前橋・駒形神社 (2025-12撮影)
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前567ブログで チョイ触れた[牧]について
東国(上野国・武蔵国)エリア界隈から
もう少し 齧ってみることに
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《牧と 豪族& 軍馬》
ある時期から 豪族の権威力の源は
馬産が示す 「牧」でもあった
上毛野氏然り 秩父氏然り
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そこで まずは
「牧の歴史」を チョイ覗いてみた
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(1)牧の始まりは、古墳時代 乗馬の導入とともに馬の飼育が始まり、河内など
畿内&九州周辺から各地の豪族によって広められた。特に東国は、馬の特産地
として知られるようになる。
❖ 「白井遺跡・ひずめ跡」・・・群馬県渋川市
広壮な山麓地帯をひかえる群馬は、馬生産にとっても格好の地域だった。事実、子持村の白井遺跡群の調査で、西暦550年頃に降下した榛名山の噴火軽石層の下から無数の馬のひづめ跡が発見され、ここで、渡来人が多数の馬を飼育していたという姿が浮き上がってきた。
楢崎修一郎 2009「白井遺跡群の馬蹄痕と馬」
『白井北中道3遺跡』群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/3578
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(2)645年以降、牧は律令制のもとで整備が進められた。
『日本書紀』には、668年に「牧を多く置き、馬を放つ」とあり、この頃には国家的な
牧の経営が行われていたことがわかる。
(3)700年には、文武天皇の勅により、全国に牧地が定められ、牛馬の放牧が奨励された。
牧では、軍団用の馬の供給や、駅馬・伝馬、農耕用の牛などが飼育された。
「諸国(くにぐに)をして牧地(うまち)を定め、牛馬(うしうま)を放たしむ」
・・・・・ 『続日本紀』巻第一、文武天皇4年3月(700年)
(4)令制においては、「厩牧令」や「厩庫律」によって牧の制度が規定され、全国の牧は
兵部省の管轄下で運営された。
*厩牧令(くもくりょう)=古代の法令。令の編目で、牛馬の飼養および駅馬、
伝馬などについて規定したもの
*厩庫律(きゅうこりつ)=律の編目の1つ。主に厩・牧場及び倉庫に関する
刑事事案を扱い、令の厩牧令・倉庫令と対になるものであった。
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(5)707年には、鉄印が支給され、子牛に焼印を押す制度が導入されたことから、
多くの国で官牧が設置されていたことがわかる。
円山遺跡(埼玉県熊谷市)出土の烙印
烙印の印面 烙印の出土状況
鉄板で「有」の文字を表している 右側の棒状のもの
(画像を左右に反転している)
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下の絵中の馬、尻の部分を注視してください。
№30の位置に「△」印があります。これが烙印(馬印)と思われます。
古代の烙印の実物は、埼玉県では深谷市(旧岡部町)の北坂遺跡から「中」文字例が出土しており、上記の 円山遺跡の「有」例とともに古代の牧の実態を知る実物資料として貴重な遺物です。
「烙印(馬印)の押された馬の姿」
― 慕帰(ぼき)絵詞 ― より
(6)8世紀末、平安時代初期になると、軍団制の崩壊とともに、牧は中央へ貢上する
馬の育成場として再編された。
(7)新たに勅旨牧(御牧)が発展し、これは内厩寮が管理した。
甲斐国、武蔵国、信濃国、上野国の4か国に32の牧が設置され、毎年240頭の馬が貢上された。
これらの牧には、牧監や別当が任命され、中央政府の直轄体制が強化された。
[御牧]-㉜カ所
甲斐国-④ 柏前牧・穂坂牧・真衣野牧
武蔵国-④ 石川牧・小川牧・由比牧・立野牧
信濃国-⑯ 山鹿牧・岡屋牧・塩原牧・笠原牧・高位牧・宮処牧・埴原牧・平井手牧
大野牧・大室牧・猪鹿牧・萩倉牧・新治牧・長倉牧・塩野牧・望月牧
上野国-⑧ 利刈牧・沼尾牧・拝志牧・久野牧・市代牧・大塩牧・塩山牧・有馬島牧
上野国 [御牧]の推定地 (群馬歴博図では9ヵ所)
[牧の種類] 大きく分けて以下の3種類
● 諸国牧(官牧): 兵部省管轄下の牧で、軍馬の供給を主な目的とした
===(東 北経営への対応でしょう)
● 勅旨牧(御牧): 中央政府直轄の牧で、主に天皇の儀式や行幸に用いる
馬を飼育していた
● 近都牧(寮牧): 畿内近国に設置された牧で、貢上された牛馬を飼育し、
必要に応じて京に牽進した
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(参考):[武蔵国の牧]: 所在地
● 官牧-② 檜前(ひのくま)馬牧 神崎牛牧 の2ヵ所
(牧の位置は)
*檜前馬牧: 防人檜前舎人石前の出身地である那珂郡駒衣村(児玉郡美里村)
*神崎牛牧: 東京都内の牛込の地と考えられている
● 御牧-⑤ 『延喜式』によると 石川牧・由比牧・小川牧・立野牧 の4ヵ所
・・・・・『拾芥抄』で4牧と共に 秩父牧を挙げて5牧としている
(牧の位置は)
*石川牧: 久良岐郡本牧(横浜市)の地
*由比牧&小川牧: 多摩郡内に比定される
*立野牧: 都筑郡(神奈川県)立野郷とする説と、
足立郡大間木(浦和市)とする説がある
*秩父牧: 石田牧(長瀞町)と 阿久原牧(神泉村)から成っていた
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(8)これらの他に、摂関家などの貴族や寺社が経営する「私牧」も存在した。
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(9)牧は徐々に荘園の一種と化し、中には耕地化されたものもあったという。
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(10)このような牧や皮革製造技法の発達によってもたらされた東国の馬匹文化は、
こののち、荘園の発展とともに新しい土豪層を育成し、武士勃興の重要な基盤と
なるのである。
(サードペディア百科事典&越谷市デジタルアーカイブ)をベース情報とした
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そういえば 来年
令和8年(2026)は 午年(うまどし)
干支では 「丙午(ひのえうま)」
午 ➡➡ ➡➡ ➡➡ 馬(うま)
「午(ご)」は十二支の一つで、本来は動物の馬とは別の
“時間・方角・季節”を示す古い符号。
対応関係は、時間なら11時〜13時ごろ、方角は南、五行は“火”。
のちに覚えやすいように 十二の動物が当てられ、「午=うま」となった。
昼の太陽が真南に上るイメージや、火の要素の活発さから
「前へ進む」 「勢いを得る」 という連想を呼ぶ
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神社では、神さまに奉仕する“神馬”が奉納され、
祈雨・止雨の祈りに毛色を使い分けた古例も伝わる。
やがて生きた馬の奉献が減り、
板に描いた“絵馬”を奉納して願いを託す形が広まった。
お寺では、観音菩薩が憤怒の姿で畜生の苦を救う
「馬頭観音」が民間信仰と結びつき、
街道沿いの辻や寺社境内に石塔が建てられた。
台座に「右○里」などの刻字を添え、道標を兼ねた例もある。
古代の七道駅路&駅家などを 齧ってる際
なぜ 「駅」という文字が 「馬偏?」なのか
字源などの面白さを知った・・・「驛」「駅伝」…
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加えて
[牧]の跡地周辺に 馬にリンクした
神社仏閣があるらしいことを知った
& 馬を祀っている社寺なども
思い出された
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そこで 東国がらみでチョイリサーチすると
ヒットしたのが 「駒形神社」であった
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まずは 延喜式内社である
東北地方で最高階位の神格を得た
「陸中一宮・駒形神社」
その[御由緒]が 東国古代を語っていたとは…
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❖ 陸中一宮 駒形神社 [御由緒] 岩手県奥州市水沢中上野町1-83(水沢公園内)
上古の代、関東に毛野一族が台頭し、赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、後に上毛野国と下毛野国に分れ、下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。
休火山を背景として奉祀されたもので、赤城火山の外輪山にも駒形山があり、二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。
上毛野・下毛野氏は、勢力を北にのばし、行く先々に祖国に習い、休火山で外輪山を持つ形のいい山を捜し出し、連山の中で二番目の高峰を駒ケ岳又は駒形山と名付け、駒形大神を奉祀した。
奥州にも及び、胆沢平野から雄姿を目にし、山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と命名した。
これは上毛野胆沢公によるものであり、時は雄略天皇の御代(456年頃)であった。
このように全国の秀峰に祀られた駒形神社の中で、延喜式神名帳にあるのは宮城県栗原郡駒形根神社と当社の二社のみである。
当社が従四位下に神階を進めたのは、陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍坂上田村麻呂による崇敬の念の篤かったことから始まり、この鎮守府の度々の上奏によるものだった。
駒形という名称は古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、コマをカラと歌った。
当時の朝鮮は高麗朝時代であり、文化伝来の憧れの国でもあったのでコマという
ことばを用い世間に誇示した。
箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。
このように赤城の神は 駒形の神とも言える。
坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。
平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。
このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、この山に
駒形大神を奉祀したと考えられる。
箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。駒形の神に祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか想像することが出来る。
かくして駒形神社の崇敬は華々しく、分社は東北各県より関東に亘り、その数、
百余社に及んでいる。
東国・上野国に鎮座する
[駒形神社]を参詣して参りましたので
チョイご報告
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上野国前橋鎮座 [駒形神社]
群馬県前橋市駒形町710
[御祭神] 保食命
大己貴命 大物主命 菅原道真公 伊弉那岐命 伊弉那美命
火雷命 武御名方命 須佐之男命
[社格等] 旧村社 神饌弊帛料供進神社
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[御由緒]
当神社の鎮座するこの地は、古くは利根川本流の西岸に位置し、広漠たる原野の中に駒形社一社のみあり、駒形大明神と称していました。
ご祭神は「保食命(うけもちのみこと)」で、食物農耕守護の神として信仰されていました。
上野名跡考では『駒形とは、野の神・山の神・水の神・土の神の他社より浄き土を採り駒形を造り、野馬守護のためこの四神を祀る』と誌されております。
境内は馬蹄形をなし源頼朝の愛馬「磨墨(するすみ)」の蹄と伝えられるものが御神体の一部にあります。
「上野国群村誌」によると、勧請年月は元亀元年(1570)と伝えられています。
(中略)
大正3年10月9日群馬県より神饌幣帛共進神社に指定され村社となり、昭和27年
12月、宗教法人駒形神社となりました。
その後、平成17年10月、社殿新築百年祭の記念事業が盛大に行われました。
勇壮たる参道狛犬 昭和12年(1937)奉納
[参詣ポイント]
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花や木の実などの手水舎 注目は中央に「馬の顔の像」あり
拝殿前に 躍動感あふれる 馬の像が奉献
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残念ながら 予想外に「小振り石像」であった ![]()
だが 御覧のように 姿は凛々しく 惚れ惚れする
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R7 12月御朱印 & R8 初詣の掲示物
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次に
武蔵国・駒形神社を 一社参詣
(2025-12-08)
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[蛭川駒形神社]
埼玉県本庄市児玉町蛭川214
[御祭神] 駒形大神(天照大神他6神で構成、推定)
[社格等] 旧指定村社
[勧 請] 延喜年中(901−923)
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拝殿 素朴な造り
[御縁起] 筆者の注目した説明内容(抜粋)
当社の創建については『児玉郡誌』に「当社は延喜年中(901~923)有道宿禰氏道、牧宰惟継、旧字宮田(現在鳥居)の地に勧請する所にして延久年間(1069~1074)
武蔵守維行の男弘行、当国御牧の別当の時牛馬の守護の神たるを以て良馬蕃殖を本社に祈り、社殿を修理し神田若千を寄附す。
駒形神社 御由緒 (境内掲示板)
本殿に 彫刻などが施されていたが 彫り物は かなり傷んでいる感じ
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古代史を齧っていると
嬉しくなってくる時が
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例えば 「駅」の文字
古代の駅路は 「馬が交通手段」
よって 《馬偏》になったとか…
(^ω^)### FIN ###(^ω^)
「人間万事塞翁が馬」
万事 「うまくいく」
瓢箪から 駒が出る:駿馬
「駒」の字は、古代中国における馬を指す文字から派生したもの
「午」の字
午という文字は「杵(きね)」に由来し
杵の力でお米がお餅になるように
勢いを象徴する縁起の良い漢字
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またまた 武州上岡・馬頭観世音を参詣 (2025-12-10)

















































