次女はお父さんの自死後から不登校になり

明るかった性格が一変しました。

(夫は私と離婚後の自死です。満13年が経ちました。)

 

悲しみは後からもっと突き上げてくるものですね。

 

亡くなったのは次女が小学校卒業を控えた3月。

葬儀の時はショックな気持ちと、

まだ現実を受け入れられない気持ちが混在。

 

遺品を片付けに行ったのは4月の

中学校の新学期が始まってまもなくの頃でした。

小学校卒業後、私の実家へ引っ越し、慣れない祖父母との暮らしに、知らない人たちばかりの中学校。

まだ幼い彼女には何重苦にもなってしまいました。

 

後片付けをしに行って、

お父さんはこの世からいないという現実がのしあがり、

次女はどうして死んだのかと泣きに泣き続けました。

 

あまりにも大きな声で泣くので、ひとしきり泣いた後に、

うっかり

「もうそんなに泣かないで」と私が言ってしまったのです。

 

やがて私の前ではあまり泣かなくなり

自分の殻に閉じこもるようになりました。

 

話もしなくなりました。

学校に行けなくなりました。

気持ちは行こうとするのに

行きたいのに行けない。

 

この時私は一緒に泣けない辛さがありましたね。

 

泣けなくてもせめて、

抱きしめてあげれば良かったと今なら思うのです。

 

でもそんな包容力はありませんでした。

ほんとに情けないことにです。

 

 

なんで離婚になったのか・・

子供にも申し訳なくて申し訳なくて。

 

どうしてこうなってしまったのか

思いはぐるぐると

自分を責めるばかりで。

 

その頃次女は、お父さんへ手紙を書いていたんですね。

先日片付けをしていて、何通も書いた手紙が出てきました。

 

何を書いていたの?と聞いたら

「お父さんへ

 自分は頑張っているよ、と」

 「特別なことは書いてないよ」

 

 

そして先日

次女はその手紙を燃やしました。長女も見守る中。

湿気っているのか、マッチの火を付けても燃えなかったのですが

コンロの火を付けて燃えていきました。

火災報知器がなるかと思えるほど

もくもくと煙をあげて。

思いが天に登っていったかのよう。

 

「お父さん、娘たちは頑張っています。

 

きっと見守ってくれていますね。」

 

少しホッとしました。

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あの時の辛さがふと出てきて

心臓がドキドキして

感じていくと涙がつーっと流れ出ました。

 

 

良かれと思ってしたことで

裏目に出たことが多々ありました。

 

でもその時はそうせざるを得なかった。

一所懸命生きていた中でのことです。

 

自分を責めてしまうことはたくさんありますね。

そんな自分を許してあげましょう。

と言っても決して許せる気持ちにはなれないですね。

せめて、自分の気持ちをわかってあげましょう。

 

自分をわかってあげられるのは

他でもない、自分ですから(^ ^)