先日、友人から

神棚がなかったり、お墓参りへ行かなかったら

バチが当たるの?と聞かれました。

 

「神様は罰は与えないと思うよ。

私たちは、大いなる存在に繋がっているから

神様が手のひらだったら

私たちはその先の指先だから。

繋がっているのに罰は与えないと思う。

ただ、指先は手のひらより

たくさんの体験をすると思うの。

温かい体験、冷たい体験、痛い体験

それが指先でこの世。

繋がっている大いなる元が手のひらあの世。

そう考えたら、罰はないと思うの。」

 

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友人は

「じゃあさ、お墓参りに行かないと

ご先祖様から罰があると思う。」

 

「ご先祖様は悲しむかもしれないけど

遠方で行けない方もたくさんいるから

心の中でご先祖様を思えばいいと思うの。

それがご先祖様が喜ぶことだと思う。

今、できることをするのが一番だし

無理してやっても続かないよ。」

 

「昔、おばが嫁いだら

その家のご先祖様を敬い大切にするもんや。

そんなことを言っていたけど

自分をこの世に送ってくれたご先祖様をおいて

嫁いだ先のご先祖様をお参りしなさいって

すごく、何かに囚われていると思ったことがあるの。

結婚すれば、ご先祖様が増えるけど

それは、結婚した二人が考え

自分たちでどうしていくかを話し合えばいいと思うの。

誰かに言われて供養をするものではないし

供養の仕方を押し付けてはいけないと思うの。

私もお墓守をするまでは

いろんな体験をしたし、今は自分がしたいからしている。

そして、そのお参りが私にはあっているし

こうじゃなきゃダメだっていうのはないと思うの。」

 

「神棚のないお家もあるし

そのお家に神棚がないから神様を信じていないとかもないと思うの。

自分のお参りで十分だと思うの。」

 

友人は

「いつも言っている自分軸ってことか〜。

誰かがじゃなくて、自分で考え自分で行動を起こす。

自分でどうするかを考えてみるわ。」

そう言っていました。