2015.8月
幼稚園が夏休みに入り、
娘2人連れて急いで実家に帰りました。

母は術後ずっとお腹の張りが苦しい
と言ってました。

抗がん剤が始まる時、
薬の説明と、アンケートをお願いされました。

その時母は調子が悪かったため、
私が母に聞いて代筆しました。

項目の1つに
今後、良い事も悪い事も
全て聞きますか?

という項目がありました。

母に聞いたら、
良い事だけ聞いてもねぇ…
○でいいよ。
と言われたので、
私はそのまま○をつけた。
その事が
後に自分を責める事となりました。

入退院を繰り返し、抗がん剤をやっていました。
元々母は痩せていて、手術後は食事もあまりとれなかったので、体力もなくなり
抗がん剤が見送りになったり
量を減らしながらやっていました。

あれだけ子ども達とよく遊んでくれていた母が、
免疫力も落ちている時に子どもに風邪でももったら大変。と、
少しピリピリするようになっていました。
それは、母が自分には10年、20年先の未来が
あると思っていたからです。

私はそんな母の気持ちも理解しながら
無理のないよう
夏休みをとても複雑な気持ちで過ごしました。

本当はずっと母の側にいたい

でも、
少しでも母に様子がおかしいと思われたく
なかった…
いつもと変わらず…

嘘をついているようで
とてもくるしかった

私がずっと母に対してやってきた、
いつもと変わらない雰囲気

それに違和感をずっと持っていたのは
母はもうそんなに長くないんじゃないか
という、気持ちがあった事
そしてそう思ってしまう自分に
激しい罪悪感がありました。

だからといって
先生にあとどのくらい生きられますか。
と、聞こうと思った事は一度もありません。

もし聞いたら、私は今崩れてしまう
子ども達がいるのに、父を支えないといけないのに。
という気持ちだけで立っていられたからです。

でも、あの時聞いていたら…
私は、母ともっと色んな話、感謝の気持ち、
母の気持ち、私が母をどんな風に愛してきたか、
数えきれないほどの話が、もしかしたらできたかもしれない。

でも、私は
先生に言われるまでは
母が安心できるように
普段通り
いつも通りの娘でいる事にしました。

お母さん
今思えば
お母さんへの愛が大きすぎて
私の心はぐちゃぐちゃだったよ…
お母さんの変わらない笑顔を見ると
切なくなり
お母さんの辛そうな顔を見ると
苦しくなり


1人でずっとどうすべきか考えていました。

何とか母を助けたくて、
母でもできる、
指の指圧… 湯船に浸かる…免疫UPの体操などなど小さな事からたくさん。
など、本当に何でもいいから
とにかくお母さん、生きて…お願い

父と相談し色んな民間療法を試す事も考えましたが、
父は医者を信じよう。と言い、
そして父もまた、
母はもっと生きられるだろうと
思っていました。

そんな苦しい苦しい夏休みはあっという間に
終わりました

戻る時
いつも通り…
じゃあお母さん、次はお正月ね!
母は、うん、ありがとね。
次はもっと元気になってるね。
と。


お母さん…
お母さん…
大好きなお母さん

もっと話がしたかったよ
もっと触れたかったよ

それからまた
毎日毎朝母に電話をするという朝から1日がスタートしました。

メールのやり取りもしていました。
メールだけだと
本当にいつもと変わらないお母さん。
私が教えた、
「指の指圧やってるよ!意外と気持ちいいんだよね」
「お風呂だけは毎日入って湯船に浸かってるよ」
母も、私の事を本当に信用してくれていました。
それは幼いころからずっとです
私が言う事に疑う事もなく
ずっとずっと1番に子どもの事を信じてくれる
優しい母でした。




一方、父からの電話には
とても敏感になり
常にビクビクしながら
出るようになりました。
父の第一声の明るさ、暗さ
その1つ1つが
私の心を大きく揺さぶりました