2015.11月8日

先生に
この数日が山です
と言われた

わずか半月前まで
電話で話をしていたのに…

半年前までは
風邪もひかない丈夫な身体で
病気知らずな日常を過ごし、
強くて
明るくて
みんなに優しくて
たくさんたくさん私や孫達を愛してくれた
私の大好きな母が…
あと数日で
いなくなる…………



唯一弱音を吐いたのは
父だけがいる時
「ごめん、許して」
の言葉だけだった

その時は
母の苦しみを
早くなくしてほしい
と、心から願った

一日でも長く生きてほしい

そんな気持ちはなかった…

その日から
母の兄と姉も朝早くから夜中までずっと
母のそばにいました
そして父と兄は交代で泊まり込み
私と娘達は、病院のすぐ横のホテルに宿泊し
夜中でもすぐ行けるようにしていました

子ども達が寝たら
私の叔父が子ども達を見ていてくれ
その間夜中も母の所へ行っていた

母は
段々と弱るわけでもなく
血圧、呼吸も安定していたので
3日目は一旦家に戻ろうと
ホテルは予約はしなかった

そして
11月10日夜
私達が家に戻って30分くらい経った時


お母さんが今亡くなった


と、父から連絡がありました

私はとても冷静だったと思います
母から教わった
大好きな
ドライカレーの野菜を切っていました

子ども達に
ばあちゃんが天国に行ったから
またこれから
病院に戻るね

と言って

切っていた野菜はそのまま
車で病院へ向かいました

その時の車の中の事は
一切覚えていません

母は、父と二人の時に
天国へ行きました


最後まで
私に弱いところを
見せませんでした


変な表現ですが
お母さんが楽になれた
そう思える事が
私の一番の救いでした

母に癌が見つかり
たったの半年の期間で
世界がこんなにも変わってしまうなんて

その事の重大さに
私はまだ気づいていませんでした