余裕が欲しいと思うミクです

 

寝ずの治療と投薬の量の調整、看護師さん達との対話や患者さんを心配するご家族への説明

 

何れも気を抜くとあっという間に取り返しのつかないほどの失態に繋がります。

 

患者さんの体力が徐々に回復し、食欲が出ても 電解質のバランスや水分の補正、 適切な投薬でも起こる副作用などなど

 

医師の命や生命力を削る時間が続きます。

 

やっと退院にこぎつけて、元気に退院される患者さんやご家族の笑顔を見ると ホッとします。 ご家族の方々が患者さんが頑張ったと喜んでくれると、疲れが飛びます。 

 

そんなつかの間、次々と患者さんが運び込まれ、今までの気持ちがリセットされ、戦場に看護師さん達と向かうのが私たちです。

 

もちろん、技師さん 薬剤師さん 医療事務さんの皆さんの連携も無ければ とてもでないけれど、疾患を治す または 軽減することは不可能です。 陰日向になり協力してくれる善意には頭が下がります。 仕事と言い切ってしまっても言葉のギャップを超えるほどの光を感じます。 それが善意だと私は思っています。

 

たまに、事務職の方と本音で話すことがあり、先細りになるこの業界で夢が見れるかと問うたことがあり、異口同音に皆さんは、嫌なら辞めるから、と宣います。 いまはこれが良いから仕事をしているだけだという事で、使命感よりは生活が上回ると優しく私に教えてくれます。

 

震災で霞が関は報道される事以外に水面下で進んでいる救援や救助の手配、野党との連携や近隣の市町村、県などへの有機的な協力を求めているでしょうが、ちらりともこちらにはその話は伝わってこないです。 おそらくですが、東日本震災の経験と反省から誰彼もが被災地に入って良かれと思ったことが被災されている方々に必ずしも利益にならなかったこともあったのだろうと推察しています。

 

タイタニック号が沈むとき 運命を共にした音楽隊の話があります。 ピアノやクラシックギターを趣味にしていた私は、音楽で生活するほどに技術を獲得するにはどれほどの時間と努力を費やしただろうと思うと、とても私にはできないと結論しています。 その音楽家たちが最後に誰のために音楽を奏でたかを思うと、人を守ることの方法を突き付けられます。

 

イギリスの有名な思考実験にトロッコ問題 があります。 これはどちらも選べない私には酷な思考実験ですけれど、日本が有事の際は日本のために死ねるか?という方や、それに対して反論する方もおり、それぞれが自由な意見を述べる社会が日本であることを私は忘れないから今の政治では言えないことが起こっているのかなあって思うばかりです。 

 

暇になったらば大型バイクの免許を取得して、オロロン街道を走りたい願望(すでに妄想)があるので、どんなに疲れても、絶対に教習所に行くって心でつぶやくこと 何回あったかしら? 大学時代普通二輪免許は実は取得していたので(林道走りたかったから・・・けっして殿方たちからの影響じゃないです、本当ですよ?)教習所に行けばいいだけで・・・温泉と夕日の沈む眺めをただただ見たいから。

 

そんな私にバイクを教えてくれる人もおらず、教習車はホンダだから、ホンダが良いでしょ?と考えていたところ、排気ガス規制で往年の名車が次々と姿を消している事実を知り、ガッカリしました。 ゲームで言うところのHPほぼ0になりかけました。

 

政治家そこ頑張れよぉ~ と嘆いても仕方なく、トコトコとのんびり走ってくれるバイクを探していたところ・・・ありましたよ。 

 

このバイク 良さげです(笑) あとは足が着くかなあ? くらいかしら・・・ 

 

この子ならば 頑張らなくても 低速でゆっくりと楽しめそうな気がします。 速度や峠を攻めるというのではなく、ただただ、バイクと語りながらのんびりと走りたいだけですから