生き急ぐ毎日の中で
流れ作業のように忙しい日常の中で
いろんなことがあります



人との関わり合いで
人は成長します

人の為と書いて 偽りと読みます

全ては誰かのためでは無く
実は、自分の為

仕事もプライベートも全てそう


人はひとりでは生きられません
人は人の中でしか育ちません

人の中で 自分自身が
成長していかなきゃいけない・・・


言葉は
気持ちを伝えるための道具で、

話すは
気持ちを伝えるための手段です

そして
言葉というものは
言葉たったひとつで
心を 生かすも ◯すもできる・・・

怖いね?

言葉って

使い方間違えただけで

人の生き方まで変えてしまうこともあるから



遠い昔 
"そのままでいいから
  ありのままの今のままでいいから" 
って言われたことがありました

その時は
自己否定感が高かったのと
自分に納得がいかなくて
もっと変わらなきゃって  思っていたけど

今振り返れば
そのままでいいからって言われた時 
ちょっとだけ 一瞬安心したような
救われたような気持ちになった記憶があります

たぶん
こんな足りないことだらけの自分でも
肯定してくれる人がいてくれたことが
自分に対する甘えもあったかもしれないけれど
ちょっとだけ自分を認めてもらえた気がして嬉しかったのかもしれません


"桜梅桃李"

人にはそれぞれ個性があります


良く変わっていくことは大事なことかもしれない

けど

そんなに こんなに 何もかも
他人が求める高い理想像を目指して
変わらなきゃいけないものなのでしょうか



足りない事だらけの無力な自分に

何かを求められたわけでも無く


当時
そのままでいいから、と
ただただ
ありのままの自分を
大事に見守ってくれた その人は 

実は 特別だったんだ、って
気付かされ 今頃になって再認識です

最近
もういい 死にたい
って思う事がよくあります

自分は生きてる価値あるのかな?
何のために生きてるのかな?って
思ったりすることがありますが

思えば あの時も
そう思いながら 忙しい日常の中
毎日職場と自宅の往復だった気がします

あの時言われた
"そのままでいいから"は
まるで魔法みたいな言葉だった

肩の力が抜けた感覚になった記憶があります


人間誰しも
それぞれの個性やカラー、性格があります

いいところも悪いところも 全部含めて、
家族のように"無性の愛情"を注いでくれた人・未熟な自分を"支えてくれた人"は
実は当たり前じゃなかったんだな、って
最近、人から求められる事が多々あった時に
ふと気付かされたりしました


『大切なことは 目に見えない』


経済力があるとか 高学歴だとか
見た目がかっこいいとか美しいとか綺麗とか
何でも、素敵で良いに越したことはないです


この歳になって 考えることが色々あります

あと私は 何年    生きられるだろう?

持病があるので もしかしたら
そんなに長く生きられないかもしれません

残り限られた人生を
大切な人と 限られた大事な時間を
濃い時間で過ごしていきたいです


当たり前にある日常は
決して当たり前にはありません

出逢いも 偶然では無く必然

人に助けられて
救われたり
元気もらえたり
幸せだなって感じられたことが
一瞬一瞬多々あります

それもこれも
当たり前ではないこと
"幸せなこと"

良かった!幸せ!って思えたことは
すごく嬉しくてかけがえのないこと

日常生活は 実は
楽しかったことや幸せなことで
あふれています

当たり前にある幸せが
奇跡なことに気付けないでいる


毎日が宝探しみたい!

これからの人生で
人と関わり合う上で

人に何かを求めるのではなく、

自分が 人やまわりに
幸せや元気 大切な何かを
与えられる人になりたいです


あたしを幸せな気持ちにしてくれた人がいるように
あたしも人を幸せにしたいです



今日の長いひとりごと   2025.09.13