくさん考えてみた。

全部投げ出したくなったり
いっそのこともう辞めます!無理です!なんて言えたらだとか思ってみたりして。



大学卒業後に私がレーベルで働いたのは当時ブッキングや物販で携わっていたアーティストに『私のマネジメントをして欲しい』と呼んでもらったから。
その後も『私がしたいのはマネジメントであってCD制作ではない』ともがき会社を辞め
別のアーティストとツアーをしたりと…
繋がりだけで流れてしまい、
自分の強い意志で、悔しくて泣くくらい音楽と向き合えたかと言われたらハイとは言えないかもしれない。

そもそも私がなりたかったのは言葉を彩る人間であって音楽ではなかったわけだし、
フェスという名前に、形にこだわるのはきっと私にとってツアーの終わりがホームレスではなくフェスだったから。

これまでは。



それでも今はどうだろうか。

音楽で生きていくことの意味はまだよく分からないし
フェスという形が正しいのかも分からないけれど
私は音楽空間を作っていきたいよ。

どれだけ考えても考えても
考えるのをやめてみても
最後はやっぱり愛のある空間を作りたい。
私のゴールはここ。

(打ち合わせと分かっていてどうして私は保育中にこういうことをしてしまうのでしょうか。)

私は早くから大人にならなければならない子どもで、今でも人に頼ることが苦手。


それでも結果的にそれはフェスを狭めることになり、良くないことだって分かってはいて。
分かってはいても23年間で染み込みすぎた強がりは今更誰かに甘え頼れるほど簡単に抜けるものでもなく。
1人じゃ何も出来ないくせに
結局今の私は分かっているだけでしかなくて。


ソファーに乗ってカラフルな布を纏い、歌って踊って目の前の母や妹に笑ってもらいたかったような、そんな子どもの時みたいに生きていけたらいいのに。
大人になればただただ好きではいけないことも、想いだけではどうにもならないこともあるよね。

大きいことがしたいわけでも何千人にその空間を届けたいわけでも今はなくて
ただたった1人でも私が作る空間で明日もちょっとだけ楽しくなれそうって思ってもらえたらそれでいいの。それがいいの。

でもそれはきっと何千人に届けることができて初めてたった1人を突き刺していけるんだろうな。とも思う。

愛や感謝だけでは成り立たなくて
1人の時間を頂くということは1人の人生を頂くことでもあって
音楽イベントともなれば何百人の人生を頂くわけで。
その重みはとても大きい。


自分の無力さを知って、それでもだからといってここで終わらせていいわけでもなくて。

私の言葉は強すぎて重すぎて
綴るだけ綴って行動なんて全然追いついていなくて
それでも言葉が溢れて言葉が愛しくてこうして紡いでしまうのだけれど
言葉の比重を下げてでも動いていかないとなぁ。

動き方なんて分かんないんだけど。


なんで私はこんなにこんなに不器用なんだろう。

と思ってみたりもするけれど
それでもやっぱりいつも前を向いていたくて。
前にしか答えはなくて。


素敵な出会いがたくさんたくさんある日々。

こんなにこんなに未熟な私はたくさんの方に支えられ支えられ今を生きられていて、生かして頂いていて、決して1人で生きているわけではない。

だからこそやはり形にすることで返していきたいな。と思うのです。



絶対絶対何年かかっても何十年かかってでも私はVivid Twiggyを紡ぐ。