(572)続きです
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畿内に始まった寺院建立の風は7世紀後半以降、全国各地へと波及していく。
東国への寺院波及は壬申の乱(672年)以後急速に進展。
8世紀後半になると、関東の集落遺跡からは仏教的要素の強い遺物が出土するようになる。
また、鑑真の高弟・道忠(どうちゅう)が布教活動を行ったのもこの時期のことと伝えられており、仏教が次第に民衆に浸透していった様子がうかがえる。
武蔵国でもこの時期の廃寺跡が各地に残されている。
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では
武蔵国(埼玉県)の 古代廃寺跡を
少々確認してみることに
埼玉県内でも 奈良時代以前に
滑川町・寺谷(てらやつ)廃寺、 寄居町・馬騎の内(まきのうち)廃寺、
鳩山町・小用(こよう)廃寺、 坂戸市・勝呂(すぐろ)廃寺、
熊谷市・西別府(にしべっぷ)廃寺 などが建立された。
(1)このうち最も古い型式の瓦を出すのは寺谷廃寺で、7世紀前半まで遡る
可能性を秘めている。
(2)馬騎の内廃寺は7世紀中葉、
(3)小用廃寺、勝呂廃寺、西別府廃寺は7世紀後半に位置づけられている。
寺谷廃寺が7世紀前半に遡るとすれば、関東地方のみならず、全国的に見てもきわめて早い時期の寺院建立の例となる。
その原因の一つに当時滑川町一帯に居住していた渡来系氏族・壬生吉士(みぶのきっし)の活躍があげられている。
奈良時代になると寺院建立はますます盛んになり、
日高市・女影(おなかげ)廃寺、 同・大寺(おおでら)廃寺、 同・高岡廃寺、 児玉郡神川町・城戸野(じょうどの)廃寺、 児玉郡上里町・五明(ごみょう)廃寺、
児玉郡美里町・大仏廃寺、 浦和市・大久保領家廃寺、行田市・盛徳(じょうとく)寺廃寺など、新座、横見、大里、秩父郡を除く全ての郡に及んでいる。
*** [附] ***
*過去ブログ537に [盛徳寺]あり 2024/7参詣
「埼玉県屈指の古刹にて *仁王像を拝観する」
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縁起によれば、大同年間(806-810)の創建。
境内には、円形の造り出しをもった奈良時代特有の礎石が数個現存しているが、
当時の原位置とは異なっている。
*** 個別にチョット ***
● 寺谷廃寺(てらやつはいじ) 平谷窯跡(たいらやつかまあと)=瓦を供給
埼玉県比企郡滑川町
7世紀前半に寺院が造営=東日本最古と推測される
駒澤大学考古学研究室2010年度発掘調査報告
(寺谷廃寺・平谷窯跡ともに埋め戻し)
● 勝呂廃寺跡 (すぐろはいじあと) 埼玉県坂戸市石井・県選定
時期:7世紀後半
2026-03現況フォト
● 西別府廃寺跡(にしべっぷはいじあと) 埼玉県熊谷市西別府
創建は奈良時代の8世紀初頭頃(上述では7世紀後半?)
出土瓦から、8世紀初頭の建立と考えられる。
郡家に隣接して古代寺院が造営される事例は多く、郡司が深く関与した寺院と
考えられている。
(^ω^)### FIN ###(^ω^)
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この機会に見学してきました
[南比企窯跡国史跡指定3周年記念 武蔵国4大窯跡展を開催]
「武蔵国・4大窯跡展」
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鳩山町 「出土品・常設展示室」
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