小学校5~6年生の頃だろうか。
 仲良しの友達に、「おばあさんの手みたい」と言われたことがある。特に傷ついた覚えはないし、彼女も悪気があって言ったのではないと思う。
 両手を広げて、友達の指と自分の指とを比べてみた。振り返って他の子の指も盗み見た。そして心の中で「やっぱりな」と思った。
 うすうすは感じていたけれど、彼女に言われるまでもなく、私の指は決して美しくはなかった。関節がゴツゴツと力強そうで、指も太い。おまけにシワシワで、まさに「おばあさんの手」だ。
 もっと幼い頃、担任の女の先生の指があまりにきれいで、見とれたことがあった。家に帰れば、母の指も白くて長かった。担任の先生と同じ形の指をしていた。そして、大きくなれば、きっと母や先生と同じように綺麗な指になれると信じていた。友達に言われるずっと前から、私は自分の指の醜さに気づいていたのだ。
 ピアノの練習を一日に何時間もしていたからとか、わざと関節をボキボキと鳴らしていたからとか、そんな見えすいた言い訳が頭をよぎったこともあるが、これは生まれつきだとわかっていた。そして、もっと後になって、突然気づいた。「そうか、これは父の指だ」。
 思春期の頃、私は父が嫌いだった。幼い頃は、接待ゴルフのない日曜日に一緒にバレーボールをしてくれたり、近くの海に連れて行ってくれるのが嬉しかった。しかし成長するに連れ、母にも、私や弟にも声を荒げたことが一度もなく、時折見せる母のヒステリーを笑って受け止め、子供たちが反抗しても黙っているだけの父に、イライラは募っていった。
 父は毎日のように酒を飲んで帰り、私たち家族は、平日に父と一緒に夕飯をとることは一度もなかった。高度成長期の営業マンは、酒が飲めなければ契約が取れないということを知ったのは、ずっと後のことだ。
 父は、何時に帰ってきても、まず私の部屋に入り、寝ている私のおでこに手を当てた。まるで、「ただいま、今日も元気だったか」というように。私は、それが嫌だった。父が帰ってきて、玄関のカギを開ける音がすると、読書をしていても編み物をしていても、電気を消して寝たふりをした。あの指に触れられるのが嫌だった。それは太くて温かくて、柔らかい指だった。「来るぞ、来るぞ」とギュッと目をつむり、その瞬間が過ぎるのを待った。
 酒の席で契約を取り、顧客を増やし、やがて小さな会社を興した頃、父は成功と引き替えに糖尿病を発症した。それからは必要以上のつき合いをやめて、早く帰ってくるようになった。いつの間にか、「おでこの儀式」は無くなった。
 父は、母が細かく計量した分だけの食事を口にした。それは、子供心にも哀れに思うほどの量で、私の半分もなかったような気がする。しかし父は愚痴るわけでもなく、いつも美味しそうに食べた。噛みしめるようにゆっくりと味わい、「ああ、美味しかったなあ」と、にこにこと笑った。そして20キロの減量に成功した。
 しかし、涙ぐましい努力も病気の進行を抑えるだけで、完治までには至らなかった。糖尿病の末期症状は目に現れる。父の目は、次第に光を失っていった。
 今、父の目はほとんど見えない。もう、私の顔も孫の顔もわからない。色のない世界で、ぼんやりとした輪郭しか見えない。それでも毎日散歩をし、週に一度は会社に顔を出し、趣味の仲間と一緒に旅行もする。
 年に数回の帰省の時、私は必ず父の散歩につき合う。あからさまに手をつなぐことはないが、車道を横切ったり段差があるときは、父の手に自分の手を添える。同じ手。同じように美しくない手。親子の手。
 父の手は、昔と同じように太くて温かくて柔らかい。

2012年5月