ところで「最後を看取る」ということと「介護」は、違うので
私は「介護させて欲しい! 介護します!」と自ら言っても
核家族で県外に住んでいるし
中々、そういう縁はまわってこないんですが
どんなに遠く離れていても
「最後をじっと看取る」という運は私にはあるらしい・・・・
親戚でも祖父でも祖母でも
実父でも愛犬でも・・・・
「介護」というすごく大変な部分はそんなにしていないんですが
(愛犬も長く、病気したとか、だんだん弱った、ということではなく
突然、肺炎で亡くなったんですが)
大体においては、元気な時から
「もうすぐ最期を迎えるんではないかな」と薄々感じている。
そして「最期の時」というのは正確には分からないけれども
確実に「もう死ぬんだ」ということは分かっていて
その瞬間をじ~~~~と「見てる」ということだな、と改めて思いながらみていました。
眠っている時は邪魔をせず、ただ、目を開けるか旅立つ瞬間を目を離さずに
じ~~~~とみてる。
目を開けると
「暑い?寒い?のど渇いてない? 体勢は苦しくない?
大丈夫だよ。そばにいる」と話しかけて なでなでし
さわられることが、逆にしんどくないか、考える。
そして眠った後も、ただ、じ~~~~と、そばにいて
じ~~~~と最期の瞬間を見守っている、という感じ。
もう最期なんだということは分かっていて
出来ることは、もうほとんどなく、ただ、じっと、そばにいて
見守る、ということしか出来ない。
そして娘も話していますが
永眠した後は
「元気だったころの、まるちゃんを思い出したいんだけど
どうしても、死んだ時のまるちゃんを思い出してしまう」という感じ。
私も、いまでも夜中に目が覚めると
亡くなる前に、じーと私を見つめていた愛犬の白内障の瞳や
永眠する前の獅子丸の様子、
最期の父の様子などを繰り返し思い出す。
(元気な頃の姿よりも)
でも、先週、獅子丸の納骨もすませ
娘も
「いい夢を見たよ。ママの車に私とまるちゃんが乗っているの。
まるちゃんは若い姿で元気そうだった。
私の膝の上にのっかっていたんだよ(*^_^*)
いい夢だったよ」と話していて
私も
「私も、、まるちゃんの夢を見たよ。
まるちゃんは ふわふわの毛の時の姿で
私の膝の上に乗っていて「あ!生きてたんだ!」と思ったけど
隣に遺骨があって、「なんだ、やっぱり死んでいて、これは夢か。
夢の中に出てきてくれたんだね。ありがとう。
まるちゃん、大丈夫だよ。安心して天国で幸せに過ごしなさい(*^_^*)」と話した。
と答えると娘も
「私は、まるちゃんが、ずっと家にいて欲しいけど
まるちゃんには幸せに過ごして欲しいから天国で
お父さんやお母さんや兄弟と幸せに過ごして欲しい。」と
話していました。
そのへんから少し気持ちは娘も私も和らいだけど
しばらくは、亡くなった時のまるちゃんを思い出す・・・・。
生きてるものは、みんな、いつかは死んでしまうけど
私が死ぬ時、娘は、悲しいだろうな~と思うので
出来るだけ 残された人が
悲しみの少ない死に方であったらいいな、と思います・・・・
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