記事は
2年前に胆管癌で亡くなった母の闘病中
のことを思い出しながら綴っています

2015.11

癌が見つかった時
初期で見つかってラッキーだと言われ
2ヶ月後に手術日が決まったものの
母より悪い人を先にやりたいので…と
二週間遅らせられ…

家族や本人からしたら、
手術をすれば何とかなる!
という願いを込めて
母は長い手術も頑張ってくれた

その後
ガタガタと調子を崩し
食べれない日が続き
日々衰えを感じながらも
何とか前を向いて
未来を信じて
明るく笑って頑張っていた母

先生からは術後の母の状態の詳しい話は一切なく

肝臓に転移がわかったと言われたと同時に
余命宣告。

お母さん、ついていけなかったよね…
心も身体も、辛かったよね…

母が病気になってから
後ろ向きな言葉は一度もきかなかった
亡くなった後に見た日記も…
頑張るぞーやっつけるぞ!
と書かれてあった。


常に
周りにありがとう、子ども達はどう?元気?
自分の事より他人を気遣う優しい人だった。

でも、たった一晩で顔が変わってしまいました…

5日間の長い眠りから目が覚めた
その次の日、
多分すぐに現実を再確認したようです

余命数ヶ月と宣告されたことを…

身体も全然動かなくなり
呼びかけにも
少し首を動かすか、指を動かす程度

1日2日で人相が変わってしまい

私が見た事のない
母の顔になり
あまりにも痩せて辛そうな
姿がありました

目を開けている時
母はボーっとして何も言わない…
どんな気持ちで
ベッドの上を見ていたのだろう

起きてると辛そうな顔をするので
また横にして身体の向きを変えたり
話かけたり色々するけど
辛そうで痛そうで
これ以上話すのも辛いのかな
と察して
私は、母と目でずっと話をすることにしました

すると時より母は、
じっと私の目を見る、少し目を潤しながら…

そんな時父が母に
「母ちゃん、○○私 に話したい事はない?
言いたい事、ちゃんと言うんだよ
親としての務めだよ」
と言った

その時もずっとじっと私の目を見つめる
とても辛そうだったので
「言葉はなくて良いよ。わかるから」
と言った。
母は目を閉じて大きく頷いた…

私はその時
「お母さんみたいなお母さんになれるよう、
頑張るね!」
と約束をしました。
そして母はまた大きく頷いた。

はっきり母に思いを伝えられたのは
それが最後でした


それからまた身体のあちらこちらに
症状がでる

動けない、話せない母を
次々に苦しめるごとく
結膜炎、帯状疱疹…
ストレスです。

日毎に変わっていく母…

帯状疱疹は顔と頭全体に広がり…
母の面影もないほどでした

思うように身体も動かせない
伝えるのもきつそうで
何とかしてあげたくても
何もできない辛さがありました

そんな時
私と子ども達がいない時
母が父の手を掴んで
必死に話したそうです…

お父さん…
ごめん、もう無理だ
許して…

と。

頑張っていたんだね、すごくすごく
家族のために
たくさん考えてたんだね
お母さん、私の前で
もっと弱音を吐いて良かったんだよ
でも最後まで守ろうとしたんだね
苦しめてごめんね

初めて母が弱音を吐きました
母はものすごく優しい人です
そして強い人です
でも、人生最後に1番の弱さを見せて

もう無理だ…
と言ったのだと思います。


母は
たった1週間ほどで
こんなにも急に変わってしまい…

その時の私の心は
ただただお母さんが少しでも苦しまないように
その手段だけを考えていました
後先なんて考えるひまもありません
自分が辛いと認識する時間もありません

ただ、目の前にいる母を楽に…
子ども達が不安定にならないように
子ども達の前では母の顔に。

そして父は、
医者にモルヒネをお願いしました。