新潟県・居多神社 | みーこの日記

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子育て卒業した自由人☆
日常&旅日記と
時々、息子達と旦那様♪


昨年9月、
新潟県上越市『居多神社』に
行って来ました車DASH!


上越市に向かう前にモーニングタイムコーヒー

8時に名古屋を出発~車ダッシュ



途中、集中工事で大渋滞だったわ泣

サービスエリアで休憩&ランチナイフとフォーク


ランチはソースカツサンド飛び出すハート


6時間以上かけて居多(こた)神社に到着爆笑

春日山城の入口に位置します。

明治12年に現在地に遷座しました。


「手水舎」


居多神社は
大国主命、奴奈川姫、建御名方命(諏訪神)を
祭神とする式内社です。



朝廷から弘仁4年(813)に従五位下を
貞観3年(861)に従四位下を賜り
古代、越後国司の厚い保護を受けて
栄えました。


「親鸞(しんらん)聖人」
居多ヶ浜に上陸した聖人は
常陸国稲田へ旅立つまでの7年間、
越後で生活しました。


「雁田神社」
子宝パワースポットだそうで
賽銭箱の貼り紙をよく見ると~目



↑↑↑  ポーンポーンポーン






戦国時代、居多神社も戦乱に巻き込まれ、
天文2年(1533)
反長尾為影派によって社殿が焼かれました。

そのため同年、為景(上杉謙信の父)は
居多神社に内乱鎮定を祈願し、
社殿造営を約束しました。




天正6年(1578)
上杉謙信が春日山城で死去すると
養子景勝と景虎が
家督相続をめぐり争いました。
「御館の乱」です。

その際、居多神社は景虎に味方したため
景勝軍の攻撃を受けました。



神主花ヶ前盛貞・家盛父子は難をさけ、
能登、越中を転々としました。

慶長3年(1598)
景勝が会津へ移ると晴れて帰国、
翌4年の春に春日山城主 堀秀治から
社領13石を寄進されたが、
もはら昔の面影はなかった。


「社殿」
2008年に造営されました。



慶長16年(1611)
福島城主  松平忠輝より社領百石 寄進

慶安1年(1648)
徳川家光より社領百石 寄進





居多神社の向には案内所があります。


可愛いベンチチューキューン

マグネット購入コインたち←マイブーム中照れ



つづくハートのバルーン