安楽寺仁王門 & 軍荼利明王堂(右奥)
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[成木山愛染院・安楽寺]
和銅年間(708~714)僧行基が諸国巡錫の途次、山上のクスノキの巨木が鳴動し光を発した。
その光の中に軍茶利の形を見て、この木を伐り、一丈二尺(3.6m)の軍荼利明王を彫りあげ一堂に安置したのが、安楽寺の基という。樟木が鳴ったので、鳴木(なりき)すなわち成木山と号したという。
果たして 現在の「軍荼利(ぐんだり)明王堂」が その一堂であったのか
安楽寺本堂より手前に位置する [仁王門&軍荼利明王堂]
実は
安楽寺参詣の主目的は 仁王様の拝観であった
参詣順序が 本堂優先となり 前後してしまったが
今回 仁王像エリアを参詣したその様子を チョイご紹介
まずは
安楽寺本堂と軍荼利明王堂との 位置関係を ご覧いただこう
[➀参道入口 ➡ ②仁王門・軍荼利明王堂 ➡ ③安楽寺本堂]へ]
が スタンダードな参詣順路
(google地図より)
➀参道入口 = 「安楽寺通り」へ入る
「成木山安楽寺御参道」の標柱 & 「安楽寺通り」の標柱
参道を進んで行くと まず ②仁王門(山門)が目の前に
更に
仁王門左手の安楽寺通りを 約200m上ったところに ③本堂エリア
ここからは ②仁王門エリアの 参詣となる
(仁王門エリアの拡大マップ)
仁王門の正面へ goodフォルムだ
昭和57~59年(1982~1984)修復という
仁王門の 右サイドフェース
仁王像が オープン安置であった 拝観にgood!
さて ここの仁王像は 東京都指定有形文化財
ところが どうもネーミングが オモシロイ 珍しい
[木造金剛力士立像吽形] & [木造伝金剛力士立像]とある
よく読むと 対をなすべき 右像に阿形名がついていない
そういわれれば 左方・吽形像は よく拝観する仁王像スタイルで 納得するが
右方の像は 仁王像(=金剛力士像)には どうしても見えない
木造金剛力士立像吽形(像高・211.2㎝) 木造伝金剛力士立像(像高・189.7㎝)
結局のところ
吽形と対をなす 本来の阿形像が 何らかの理由で失われ
他所から起用された ピンチヒッターの可能性が高いらしい
背後から見た 光背らしきものも 左右が対の像とは思えない作風であった
材質は両像とも カツラ & 一木造
表情や動作 & 筋肉の表現は 穏やかな感じ
という印象は 平安時代後期の作風とのこと
この二体も 木造ゆえ 今迄幾多の損傷修復作業があったかと
現在の姿は 昭和57~59年にかけて 仁王門同様に 修復作業が行われ 一新したという
平安時代後期の作と 知ったせいか
なんとなく柔和な & 素朴な & 親近感を抱けた 仁王様であった
次に 仁王門をくぐり [軍荼利明王堂]へ
ご本尊・軍荼利明王立像は 堂内奥の厨子中に安置されていて
毎年8月14日に ご開帳とのこと
従って 今回は 堂宇のみ
それにしても 窓がない堂宇かな
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❖ 軍荼利明王について
軍荼利明王は、悪鬼などの外敵、特に 善事を邪魔する者から 人々を守り、
さまざまな障害を取り除いてくれる 密教の仏様
軍荼利は 梵語の「グンダリー」の音訳と云われ、「とぐろを巻いている」
という意味。
軍荼利明王像には、手や足に蛇を巻きつけている像も多く見られる。
安楽寺の[木造軍荼利明王立像] 鎌倉時代の像と推定されている
安楽寺軍荼利明王堂等 | 文化財工学研究所 (bunkouken.com)より
全解体修理 平成8(1996)年度竣工
安楽寺の[木造軍荼利明王立像]
軍荼利明王堂 向って左エリアに 遊水池(?)あり
遊水池の祠は おそらくは「弁天社」
弁天社&仁王門(裏)
その遊水池近くの北側に 「倶利伽羅不動」が
遊水池&倶利伽羅不動(右隅)
軍荼利明王リンクであろうか
安楽寺の[倶利伽羅不動]なり
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❖ 倶利迦羅(くりから)不動明王=「倶利迦羅竜王」
不動明王の化身としての竜王。形像は、岩上で火炎に包まれた黒竜が剣に巻きついて、それをのもうとするさまに表される。
剣は外道 (げどう) の智、竜は不動明王の智を表したものという。
倶利迦羅明王。倶利迦羅不動明王。倶利伽羅。
軍荼利明王堂の裏手 石段を上った小高い所に
これまた 小さな祠らしきものが 目に入った
近づいてみると
中には 石造の「お犬様」が一体 鎮座し
傍らの壁面には 朱色の「お犬様絵馬」が2枚あり
絵馬からは 「狼さま」がイメージされた
考えるに 当地も
[狼(お犬様)信仰]が 盛んだったのだろう・・・かと
最後のフォトは 仁王門の右サイドに 鎮座する
[成木神社]・・・由来等は?
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成木神社サイドで 目に留まった 参道らしき石標・・・