= Ancient Eastern Japan =
・・・・・・・・ ❖ ・・・・・・・・
![]()
前回の 「横見郡三社巡り」から
思い浮かべた 武蔵国の三社巡り
それが
もう一つの 『武蔵氷川三社巡り』 であった
![]()
5年前(2021-05)に 当ブログで
埼玉県の中枢エリアに位置する
[大宮氷川神社(武蔵第一) & 見沼界隈]を
謎多き 「氷川神・氷川信仰」と捉え チョイ齧り
ブログ361~365(5回シリーズ)にて UPしている
![]()
その際 注目したのが
レイライン上に揃う 延喜式式内社 「氷川三神社」で
![]()
別称 メインの「武蔵氷川三社」であった
![]()
すなわち
[大宮氷川神社・・・中山神社(中氷川神社)・・・氷川女體神社]
の 氷川三社であった
& &
この時 併せてゲットしていた情報が
もうひとつの 『武蔵氷川三社巡り』
![]()
[大宮氷川神社・・・中氷川神社・・・奥氷川神社]
の 「武蔵三氷川」であった
![]()
いつの日か この三氷川参詣を
と 思いながらも 暫し失念
& ➡ここで回復することに good !! good !!
・・・(^ω^)・・・(^ω^)・・・(^ω^)・・・
![]()
そこで さっそく
もう一つの 「氷川三社巡り」へと 向かいたいところ
だが
なにぶん 5年前の氷川神社齧り ゆえに
まずは前段として チョイ復習を
***
***
![]()
● 氷川信仰::(Wikipedia抜粋)
《概要》
『日本三代実録』や『延喜式神名帳』に「氷川神(ひかわのかみ)」と記載され、
正四位上まで昇った。
これが氷川神社の前身である。
農業用水として役割が大きい半面氾濫を起こす暴れ川・荒川の本支流域に多く、
ヤマトタケルの東征経路や、8世紀に出雲族出身の无邪志国造が開拓したと伝え
られる地域と一致した分布を示している。
氷川という名も出雲国の簸川(ひかわ、現在の斐伊川)に由来するとされる。
中世以降、源頼朝を始めとする坂東武者の信仰対象にもなり、各地へ勧請された。
かつては「氷川明神」と称し、江戸時代には江戸市中の7社を特に「江戸七氷川」と称したこともあった。
現在、スサノオ以外にもクシナダヒメ・大国主の妻子(孫)を配祀する社が多い。
《異説》
実は本来の「氷川神」はスサノオではなく見沼の水神とも謂われる自然神であって、その信仰にヤマト族や出雲族の産土神であるスサノオ信仰が融合してできた
のが 現在の氷川信仰であるという説がある。
・・・
・・![]()
![]()
❖ 武蔵一宮 氷川神社(本社)=大宮氷川神社 ➡ブログ361
[場所]: さいたま市大宮区高鼻町
[概要]: 約2400年の歴史を持つ日本有数の古社、氷川神社の総本社。大宮の地名の
由来にもなっている。
❖ 中山神社(中氷川神社) ➡ブログ363
[場所]: さいたま市見沼区中川
[概要]: 本社と女體神社の中間に位置する神社、かつては「中氷川神社」と
呼ばれていた。
❖ 氷川女體神社(女体社) ➡ブログ362
場所]: さいたま市緑区三室
[概要]: 見沼の東側に鎮座、素戔嗚尊の妻である稲田姫命を祀っている。
![]()
江戸時代には これら三社を巡拝する
「武蔵一宮詣(氷川三社巡り)」が 盛んに行われていた。
*******
*******
![]()
で
は
もう一つの 『武蔵氷川三社巡り』 へ
![]()
● [武蔵三氷川としての位置づけ]
氷川密教の伝説では、出雲から移り住んだ一族が、多摩川の最上流にあたるこの地に最初の氷川神を祀ったのが起源とされている。
*[奥氷川神社(奥多摩町)]: ➡ 本社(上流・奥社に相当)
*[中氷川神社(所沢市)]: ➡ 中社(中流)
*[氷川神社(さいたま市大宮区)]: ➡ 前社(下流・現在の総本社)
これらは一直線上に並ぶように配置されており、
奥氷川神社は氷川信仰の源流・原点ともいえる重要な聖地である。
三社は一直線上(レイライン)ではない 古地図ではどうであろうか?・・・
![]()
上記地図の如く
東京都と埼玉県に鎮座する三社の氷川神社
武蔵第一[大宮氷川神社] その西方の [中氷川神社]& [奥氷川神社]。
但し 式内社の[中氷川神社]は 埼玉県所沢市内に論社が二つある
![]()
との 論社問題ある中
本社の[大宮氷川神社]は ブログ361で参詣済みとして
![]()
今回の三社巡りは 変則的に
● [奥氷川神社] & ● [中氷川神社]・論社×2
を アップすることに
**************
ここから 参詣フォトを 個々に
![]()
● [奥氷川神社] 上氷川神社とも
[住所] 東京都 西多摩郡奥多摩町氷川178素戔嗚尊、奇稲田姫命、建御名方命
[祭神] 奥氷川神社の祭神は速須佐之男命、櫛稲田姫命で、もと奥氷川大明神と
呼び相殿として建御名方命が祀られ、これを諏訪大明神と呼んでいた。
拝殿の心学 ![]()
もう少しで 100年鎮座の狛犬像
昭和4年(1929)奉納
牟邪志(後の武蔵)最初の国造は出雲臣伊佐知直(いさちのあたひ)、
この出雲臣は当初多摩川下流に拠点をもち、その上流奥多摩氷川の愛宕山の地形を祖国出雲で祖神を祀る日御碕神社の神岳と見、ここへ祖神の氷川神を勧請したのが武蔵に数多い氷川神社の起源で、
牟邪志、知々夫両国の合一によって本拠の国府を府中に移して氷川神を中氷川へ、さらに大宮へ移したのだろうといわれる。
奥多摩町史などは、
当社が全国の氷川社(大半は旧武蔵国に分布)の起源だとの説を紹介している。
都指定・天然記念物 御神木「氷川三本スギ」 東京都随一の杉の巨木
根元近くから3本に分かれているのが名の由来
現在の参詣口は 国道411(氷川大橋下)と「三本スギ」の間の小径
初参詣では 鳥居口は分かりずらい
従って 鳥居をくぐるのは 参拝後に境内を出る時となる
![]()
鳥居口から 石段を下りると
多摩川沿いへと進める小径があった
渓谷散策だ
下っていくと 吊り橋(氷川小橋)あり
この奥氷川神社&多摩川周辺は
散策路が多く 空気おいしく おすすめコースだね
氷川渓谷・愛宕山 散策マップ(中心部をトリミング)
*******
*******
さて 次に [中氷川神社]の
式内社・論社2ヶ所について
![]()
所沢市三ケ島と同市山口に鎮座する二社
車では 約10分と 案外 両社は近かった
両社の表現
所沢市三ヶ島(鎮座地) 所沢市山口(鎮座地)
![]()
中氷川神社の社号については、中武蔵にある氷川神社の意であるとか、
足立郡大宮(現大宮市)武蔵一の宮の氷川神社と、西多摩郡氷川村(現東京都西多摩郡奥多摩町)にある奥氷川神社(上氷川神社とも称す)との中間にあることに由来するなどの説があるが、
いずれの説もまだ推測の域を出ていない。
![]()
では論社の 参詣2社を チョイご案内
![]()
●[中氷川神社] -論社-《三ヶ島》
[住所] 埼玉県 所沢市三ヶ島5-1691-1
[祭神] 須佐之男命 奇稲田姫命 大己貴命 少彦名命
『神祇志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされていることから、当社が延喜式式内社の中氷川社だという。
いつの頃からか「長宮明神」とも「中宮」とも称されて入間郡三ヶ嶋領の総鎮守だったといい、天正19年(1591)には社領10石の御朱印状を拝領、明治5年村社
参道の両脇には桜が植樹されており、春には花見がてら参詣に訪れる人も多い。
この境内が、北東から南西にかけて、非常に細長い形をしているところから、
かつて当社は「長宮」とも称されていた。
![]()
おっと こちらの狛犬像は 来年100周年だ
昭和2年(1927)奉納
手水舎 文政11年(1828) 水盤の動物は「白虎?」
軒下の隅木に沿って霊獣の彫刻(拝殿)
覆屋内の本殿は 彫刻類が多岐に渡る
**********![]()
![]()
● [中氷川神社] -論社-《山口》
[住所] 埼玉県 所沢市山口1849
[祭神] 須佐之男命 奇稲田姫命 大己貴命 七社大神 ・・・・
延喜式内祈年國幣社で入間・多摩二郡にまたがる92ヶ村の総鎮守として山口城主崇敬も厚かった。約3500坪の狭山丘陵の杜に大社造りの御本殿に鎮座している。
山口貯水池の湖底に沈んだ、朝鮮半島より渡来した人の居住地と伝えられる勝楽寺村の七社神社が合祀されている。
(南参道) ・・・主な参詣口が 二カ所あり・・・ (東参道)
鳥居のタイプが2種(明神系鳥居と神明系鳥居) 合祀?
石段を上がった突き当りに 立派な社殿 ![]()
拝殿の 神額
拝殿後ろの幣殿が飛び出ている(珍しいかな)
本殿は大社造(昭和2年建立)…珍しか~!
昭和45年(1970)奉納
******* ![]()
![]()
*******
「中氷川神社」は
古くから三ケ島のことであるとも
また同市内の山口にある同名の神社であるとも
いわれているが
両社共に式内社であることを裏付ける
エビデンスが得られていないために
今日においてもまだ結論は出されていない
(^ω^)### FIN ###(^ω^)
![]()




























































